「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
ユース今昔

 しばらく前に、和歌山の摩訶不思議なユースホステルについて書いた。

 ところが今時、ユースホステル(以下YH)なんて誰も知らんのだな。若い人で知ってるとすれば、それは大学とかの「YH研究会」とやらに入ってた御仁くらいなもんだろう。ワープロだって「ゆーすほすてる」を変換したら、これが「湯ー素干す照る」だもんな。トレンドから外れてるのが、良く分かる。
 60年代から70年代半ばまでが、実は、YHの黄金時代であった。誰もが長髪だった頃と重なる。この会員証と周遊券の学割を組み合わせると、オニのよーな貧乏旅行が可能だったのである。

 そもそもYHとは、青少年の健全育成とやらを目的に全国に設けられた、会員制/低料金の宿泊施設の事である。公営・民営/専業・旅館併設と、形態は様々で、立派なヤツから、どー見ても民家まで色々なバリエーションがある。
 ルーツはどうもドイツ辺りらしい。そーだよなー、「グリム童話集」とか読んだら分かるけど、小僧が修業の旅の途中で、ってパターンが多いもんな。若者が、国の中をウロウロする伝統があるんだ、きっと。ギルドのネットワークとか使うんだろう。

 さて今回はそんなYHについて、数少ないここでの宿泊経験から、泣けて来るハナシをあれこれ。読めば、衰退した理由も、ある程度納得して頂けるだろう。

●第一話「怒髪、天衝く乗鞍YH」

 ドシャ降りの中、到着した私達は疲弊し切っていた。取り敢えずメシだ。自炊であることは電話してたので、厨房の使用をお願いすると、

 −−−−小学校の生徒さんの予約が入ってるので、ダメです。
 −−−−じゃ、どこで出来るんですか?
 −−−−表でやって下さい。
 −−−−ムチャクチャ降ってるやないですか!?
 −−−−スキー乾燥室の前が空いてますよ。
 −−−−厨房、どうしてもダメなんですか?
 −−−−ダメなもんは、ダメです。

 その、「スキー乾燥室の前」とやらは、建物脇にある入口に突き出た、30cm程のヒサシのことなのだった。何が「空いてる」や!!
 何度か押し問答を繰り返してもラチはあかず結局私達(確か5人だった)はカッパ着て、傘さしてメシを作るとゆー、悲惨な結果となったのである。真夏とはいえ、標高2000m近い信州の高地、「歯の根が合わぬ」とはかくなる状態を言うのだろう。怒髪は天衝くどころか、濡れてワカメみたいになって、ベッタリと額に貼り付いてた。

 YHの管理人は「ペアレント」と呼ばれる。訳せば「親」ととゆーことだ。これが仮にも「親」の仕打ちか!?規則は守れ、とゆー親心だとするならば、これはもう、「シンデレラの継母なみの親心」とでも言うしかない。

 ちなみに、戻って来て厨房を見ると、小学生のガキ共がワアワア、カレーを作っている。別に、全く場所が空いてないワケでもないやないか。
 そーかそーか、「ゼニにならん客は来るな!」っちゅーこっちゃな。オマエ等の性根はよー分かったわい。それなら、YHの経営なんて止めてしまえ!

 実は、筆者は非常に執念深い。受けたハズカシメは、絶対に忘れない。もう20年以上になるが、ここだけは絶対に許さない。

 皆様、いかがでしたか?これが実態です。次週も続きます。



 さあ、今週も悲劇は続きます。

●第二話「小林カツ子な小夜の中山YH」

 大雪で混乱しまくった名神・東名を乗ったり降りたり、着いた頃にはもう、真っ暗。バイクなので、全身冷えきって硬直しとる。早くメシ喰って、フロ入って眠りたい。

 台所のチャブ台で、夕食は一応スキヤキ。殆ど野菜ばっかしだが、仕方ない。安い値段なんだから。部屋も風呂も建物全体も、全く普通の普通の民家。まあまあ親切な感じである。
 寝具もちゃんと布団だ。あの封筒みたいなシーツに、毛布が数枚とゆーのは、どうも身体に馴染まない(一言申し添えると、それがYHの標準である)。やっぱし日本人には布団やね。

 翌朝、前夜と同じチャブ台に置かれた朝食の前に座って、呆然となった。鍋がポンとあって、後はゴハンと漬物。中見たら、よーく煮えたスキヤキの残骸。正確には残飯だな。「同じカマのメシをつつく」とは少なくとも、こーゆーシチュエーションは指さないハズだ。

 何やこれ!?客はオレ一人やった。っちゅーことは、これはオマエ等の食い残しやないか!それとも何か!?カレーとスキヤキは2日目がうまいってか!?アホか!!熟カレーのCMもビックリである。

 相変わらず親切なので、御本人達には何の悪意も疑念もなかったのだろう。もーホンマ、こうなると宿泊業を営む者としての資質を疑わざるを得ない。

●第三話「暗闇にベルが鳴る萩YH」

 お寺じゃん、ココ。まあ、あれは飯田だったっけ、神社の境内でテント張ってたら隣接する普通のお寺に御好意で泊めてもらったことがある。寺でも神社でも構わない。泊まれればありがたい。人の好さそうな住職夫婦がやってる。

 食堂兼集会室には、全国の大学のYH研究会(実態はただの旅行サークル)の色紙やステッカーやサイン帳がギッシリ。なかなか、繁盛してるみたいだ。そりゃ当然か。萩だもんな、ココ。ここまで流行らなくなったら日本のYHもおしまいだろう。
 近頃、滅多に見なくなったゴエモン風呂も懐かしい。どうもここの名物みたいだ。足踏み板を巧くカマさないと大変なんだよな、確かこれって。

 蚕棚形式のベッドに、例の毛布の組み合わせは好みじゃないが、文句は言うまい。これが本来の定番なんだから。ともあれ疲れた。明日も600km近く走らなくてはならない。
 ・・・・・・眠りこけてると、けたたましくベルが鳴った。火災報知機だ。慌てて飛び起きて、服と荷物を掴んだところに住職がやって来た。

 −−−−すまんことです。マチガイでした。たまにあるんです。
 −−−−はぁ・・・・・・

 申し訳ながってる坊さん相手に、不可抗力のことを怒っても始まらない。こーゆー場合、再び寝るしかない。又、毛布にくるまって、ウトウトして・・・・・・正確には忘れたが、それから朝まで5回はベルに起こされた。どこが「たまに」や!?どこが!?ちゃんと直せよ、ったくもう。次の日の長距離運転が死ぬほど辛かったのは、言わずもがなである。

 皆様、オソロシーことに来週も続きます。それでは・・・・・・



 今週は最終話とまとめです。

●第四話「併設カースト!川湯YH」

 道路を挟んで前を流れる大塔川の河原が、有名な「川湯」。どこを掘っても湯が出て来るが、一人まともに入れる分を掘り返すのは、至難のワザだ。

 ここは所謂「併設ユース」で、普通の旅館をユース会員は格安で利用できる、というものだ。だから部屋も普通の旅館の部屋。アルコール類についてもとやかく言わない。冷蔵庫もご自由に、である。いっちゃん気楽で、好きなタイプだ。
 あのミーティング、とやらもない(ミーティングとは、夕食後に宿泊者が集まって、何やかんや話を聞かされたり聞かせたり、歌ったりとかするのだ。一泊だけならまだしも、何泊も続くと、余りに時代とズレてて恥ずかしい)。

 ああ、そーいえば愛知の添沢温泉もこんなYHだった。料理も部屋も良かったな。おまけにルームサービスだった。ここも期待できるかな・・・・・・なんて考えてる内に、食事の時間。食堂に行くと、自分達の席札が立ってない。景色の良い窓際もガラ空きなのに妙だな、と見ると一番隅、食器返却口の前に立っとる。まず、ムカッと来た。露骨な差別だ。

 椅子に座って料理を見て、さらにムカムカ来た。細かい中身は忘れたが、貧弱を通り越しとる。この値段で、こんな内容なら全然安くもなんともない。否、ハッキシ言って、これじゃボッタクリもいートコだ。それがまあ、皿だけはいっちょまえのに載っかってるもんだから、侘しいことこの上ない。

 憤然として食後、近くに飲み屋を探して出掛けたのは言うまでもない。

 ・・・・・・・・・・・・

 どうでしたか?皆様。どれもこれも(萩は百歩譲って、多少カワイソーな気もするが)ひどいもんでしょ?筆者が特別に不運なのかも知れないが、こんな経験が重なれば、アホらしくてYHなんて泊まる気にならなくなるのが当然だ。

 「青少年」だ「健全」だ「ペアレント」に「ミーティング」だとゴタク並べる前に、旅館の一種である、とゆー事実を忘れとりゃせんか?

 基本を忘れる、とはこーゆーのを言うのだ。タワケめ!

 無論、阿蘇のように親身に世話してくれたYHもあった。でも、悪事は千里を走る。そして、決して上のエピソードが、特別なものではなかった証拠に、YHは最盛期の半分以下にまで、減ってしまったのである。

 本当に安くて良い宿なら、そんな事はないハズだ。安易なチェーン展開の末路とは、えてしてこんなもんである。設備より何より、スペックを維持するのが難しいのは、「スタッフの質」なのだから。
 実家という場所を出て10余年、下宿や寮も含めて、旅館・ホテル・民宿、様々な所に身を預けて来た。思うに、余程「寛容の徳」が備わった人でない限り、上に挙げたような施設の運営に携わってはならない、と思う。にもかかわらず、現実は結構逆だったことが多い。世の中とは上手く行かないものだ。

 今や、誰のための施設か分からなくなって、尚存在し続ける、この奇妙な旅館チェーン「ユースホステル」。話のネタに、どれか泊まってみてはいかがでせうか?
 きっと、素敵な体験が出来ると思います。今時、信じられないような。

Original 1996 Add 2004
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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