何処からやって来て、何処に帰ってたんだろう?
そして今は、何処に消えてしまったんだろう?
2才になる息子は屋台のラーメン屋がひどく怖いらしい。あのチャルメラが(テープなのが味気ないよな)遠くから聞こえてくると、飛んで来て「怖い怖い」と言う。そのクセ抱かれてベランダから、赤チョウチンを堤げた軽トラが、ゆっくり走り去るのをみせてくれ、とせがむ。正に「怖いもの見たさ」である。
物売りとは、多分、子供が始めて出会う「異界」の使者なのだろう。幼児の永く、終わらない「日常」の風景を通り過ぎて行く物売りの姿には確かに或る種のインパクトがある。みんな、同様の経験をお持ちだろう。
そんな物売りも数少なくなってしまった。思いつくままに挙げてみよう。
ラーメン屋、うどん屋、竿竹屋、団子細工屋、アメ細工屋、紙芝居、アイスクリーム売り、アテモン屋、針金細工屋、マンガ焼、ワラビ餅、古紙回収、串カツ屋、ポン菓子屋、焼き芋、出店の八百屋、魚屋、かく言う私も一度しか見たことがないラオ屋、(キセルの煙管直し屋である)、ヤドカリ屋・・・・・・etc
何や網野善彦の中世本のオビみたいやな。
まあ余んまり沢山列記しても仕方ないが、とにかく色々な職業があった。現在残っているのは一体どれ位のものだろう。
忘れられないのは針金細工屋とマンガ焼きである。まず針金細工屋、家から針金を持って行くと奇用にゴム鉄砲やら、何やら迷路みたいなものを作ってくれて、手間賃を払うのである。手ぶらで行くと針金代もオンされる。
次にマンガ焼き。要はお好み焼きのミニチュア。直径5cm位にメリケン粉を広げ、カツオ節をチョロッとかけてツマヨージ置いて裏返し、食紅でくちゃくちゃっと色付けし、ソースを塗って出来上がり。当然、大して美味くない。
楽しいのは待つ間、パチンコ球3つもらって、屋台の横のパチンコ台で遊ぶのだ。入ると2枚重ねになる。最高5枚重ねになった時はうれしかったなぁ。
天王寺と阿部野橋の間をつなぐ陸橋の上で、いつも店を広げていたヤドカリ屋もナゼか忘れ難い。サイズ別に値段が分かれていたように思う。
いつだったか久しぶりに通りかかると、そこにはホームレス、所謂「レゲエのオッサン」が倒れていて、地面にはチョークでこう書き殴ってあった。
--------もう一週間メシを食っていません。どうか100円恵んでください・・・・・・・。
いずれにせよどれもこれもつつましやかで、思い切り零細で、それでいてムチャクチャに胡散臭い商売だったように思う。
日常のささやかな亀裂のような、これら異界からの使者に少しづつ馴れ、親しんで行くことで子供は、世間の因果や、割り切れないしがらみとゆーヤツを学んでいたのではなかろうか?小銭のリアリズムや、商売の厳しさだって物売りから教わったような気がする・・・・・・・大げさかな?
彼らが消えてしまった現代に現れた様々な妖怪、「住専」「麻原」ホンマに妖怪みたいな風貌の「安倍」。こうしてイージーかつ情緒的に重ね焼きにして考えるのは、果たして論理の飛躍かどうか、考え込んでしまった。
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