えびの市から霧島・韓国岳に向かう途中にある白鳥温泉は、周囲を森に囲まれた、数件の旅館と町営浴場があるだけの小さな温泉場である。いつもボロクソにけなすクアハウス風のものとは異なり、この共同浴場は素朴でおおらかな雰囲気を残している。内湯と噴気を使った蒸し風呂、そして小さな打たせ湯等が林の中に点在し、コンパクトだがナカナカ好ましい情景だ。
風呂とプールは違うんだから、温泉に水着は要らん!!が常々の持論である。だから、いつもの通りタオル一丁に素っ裸でウロチョロしていた。湯屋を出て、落ち葉に埋もれる飛び石伝いに屋外を廻り、最後蒸し湯に入ると2人の先客が奥にいる。
年の頃は50前後か、良く陽に灼けた小太りの風貌からしても地元農民らしく思われる。蒸気でムンムンする薄暗い穴倉のような室内で、何やら盛んにやり合っている。
分かりにくい方言と激昂で、殆ど意味不明の論争の内容にジーッと聞き耳立てると、それは何とまさに!
「混浴の温泉に入る時は、海パンをはくべきかどうか!?」
とゆー一大命題についてだったのであった。大のオトナがするなよな〜。原文のままは再現不可能なので、双方の主張を要約すると以下のようになる。
--------公共のものなのだから、誰が来るか分からん。その点では天下の往来と一緒である。オマエは裸で道路をウロウロするか?だから、ちゃーんと水着をつけなきゃいかん!
極めて強引な三段論法である。こーゆーのを水平思考と呼ぶ。これに対峙するオッサンは、惜しむらくはややボキャブラリーが不足していた。
--------そうは言うがアンタ、温泉は温泉だ。裸になるのと混浴かどうかは別問題だ。見える見えないを気にする方がおかしい。それに言うではないか、旅の恥はかき捨てだ!ゴチャゴチャうるさい!
最初はともかく、最後の一文は明らかに語彙の不足による勇み足である。気持ちは分かるけど・・・・・・。
ともあれまあ、暇なのか何なのか、2人共汗だくになって、全く進展も展開もないまま、延々の堂々巡りで、クソ暑い蒸し風呂のなかでひたすら続けるのであった。
ともあれ正しいのは無論、後者だ(念の為に申し添えると「賛成」ではなく「正しい」のである)が、この正当性を解き起こすにはそれこそ、身体論・ジェンダー・ヌード/ネイキッド/ポルノグラフィーの問題・無各性と匿名性・大衆と正義・・・・・・etcといった、ホンマにコムツカシイ事をグジグジ言わねばならない。何が悲しゅーて、ほんなじゃんくさいコトしなあかんねん!?ここは温泉やぞ。産土神の降りる地じゃわい。あーもー、うるさい!!
けど私は何も言わなかったし、どっちにも味方しなかった。こーゆー場合、いずれに味方したところで、両方からシバキ倒されるものと相場が決まってる。私はただの通りすがりの旅人に過ぎなかったのだから。
何だかいたたまれなくなってそこを出た。丁度、出た所で入れ違いにやって来たのは、それはそれは見事に身体の凹凸の順序がムチャクチャの、紡錘形の体躯を揺らしたハダカのオバサンだったのである。
共同浴場を出てから思った。年齢・スタイルはどうあれオンナのハダカ、これは男の軟弱な小理屈を強力に駆逐するものなのだ。あの量感タップリのオバサンの前で、オッサン達が議論を続けることは出来なかったに違いない。
そこまで考えた時、胸のつかえが、地鶏のタタキと焼酎と一緒になって下りて行ったような気がした。 |