「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
温泉旅館カースト!!

 団体客を乗せた色とりどりの観光バスが車寄せに着く。勢揃いした仲居さん達、お茶のもてなし、巨大な浴場、豪華な料理、フカフカの布団、完璧な空調・・・・・・実の所、温泉に入ることが「行楽」にシフトしたのは近代以降であって、かつては観光や行楽とは「お伊勢参り」や「日光を見ずしてケッコーと言うなかれ」に代表される、寺社仏閣の参拝がメインなのであった。本来温泉とは、観光ではなく療養を目的として出掛けるものだったのだ。

 この事実は今や、脱衣場に掛かる効能書きの看板に僅かにその残滓を留めるに過ぎない。しかし、以前にも書いたと思うが、1日や2日、それもチョコチョコッと温泉に浸かったからといって、リラクゼーション以外の効果は全く期待出来ないのである。
  湯治の効果が現れるには、最低1週間は必要と言われる。ホントは倍は掛かる。1週間目辺りは、丁度湯当たりで寝込んでいる時期なので、効果は効果でも、ただの逆効果とゆーヤツなのだ、実際。

  皆さんは、小さな温泉旅館の看板に、こんなのを見付けた経験はおありだろうか?歴史のある温泉街ならたいていあるハズだ。

    「内湯旅館」
    「内湯温泉・岩風呂」

  何をそんなん威張ってんねん!当たり前やんけ!と思ったら大間違い。かつて、旅館には内湯なんて存在しなかったのだから。だからその当時「内湯を持つ」事は、画期的な集客の目玉だったのであった。何たる逆説か、温泉旅館には元来「温泉」が備わっていなかったのだ。つまりあの看板の題目は、目的が療養から観光に変容する過渡期のアダ花が残っているのである。

  岡山県の山奥、砂湯で有名な湯原の手前に真賀温泉・足(「たる」と読みます)温泉という小さな温泉場が道路をへだてて少し離れてあるが、ここはこの古いスタイルを忠実に現代に伝えていて、宿泊者は共同浴場に入りに行く。共同浴場も変わっていて、料金が2時間で何ぼ、半日で何ぼ、1日で何ぼ、といった具合に細かく定められている。
  何でこの古いスタイルが残ったのかと言うと、ひとえに温度が低い上に湧出量が少なかったからである。まあ、珍しい例であろう。

  概してこうした旅館の料金は、長期滞在が前提なので安い。本来湯治は入院に限りなく近いから、何でも持ち込みがOKだし、TVも冷蔵庫も、布団さえも1日何ぼ、でレンタルが原則なのだ。行商が来たりもする。

 ここまでの話を元に、温泉旅館の変遷を整理すると以下のようになる。


  1.治療目的の内湯も何もない自炊旅館
       ↓
  2. 逗留を目的としているがサービスも伴う内湯旅館
       ↓
  3.歓楽型の短期宿泊をメインとした小規模観光旅館
       ↓
  4. 団体が主流の巨大旅館、又は個人向け超高級旅館


  お分かり頂けただろうか?こうして歴史的経緯からすれば、自炊旅館はシーラカンスみたく、最古のスタイルを継承した希有な存在なのだ。なのになのに噫々それなのに、この結構な現代において、ここに泊まるコトは「人間扱いされないコト」に他ならない。

  ここまでが長い長いマクラでした。来週は悲惨を極める自炊旅館の実態について、具体的な例を挙げて解説しましょう。では。



 さて、先週挙げた岡山の温泉みたいに、どこもかしこも自炊が原則になってればまだ良い。むごいのは、1つの旅館が「観光棟」と「湯治棟」に分かれていて、それも観光棟のオマケみたいに湯治棟が成り下がってる場合だ。

 その落差たるや、マハラジャと最下層のカーストの開き位にエゲツない。こんな仕打ちが許されて良いのだろうか、と憤りを覚える程にムチャクチャな扱いなんだな、これが。
 こんなトコに「湯治」と称して年寄りを連れて来るのは、体のいい「姥捨て」ではなかろうか!?とさえ思ってしまう。「楢山節考」もたまげる世界が展開されているのだ。

  究極の実例を挙げてみよう。

  エメラルドグリーンの不思議な色の水をたたえた火口湖「お釜」で有名な草津白根山の近くに万座温泉はある。春夏秋は信州旅行、冬はスキー客で賑わいを見せる立派な観光地だ。ドライブウェイを登って行くと、高原地帯を見下ろす眺望の開けた場所に、どちらかと言えばモダンで瀟洒な造りの旅館が立ち並ぶ。最低宿泊料金は8千円から、と相場の安い信州では、まあ妥当なセンだろう。

  ここを過ぎて少し下ると谷間に異様な風景が見える。噴気のせいで、木も生えないガレ場の荒れ地に、木造でボロボロの、倉庫のような建物が点在しており、ダラリと浴衣を着た年寄りがウロウロしている。道路は今時未舗装、雑草は伸び放題で何とも荒涼とした場所だ。結晶した硫黄で黄色く染まった熱湯の池を背後にその景色は、何だか「六道図」に描かれる凄惨な世界を思い出させて、この太平楽の平成の日本に、こんな場所が残っているとゆーのはにわかに信じがたい奇跡である。
  これが何と、自炊エリアなのだ。前段は観光エリアの情景である。完全な分離政策が取られてて、私は「ゲットー」とか「アパルトヘイト」なんちゅーコトバを連想した。

  私が入湯したのは「日進館」というそれでもマシな所で、泉質ごとに分かれた混浴の内湯に、渋〜い木の浴槽がデーンとある。ナカナカその古風さは素朴で良かった。一応、簡単な麺類・丼物位は出せるようで、まあ、百歩譲って旅館の体裁は整っていた、と言っても構わないだろう
  しかし、破れて剥がれかけた廊下の小うるさい注意書きや、「宿泊は1週間単位でお願いします」とただし書きのついた料金表の看板(色は褪せていた)、ささくれだった畳のガランドウの客室等を見ると、「リニューアル」や「設備投資」はおろか「修理」さえ、全く経営者の頭の中に無いことが一目瞭然だ。

  そこを出てから、周囲の他の自炊棟を見て回った。大同小異、どれもボロだ。最も驚いたのは、建物は傾き、瓦は落ちたまま、窓ガラスは割れ放題、玄関の石積みは崩れて雑草が覆いかぶさり、いくら何でもこれは廃屋だろうと思って入ると、暗ーい廊下の奥から婆さんがこっちを見ていたコトだ。使ってたのである!仮にもこれが旅館なのか?有料なのだろうか?従業員は一体どこにいるんだ?不法占拠とちゃうんか????

  あれじゃ却って病気が悪くなりそうだ。

  悲しいことに、今や自炊棟はいわば「お情けで」細々とその命脈を保っているに過ぎない。経営者も仕方無しに続けてやってるだけなので、投げやりな事この上ない。償却にまかせてほったらかし。利用客は無論100%年寄りだ。安いとはいえ、幾許かの身ゼニを切ってまでして、何で憐れまれねばならん!?

  税金注ぎ込んで福祉の空念仏を唱えるより、まともな民営の温泉自炊旅館が一軒でも増える方が、よっぽど年寄りの励みになると思うが、如何だろう?

Original 1996 Add 2004
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