「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
開聞岳異聞

 井上靖の短編「小磐梯」には、明治何年だかに福島の磐梯山が大噴火した時の様子が詳しく描かれている。その中で無数の蛇が集団で脇目もふらずに山から移動して行くシーンがあった。多分、古老の伝承を取材したのだろう。
 レミングの死の行進にせよ、空を埋めつくすバッタの大群にせよ、生物がドワドワと大発生するのは、神の摂理から自然が暴走するよーなもんで、何とも薄気味が悪い。

 「薩摩富士」こと開聞岳は、桜島を中心とする姶良カルデラの側火山群の一つで、九州最南端の枕崎近く、海から円垂状にニュッと突き出した成層火山である。海岸は「白砂青松」の日本的な風景とは全く異なり、火山岩が風化した黒い砂にシュロの木がなびいている。
 その麓、開聞温泉に泊まった時のことだ。温泉については、ナゼか殆ど忘れてしまった。内湯だったこと、多分茶褐色の湯だった位しか思い出せない。

 夕景は確かに美しかった。上に述べた通りの日本離れした海岸を歩けば、今まさに燃える夕陽が、開聞岳の彼方に沈もうとしている。うーむロマンチックやないか。行ったことはないけれど、ハワイとかの海岸てこんな感じなんやろう。とか考えて、握っているものに気付いた。
 無論首からレイを懸けたハワイ娘の手ではない。宿に着く前に買い込んだ、皮がジャガイモみたいな薄茶色で中身は鮮やかなオレンジ色した本場のサツマ芋である。とことんマヌケだ。

 食事だって悪くはなかった。実際、大食堂の片隅だったし、一番安いコースだから豪華でも何でもなかったけれど、黄昏の海を見ながらの夕食は、「これはこれで最果ての町なんだな」と旅情を盛り上げるには充分なものだったろう。

 それからである。部屋に戻って明日の支度を済ませ、焼酎をチビチビやりながら、又、海が見たくなった。止めときゃ良かったんだ。カーテンを開けた。そして絶叫した。

 --------ウギャー!!

 夜だからコバルトブルーの海が望まれる筈もない。見えたのは外の景色が見えないほど網戸一面に、ビッシリ貼り付いた、鮮やかなエメラルドグリーンのカメムシだったのだ。文字通りオゾオゾと「蠢いて」おった。イヤもう腰抜けましたわ。カメムシは大の苦手なのだ。
 一体どれ位の数が居たのか見当もつかない。網戸に止まり損ねたヤツ等はブンブンと周りを飛び交っている。とにかく尋常な数でないことは確かだ。走光性とかゆー性質で部屋の光に寄って来たのだろう。その晩、宿泊客が少なく、灯りの点いてる部屋が少なかったったことも不幸に拍車をかけたと思われる。

 何かの悪い予兆とちゃうのんか?これは?開聞岳か!?桜島か!?そー言えば池田湖も鰻池も火口湖だったよな。地鳴りはしてないし、地震もないよな。
 ・・・・・・と冷静になればアホみたいな疑念が、次々と頭をもたげてきたのであった。

 ・・・・・・・・・・・・

 翌朝、恐る恐るカーテンを開けると、昨夜の惨事が決して一夜の悪夢ではなかった証拠に、サッシのレール辺りに、幾つもカメムシの遺骸は転がっていた。

 ちなみに、カメムシが大発生する年は雪が多い、と言われる。あの年、あの南国に雪は降ったのだろうか。少し確かめてみたい気がする。
 もひとつちなみに、カメムシは「ヘコ」とか「ジョロ」とか異名が色々あるが、Hさんが言ってた「フ」とゆーのが、一番ワケが分からなくて面白い。

 落ち着いて考えれば、結構きれいな色ですよね、アレって。臭いけど。

Original 1996 Add 2004
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