中国地方、殊に岡山以西の瀬戸内側は元来、冷鉱泉が殆どである。熱いのは山口の湯田位なもんだろう。とりわけ広島県下に高温泉は、全く存在しない。見た目ただの真水の放射能泉が基本である。
だから、湯来・湯の山といった有名なトコ(とはいえそれらも他の地方からすれば小さいが)以外は、畳の上を這いずり回るよーに地味な、地図にも載ってない位の温泉が多い。これらを訪ねるのには、何とも時代離れした、シブくもカルトな味わいがある。
さて、まがいなりにも温泉旅館だけで経営が成り立つならまだいいが、世の中それ程甘くない。何の特徴も変哲もない鉱泉宿に、そんなにひきもきらず物好きが来るワケがない。従って、ドライブインや老人保養センターに姿を変えて、細々と続いてたりする例が多い。別段広島だけに限ったハナシではないが、淋しいもんだ。
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島根県境に近い広島山中は意外にも豪雪地帯で、冬は遠く九州からもやって来るスキー客で賑わう。付近は羅漢渓谷なる名前が付いてるが、取り立てて絶景にも思えず、どうヒイキ目に見ても、国道沿いの平凡な谷川としか形容のしようがない。
道路脇に小さな喫茶店が建っている。夜はスナックに早変わりする、田舎にありがちの、ややレトロで荒れた店構えだ。小さく書かれた温泉マークと「温泉入れます」の文字が無ければ、絶対温泉とは気付かない。いや、なまじあるだけに無茶苦茶ウサン臭い。
怪しいなぁ。ま、ともあれ入ってみよう。
真紅の金華山のジュータン貼り。壁にはカップにグラスにボトルが何本か。カウンター席以外は、サイコロみたいなソファーとTVゲームのテーブル。地元のオヤジが数名、スポーツ紙を読みふける。絶対カープファンに違いない。悪口ゆーたろか。後は化粧の濃いオバハン。夜んなったらマラカスとかタンバリン振っとるんだろーな。
昼下がりの店内風景は、どこにでもある地域密着/常連のオッサンオンリー/ダサダサの喫茶スナックそのものだ。私は恐る恐る口を開いた。
−−−−あのー、温泉、入らせて欲しいんですけど。
−−−−ハイ!結構ですよ。300円です。
−−−−!?
へーえ、入れるんだ、ちゃんと。打てば響く返事に、逆に驚く。
厨房の横の細い廊下の奥が、3人も入れば一杯の浴室だ。緑色のタイル張りの湯船には熱い湯が溢れる。勿論、客は私だけ。多分温泉だけだと赤字だろう。
ガラス越しに谷川をボーッと見つめながら、私はユックリと足を伸ばした。気付かなかったが、対岸は何か大きな建物跡である。それは旅館のようでもあり、廃鉱のようでもあった。シュールな時が過ぎて行く。
出てから尋ねてみようとして、止した。どうせ大したモノではあるまい。聞いて納得するよりは、この奇妙な喫茶スナック「温泉」の、とてつもなく華に乏しいが不思議な感触を損なわないように、あれこれ想像する方が楽しそうに思えたのである。
冷鉱泉は近年確実に減っている。どんなに姿を変えてもいい。こんな得体の知れないのは、いつまでも健在で居てほしい。 |