「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
僕はエレキが欲しかった


これはホンモノのゴールドトップ。ストラトより音は硬いかも。

 突然だが、楽器が好きだ。鍵盤はロクに弾けないので、オモチャが数台転がってるだけだが、ギターは結構持ってる。ヘタなヤツほど数を欲しがる伝で、安物ばっかり7本も持ってた時期があった。今は4本だ。ヘタは治らない。
 恥ずかしながら白状すると、本気で「バンドで喰って行こう!(笑)」としてた時期もあった。まぁ、才能の無さを自覚させられる前に、ゴッソリ楽器ドロに入られたのだけど・・・・・・。

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中学生になった頃はまだまだフォークとゆーのがハバを効かせてた。深夜のラジオで「モーリス持てばスーパースターも夢じゃない」なんて、盛んにCMやってた時分だが、どうもあのイジイジした感じと湿度が気に食わなかった。
 未だに「キミがボクにボクがキミの〜」とやっとるのは小田和正ぐらいだけど、当時の基本はみーんなそんなん!信じ難いキモチ悪さである。
 一方、日本語のロックっちゅーのもそーとー恥ずかしい代物だった。一言で言って、ボクをオイラに、キミをアノコに置き換えただけやもんな・・・・・・。
 従って自然と興味は洋モノに傾いて行く。洋モノと言ってもリンダラブレスではない。ラスメイヤーでもないよ。由緒正しき「ハードロック」(笑)だ。とはいえ実は彼等の歌詞も訳すと恥ずかしいのは、歌詞カード見りゃ分かるけど。

 洋楽に入るキッカケとしては「友達の兄貴又は姉貴から」、というパターンが最も一般的である。私も王様、じゃなかった王道を行って、初めて貸してもらったのは、何を隠そうDパープルの名盤「メイドインジャパン」だ。いきなり「高速道路の星」だ。次はツェッペリンに何故かPフロイド。クラプトンもイエスもウッドストックもクイーンも・・・・・・全部ゴタ混ぜの無茶苦茶な取り合わせではあった。私は文明開化の明治人を笑えない。

 段々ハマるにつれ、自分もエレキとゆーものが欲しくなるのが人情だろう。ある日、私は何の気なしに親に言った。

 --------今度、ギター買うわ。小遣い、自分で貯めるから。
 --------どんなん買うんや?
 --------(カタログを持ち出して)これ、グレコのレスポール(笑)
 --------あかん!!エレキは不良のやるもんや!

 ワハハ、出た!!「エレキ=不良」の図式!いいねぇ。

 「勝ち抜きエレキ合戦」や「テケテケ」の時代やあるまいし、アホかと思うが、ナカナカに親共は頑強である。こんな詰まらないことまで規制してくるのかと、いい加減ウンザリしたが、交渉は難航を極めたのであった。
 要求貫徹する方も頼り無いことおびただしい。フライングVが欲しなったり、エクスプローラーに鞍替えしたり、ストラトの57年モデルになったり、と全く首尾一貫してないのだから。エレアコで折衷案出したこともあったな。
 その後めでたく(?)エレキを買う事は出来た。グレコは国産でも若干高かったんで、同じスペックだと一万円安かったアリアプロUにした。ピックアップにホンモノのギブソンを使ってるのも当時としては魅力だったのだが、何を血迷ったか、ゴールドトップでシングルコイルのレスポールである。ディープサウスなR&Bか?って。

 ・・・・・・しかし、生意気な中学生の私は、重大なコトを一つ忘れていた。
 どんなギターであれ、持ってるだけではハナシにならない。つまり「楽器は練習をしなくては弾けるようになれない」、この当然の事実を全く考えてなかったのである。それにギターは習得が困難な楽器の一つだ。
 気付いて懸命に練習したものの、そうは問屋が卸してくれない。「小林克巳、初歩のロックギター教室」の教則本も、付録のソノシートも役には立たんかった。これでは好きなジェネシスやKクリムゾンなんざ一生かかってもムリだ。

 ヘタでもやれるパンクが流行り始めたのは、それからしばらく後の事である。


2004補足
 上の文章は97年に書いたものだが、実は、読者が音楽を全く知らない人も多かったため、かなり面白おかしく、また時系列を若干前後させている事をお断りしておく。また、ゴールドトップのレスポールは買っていくらもしない内に緑青を吹いて緑になったので、同型のサンバーストのに交換してもらったため、余計ワケが分からないものになった。これまでピックアップにP−90(通称ソープバー)の付いたサンバーストのレスポールを弾いてるプロを私は見たことがない。

Original1997 Add 2004
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