「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
引込線を行く

 戦前のプロレタリア文芸運動の影響を強く受けた童話作家、小川未明に「飴チョコの天使」とゆー作品がある。都会の工場で作られた飴チョコの箱の天使(多分、森永のキャラメルのことではなかろうか?)が、貨物列車に揺られて、最後片田舎の小さなヨロズ屋に納品される。早く良い子に売れたいな、と天使は思うけど悲しいかな、小箱ではなく大箱の方だったので、寒村の貧しい子供たちに買える値段ではなかった。そのまま不良在庫になって数年、たまたま都会の孫に送る荷物に、老婆がそれを買って、天使は再び都会に戻って行く・・・・・・てなストーリーだった。
 何せプロ芸!社会主義リアリズム!なので運ばれて行く描写は詳細である。で、それが結局今となってはのどかな時代の記録となっている。

 そーいやガキの頃(といっても30年位前だけど)、たいていの駅には貨車が必ず1〜2両停まってた。そして子供の眼にもハッキリ分かるのんびりした様子で、ノッタリクッタリ、荷物の積み卸しをやってたもんだ。
 引込線もよく見かけた。シチュエーションはどれも似てて、家の裏庭をかすめるように雑草に埋もれた線路が伸びている。1日に1度か2度、これ又ノッタリクッタリ貨物列車がやって来るだけで、後は格好の子供の遊び場になっていた。
 あの緩慢な景色は妙に、幼児の時間感覚とマッチしていた。いつしかそれらは全部無くなってしまったけれども。

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 小学生も終わりの頃だ。和歌山と奈良の県境近く、五條の隣駅から小さな貨物線が出てることを知って出掛けて行った。当時、私は見事に「鉄チャン」だったのである(今でもけっこー好きやなぁ)。
 雪の降った朝だった。枕木の上だけ溶け残った雪をサクサク踏んで、鉄橋を渡り、築堤を大きくカーブした線路を紀の川の河原まで下ると、適当に引き廻されたようにポイントが分かれて貨物駅。

 1日1往復しか貨物はやって来ない。貨車も殆ど停まってない。チップ工場と砂利屋もやってんだかやってないんだか。それでも駅員はちゃーんと居て、花壇をしつらえたり、周囲を掃いたりしていた。つまり仕事が無いのだ。ヒマなのである。
 何のこたない。高い汽車賃払って、線路のある原っぱにやって来たよーなもんだ。「眠ったような」という表現は月並みだけど、一体他にどんな形容ができるだろう。今思えば、国鉄が天文学的な赤字を毎年吐き出しながら冗談みたいな放漫経営を続けてた、最後の時期である。

 どれ位の時間をそこで過ごしたのかは忘れてしまった。帰路、その1日1本の貨物列車(ダルマストーブのついた車掌車だった)に乗せてもらって、元の駅で降りた時、子供心にも、夢から覚めたような、何とも不思議な感覚を味わったことを憶えている。

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 映画「スタンド・バイ・ミー」で、子供達は線路の上を歩いて冒険に出掛けて行く。出掛けて、そして、少ーし大人になって帰って来る。ならば引込線は言葉とは裏腹に、何かの出発点だったのか?その先の列車が絶えず行き交う本線への道程は、「オトナになること」の単純なアナロジーだったのか?
 そんな教訓めいた感慨よりも深く、子供だった私はあの時、あの場所で、むしろ「膨大なムダ/壮大な徒労」をシッカリと看取していたのだった。そして眼に映る気怠い光景、褪翳の影には、ある種の安堵感が伴っていたことも告白しておこう。

 そのワケを突き止めようと考えたが、止した。考えることは恐らく、現在の自分には非常にマズい事のように感じられるからである。

Original1997 Add 2004
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