乾物問屋の息子、エンドウ君は、いつでもカツオブシの匂いがした。それはもう猫が近寄って来るんじゃないか、スマシ汁の風呂に入ってるんじゃないかと思う位に、「ダシが効いてた」のであった。
持って来る弁当のご飯に必ず一面にカツオブシがまぶしてあったりしたのは、けだし当然のことだろう。あれは確かに旨そうだった。
裏の養鶏場の娘、苗字忘れたが彼女の弁当にはいつも人一倍大きな玉子焼が入ってた。まだまだ玉子が高級品の時代だ。玉子はそこで買ってたが、近所の人にはケージで生まれたヤツではなく、放し飼いで出来たのを譲ってくれる。殻の固い、濃厚な味だったのを覚えている。
仏壇屋の娘のミナミさんは、エンドウ君と同じ伝で、いつも抹香臭かった。可哀相な事にお母さんが若くして亡くなってしまった。弔問から帰った母は私に言った。
-------- 商売道具ん中、入ってしまわはったんやねぇ。
本人に笑わすつもりなんぞ毛頭無かったのだが、結果的に悲しいジョークではあった。何ちゅーこと言うんや、ウチのオカンは!
五軒長屋の隣、製麺屋のシバタさん家の姉妹はいつでもウドン食ってたし、反対隣のコニシさん家はカバン屋で家中半製品の革が溢れてて、私より何才か年上だったお兄ちゃんは、立派な革靴やカバンを持っていた。
いずれも幼稚園の頃の同級生や近所のハナシだ。
「家業」、それも日々の暮らしと表裏一体に密着した生業とゆーヤツに、強い憧れがあった。上に列挙した、親の家業の看板背負ってる子供がうらやましくって仕方なかったのである。その気持ちは、今でも結構ある。
子供がセダンやクーペなんぞより、消防車やパトカーに代表される「はたらくクルマ」に目を輝かせるのにそれは通底している。その、生活に直結した具体性とリアリティは途方もなく魅力的なのだ。
長じて生意気盛りの中学生の頃、塾で一緒の多田君は魚屋の息子で、夜食の弁当に入ってた魚のデカかったこと!多分、小柄な彼を気遣う親心だったんだろうな。あれはきっと上物に違いなかった。
同じく塾で焼肉屋の息子、趙君はすごいニキビ面だった。ある日私は尋ねた。
-------- それにしてもオマエ、ごっついニキビやのー。
--------当たり前やないか。毎日、肉食ってるもん。
メチャメチャうらやましい!え!?弁当!?彼の親は何店もの支店を抱えて多忙だったので、残念ながら弁当は無かった。一度見てみたかった。
最近、近しい同僚の実家が布団屋であると聞いて、思わず聞いた。
-------- やっぱしお父ちゃん、「真綿で首を絞める」みたいに怒らはんのん?
-------- そんなワケないですやん。
-------- ゆーコト聞かへんかったらフトン蒸しにされるとか・・・・・・
--------アホなコト言わんといて下さいよ。
無論、一笑に付されてしまったのだが、少し残念だった。そうあって欲しかったのに・・・・・・。私自身は言うまでもなく給与生活者なのだが、それでもメーカーなのでまだ明快で良い。実際に自分は何か作ってるのでも売ってるのでもないけど、上に述べた分かりやすさがあると思う。
匂い立つように濃密な家の、生活の、収入のリアリティを、否応なしに正視させられる子供は非常に幸福である。何もそれで良い子に育つ保証はない。グレるかも知れない。でも少なくともその子に「バモイドオキ神」が降臨するような不毛の精神世界が形成されることだけは、断じて無い、と思うのだ。
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