「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
旅の詩人/酒呑み/詐欺師


若山牧水、ってこんな人。栗良平の顔写真は発見できず。

 旅と酒をこよなく愛した歌人・若山牧水の酒豪ぶりは、つとに有名である。しかしながら今の時代、肝心の作品の方は世人の忘却の彼方に消えてしまってると言わざるを得ない。つまりは今時、誰も知らん。
 ま、詩歌と酔ッパライの駄ボラの間に、どれだけ本質的な違いがあるのかは知らない。言えるのは、芸術的価値の有無は「猫に小判」と同じく、鑑賞する側に委ねられているという事だろう。そーいやAギンズバーグと並ぶビートニクの元祖にしてイカれたジジイ、WSバロウズの代表作「裸のランチ」なんて、ただのヤク中のタワ言そのものだもんな。残念ながら、最近二人とも鬼籍に入られた。どちらも愛すべき不良ジイサンだっただけに惜しい。

 ハナシが逸れた。酒仙・牧水の有名なエピソードを2・3挙げてみよう。

 まず「2合+2合+2合=1升」とゆーのがある。朝起きてまず2合、昼に2合、晩に2合・・・・・・のハズが、アレレ?1升壜が空になっちゃってるじゃあーりませんかはチャーリー浜だ。気分が良うなっとんやな、こりゃチーとも気付きませなんだ、ワハハ!だから酒は止められまへんな・・・・・・。
 平気でそんな事をうそぶいてる。実にアホだが、キモチは良く分かる。

 1日も休まずそんな生活を続けて、身体が持つワケがない。それでも酒を止めない。医者の忠告にも耳を貸さずに呑みまくる。立派なこれはアル中である。最後はお約束の肝硬変でくたばってしまう。
 盛夏の真っ最中に死んで、葬儀が済むまでの数日間、その亡骸は些かも腐敗の兆しを見せなかった。永年の深酒で全身隈なくアルコールが浸み渡り、「標本」みたいになってしまってたのだ。筋金入りの酒びたりですな。

 さて、荼毘に付される段になって、生前愛用の徳利と猪口が棺に納められた。なに、別に上物でも何でもない。放浪の果てに終焉の地となった、確か静岡は焼津だったと思うが、とにかく地元の瀬戸物屋で買った安物だ。
 骨拾いに集った人々は、一様に驚きの声を上げたと言われている。何と酒器は2度目の炎にも耐え、ヒビ一つ入らず、むしろ藍の色を深め、侘びた枯淡の味わいを加えて隠亡窯から出て来たのであった。これがホントのボーンチャイナってトコだろうか?

 真偽の程は分からない。いずれにせよ李白の昔から大酒呑みの詩人の末路はどこかしら滑稽で可笑しい。

 ・・・・・・ふと思った。詩歌と駄ボラに懸隔が無いのなら、旅ゆく詩人と、飄然と町に現れる詐欺師の間には、一体どれだけの距離があるのだろう?

 ヘンな例がある。何年か前、アホな政治家が絶賛したのが元で大ヒットした「一杯のかけそば」の作者だ。名前忘れた。実話を採集したとゆーフレコミだった。いかにもお涙頂戴のイントロと、職業のヒエラルキーを前提にしたような、何ともイヤラしいオチに絶対ウソやと思てたら、案の定捏造であることがバレ、ついでに詐欺師の前科もボロボロ出て来た。彼はマスコミの前から消えた。

 その彼が、自称秘書のオバハンと二人三脚、全国の温泉地に出没してるのだそうだ。手口はどれも一緒。都会の実力者との関係をほのめかしては、何かの文化資料館の建設を持ち掛ける。上に述べた顛末を知らない旅館も多いので、真に受けて手厚く遇する。しばらくしてドロン。これの繰り返し。

 本当に妙なのはここからで、誰も被害届を出してないという。みんな、いい夢見れて満足してるらしい。騙された自覚がない。もしそれが事実なら凄い。
 何故なら、文学を装った「一杯のかけそば」という詐欺から、詐欺の手法を借りた語りの芸術に、劇的に彼の行為は転換してるとも言えるからだ。

 恐らく彼が疾走しているのは旅の空の下でも、人生の裏街道でもなく、文学とホラと詐欺師の口上の境界線上なのだろう。しばらく注目していたい。
Original 1996 Add 2004
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