「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
円環運動の迷宮


最近のゼニスの大ヒット作、グランドクロノマスターXXTオープン。お茶目な表情

 30代の半ばすぎまで、腕時計ってモノをしなかった。

 町には駅でも店でも時計があふれてるし、ケータイにだってPCにだって時計は付いてる。家に戻ったって、ビデオはもとより、炊飯器や風呂の給湯器のスイッチにだって時計は付いてる。
 要は必要を感じなかった。いや、むしろ何だか時間の奴隷になるような気がして、唾棄しさえもしてたし、そんなものが何がしかのステイタスの証だとばかりにつけることが浅ましい所業とも思ってた。それに腕に日焼けの跡が白く残るしね。
 それでもあるとき会社から時計をもらって、つけてないと何かと周囲からチャチャを入れられるのがうっとぉしくて、不承不承つけるようになったのだが、ほとんどは外して机の上に置きっぱなしになっていた。そのまま忘れて帰ったことだって何度もある。

 それが今やいっぱしの機械時計マニア気取りだ。ユダだ。転びバテレンだ。

 そもそもの不幸の因子は、おれの耳年増的な知識量によるものだろう。腕時計に興味がないくせに、世界三大ブランドであるパテック・バシュロン・オーディマの名前くらいは知ってたし、ロレックスはまぁともかく、オメガが欧米ではごくありふれた大衆ブランドで、そんなもんをありがたがるのが日本人くらいだ、ってことも知ってた。

 だから、他人がいい時計してるの見ても、マジでうらやましくもなんともなかった。口では「おお〜スゴいっすね〜、さすがエグゼクティヴはちゃいまんなぁ〜」とお追従言いつつ、ハラの中では舌を出してもいたし、ビンボくせぇ知り合いのおネーチャンが、ボーナスを何年か貯めてロレのコンビのデイトジャスト(無論10ポイント入り、笑)買って自慢げに見せられたときも、口では絶賛しながら「オメーはだからいつまでたっても田舎モンでビンボくせぇんだよぉ!」と心の底で悪態をついてもいた。

 それが今やスイス時計だ、マニュファクチュールだ、と来たもんだ。どうか変節漢、と呼んでください。

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 おれの職場に社外の業者がよくやってくるようになったのは、4年ほど前のことだった。

 いやもうコイツ等が揃いも揃ってエエ時計してやがるんだわ。ロレのデイトナやエクスプローラーT、ヴィンテージのよぉ分からんのにカルティエのパシャ、ブルガリのアルミ、ジラールペルゴの7500・・・・・・全部チェックしたワケぢゃないけど、まぁおしなべてどれもお高い代物ばっかしやおまへんか。
 おれは会社の同僚や上司たちを見回した。改めてよく見るとどいつもこいつも会社からの頂き物ばっかしてやがる。そうして思った。

 --------何なんだ!?このイケてなさは!?

 安いからイケてないっちゅー気はないし、みんな質実剛健ないいヤツなんで、そもそもまったく腕時計なんぞには無頓着なのだが、やはりその事実は、変なところで実質本位を売り物にする会社のカラーに、全員が画一化して染まってることの証左のように思えた。
 そしておれもまた、知らず知らずその没個性に足を踏み入れようとしている。耐えられない不愉快さを感じた。

 --------腕時計を買おう!

 猛勉強が始まった。おれにしては珍しく(笑)、金の心配はなかった。

 まずはコンビニで売ってるような腕時計雑誌から。まぁ、「時○王」とかナントカ、毎月毎月飽きもせずロレとオメガだけでネタが続くなぁ、と感心するようなヤツですわ。
 しかし、バカにしてはいけない。これには大量の格安店や質屋の情報が載っていて、ブランドの新品・中古の実勢価格が分かる上に、逆読みすればガキの好むモデルも良く分かる。隈から隈まで読み込んで、おれはまずベーシックな知識を習得したのだった。
 それから1ヶ月、だんだん読む本のスノッブ度を高めて行って、にわか仕込みとはいえおれは、ブランドと代表モデルを100ほどそらんじれるくらいにまで知識を詰め込んだのである。それはもうすさまじい努力だった。これくらい大学でも学業に打ち込んでりゃ、おれの人生はもっと違ったものになってたろう(笑)。

 知識は揃った。何せ場数勝負のケンカや料理、セックスと違って、腕時計購入はそれなりの高額ゆえにイッパツ勝負であるから、事前の十分な学習は絶対必要だろう。

 あとは実行するのみ。

 最終的に絞り込まれたのは、なんだったっけ?ちょっと記憶がアヤフヤになってきたが、ええ〜っとクロノスイス、ゼニス、ジャガールクルト、ちょっとミーハーにフランクミューラーやパネライも候補に上げたかな?
 それらの中から、中身はスゴいが見た目が50年代っぽくて地味なゼニスに決めた。ブランド的にもおれの読みが正しければ「来る」に違いない。ちょうどメーカーがLVMHグループの傘下に入って、妙に値段が上がり始めてた頃で、今を逃すと買える値段でなくなりそうな気がしたのも大きかった(※)。

 知らない人にちょっと脱線して説明すると、機械時計の基本的仕組みは200年以上変わっていない。ゼンマイの戻る力を「振り子の等時性」っちゅー原理で、ヤジロベエ状のもので寸止めにしながら動くものだ。その1時間あたりの動きの数を振動数(ビート)と呼ぶ。一般的には18,000振動が下限でロービート、21,600振動がフツー、28,800でハイビートと呼ばれる。振動数が多い方が精度が出しやすいのだが、摺動部分の磨耗はそれだけ大きくなるし、ゼンマイのもち時間が短くなるので、これ以上はない・・・・・・ゼニス以外は(※)。
 ゼニスは現在生産される唯一無二の36,000ビート、オマケに部品点数が多くて精度が出しにくいと言われるクロノグラフのムーヴメントなのだ。その名を「エル・プリメロ」という。間違いなく、量産品としては世界一のムーヴメントだ。他社にも供給されており、通常は汎用ムーヴを使っていることは隠される中にあって、こいつだけは使用してることが「ウリ」にされることからも、その位置づけが分かるだろう。

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 かなり不純でヘンな反骨精神からおれは機械時計の世界に足を踏み入れたのに、勉強するうちに機械時計の面白さが分かってきた。何てーか、犯罪者が山奥の村に逃げ込んで坊さんのフリしてたら、間違って村人に慕われて本当の仏心に目覚めたようなモンだ(笑)。

 時間という永遠を、ゼンマイと歯車による素朴な円環運動のからくり仕掛けの中に閉じ込めようとしたその構造は、稚拙だが巧妙に作りこまれた人口楽園のような、狂王が目指したミクロコスモスのような、あるいは子供の頃にグリグリと回して遊んだデザイン定規の模様のような、不思議な原初の驚きに満ちている。

 そもそも、何でちゃんと時間が合うのん?思わへん?クロノメーターになると1日数秒の誤差でっせ、たかがゼンマイと歯車だけでできたものが。

 さらにはさまざまな仕掛け、クロノグラフやGMTなんて序の口だ。回転運動を無理やり往復運動に置き換えたレトログラード、スプリットセコンドのアナログ版であるラトラパント、アナログデジタルなジャンピングアワー、重力誤差へのあくなき挑戦の賜物のトゥールビヨン、死んでからも正しく暦を刻むパーペチュアルカレンダー、オルゴールのようなミニッツリピーター、天体運行をも腕に私有しようとするアストロスコープ、艶笑カラクリのオートマタ・・・・・・。

 機能がもはや機能としての有用性を持ちえないほどマニエリスティックに、直径わずか3〜4cmの空間に詰め込むその執念は、やはり端倪すべからざる人類の英知の結晶というしかないだろう。

 ・・・・・・ってむつかしい言い回ししなくてもいいよね。オトコはメカがやっぱ好きなんだよ。オマケにお洒落ぢゃん♪

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 ともあれ、おれは晴れてスイス高級腕時計、とやらのオーナーになった。マニュファクチュールだぜ!エッヘン!みたいな(笑)。しかし、それで別段オンナの子にもてるようになることもなく(どだいゼニスなんて誰も知らんがな、笑)、生活に何か変化が起きたわけではない。
 しかしサムシングケイムオーヴァーミー、確実におれの中の何かが変わった。一言で言ってしまえば、おれは虚栄の傲慢と快感、自覚と矜持の味を知ったのだ。正直、その味は意外に悪くないと思った。

 おれは今、「虚栄」と言ったが、便宜的にそう書いただけだ。虚栄は必ずしも虚しくはない、それなりに大きな価値があるのだ、ということを体感した。
 普段の会社での身なりとか、フレグランスとか、それまであまり気に止めなかったことにおれは少しづつ気を遣うようになってきた。ハハ。それまで余分な金あったら、全部休日の遊びに回してたからね〜・・・・・・って、ヲタ体質だなぁ(笑)。

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 ゼニス買ってしばらくしたある日、所用で元の上司で今は栄転して職場が変わった人のところに出かけたときのことだ。袖口を見るとかつての会社からの頂き物はどこへやら、オメガの金銀コンビでクオーツのコンステをしてる。おれは近眼だがこぉゆう捨て目が異常に利く。ま、いいトコ20万円コース。ありきたりな選択だ。進学・就職・結納返しにはオメガをどうぞ、ってか。
 おれはすかさずおべんちゃらを入れてやった。

 --------おっ!コンステレーションぢゃないっすか〜!やっぱもうVIPですもんね!昇進祝いですか?

 彼は照れながらも満面の笑みでいつものイヤミたっぷりの調子で答えた(ま、憎めない人で、おれは慕ってるんだけどね)。

 --------まっ、キミも頑張って、こぉゆう時計ができるようにはやくなんなさいよ!

 ・・・・・・その時、腹の中でおれは哄笑していた。むろんその笑いが、「俗をさらなる俗で凌駕する」優越感であったのは言うまでもない。こむつかしい高尚で決して低俗は粉砕されない。

 虚栄の持つ意義のよじれた奥深さまで、おれは不惑にしてようやく知ることができた。なんだかとてもいい買い物したと今は思ってる。おればっかいい思いするのも申し訳ないんで、ヨメには分かりやすいところでカルティエのタンクフランセーズを買ってやった。もう、過去の自分からすると神をも畏れぬ所業だ。

 次はジャガールクルトの「レベルソデュオ」か、ランゲアンドゾーネの「ランゲT」でも買ってこましたろ、っと。


※予想は当たった、っちゅーか当たり過ぎて、今やゼニスはおいそれと手の出せないラインばっかりになってしまった。

※かつてはセイコー等にも存在したが、今はない。クロノグラフで36,000ビートは後にも先にもゼニスのみである。また、今は機械の工作精度が上がったので、ロービートでも十分に正確な時間は刻める。


まるでアシュラ男爵のような両面野郎のレベルソデュオ


アシンメトリカルなフェースが独特の端正な緊張感、ランゲT

画像はいずれもhttp://www.u-s.co.jp/より
2005.10.07
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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