「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
復活の日


いつまでたっても80年!?(笑)

 スノボに出かけるので、クルマを掃除して、ついでにタイヤに空気も入れてガソリンも満タンにしとこうと、近所のガソリンスタンドに行った。ここには「吉野家」が併設されている。ちょうど昼時だったこともあり、ついつい入ってしまった。

 見れば「2.11 牛丼1日のみ復活」とポスターが出ている。さらに帰りに手渡されたパンフを見ると、ウソかまことか日本中の米国産冷凍牛肉の残りで牛丼に使えるものをかき集めて、1日分の仕込み量を確保したのだという。

 とにかくアメリカの牛肉でないと、自分たちの味が出せない、と頑なにこだわって牛丼を封印してはや1年。「松屋」や「すき家」「なか卯」等々の他チェーンがじれてオージービーフやら何やらで牛丼を再開させる中で、あの手この手で代用品で吉野家は何とかしのいでいる。
 しかし、やはり以前のような活気は感じられない。安いだけでカレー丼は美味くないし、豚丼は何とか安定してきたとはいえ、味はやはりも一つだな、やっぱし。

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 思えば吉野家の来し方は、順風満帆ではない。

 70年代の半ばくらいだったろうか、初めて大阪に店ができたのは。どだい「牛丼」なるものはそもそも関西になかったんで、物珍しさもあって、家族で食いに言ったような記憶がある。さらに記憶が正しければ、当時の価格は並が400円、大盛が500円だった。当時の給与水準とか考えるとかなり高いけど、外食と言う行為が非常に高くつくものだった時代なので「美味い・安い・早いの三拍子、牛丼一筋80年」のキャッチコピーはそれほど間違ってもいなかった。
 まぁ、あのペラペラのマクドナルドのハンバーガーだって当時は210円だったような気がするから、ホンマ外食業界は安くなったもんだ。個人経営の定食屋がやりにくいのも分かるよなぁ。

 食った印象はさほど残ってない。「スキ焼きをぶっかけたようなものだ」とか「関東は味付けが濃い」などと聞いてたので、もっと甘辛いものを想像していたら、意外な薄味だったので驚いたことだけは覚えている。感想は「こんなもんか〜」で、正直、さほど美味いとは思わなかったな(笑)。

 ともあれ吉野家はその後も快進撃を続け、全国展開はおろか、やれアメリカに進出して「ビーフボウル」と呼ばれてるだのなんだのと話題は振りまいていたが、そのうちだんだんおかしくなってきた。

 値段が上がり始めたのだ。
 並400円がそのうち450円になった。
 しばらくすると500円になった。
 そして気づくと550円になっていた。味噌汁とおしんこつけると650円だ。

 昭和55年頃の話である。当時、ちょっとした定食なら500〜600円くらいだったので、どう考えてもこれは高すぎる。多分この記憶に間違いはない。なぜなら、当時通ってた天王寺の塾の隣に吉野家があって、そこの店頭の料金表見て、「いくらなんでもこりゃ高いよなぁ」って思ってたのだ。それが証拠に客は昼飯時や夕飯時でもガラガラだった。
 素人目にもコスト意識や経営努力をしていないことは明らかだった。

 そうしてそのまま倒産したのは、昭和50年代の終わりだったと思う。典型的な放漫経営の果ての自滅のような顛末であった。その後、彼等が西武はセゾングループの傘下で再建を目指すことになったのは周知の通りである。

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 大学に入って下宿した修学院の町を通る叡電の駅前は閑散としていて、さほどのメインストリートでもなく、町自体京都市内の北方で、人通りも人口も大してないはずなのに、なぜか角に吉野屋があった。学生が数多く下宿していたからかもしれない。
 京都府下にいったい全部で何軒あったのかは知らないが、当時の京都といえば「餃子の王将」が我が世の春を謳歌していた時代であり、その他の外食チェーンはなかなかその牙城に食い込めずに苦戦していたはずである。実際、繁華街近くや郊外の国道沿いでもそんなに多くはあの黄色い看板を見た記憶がないので、いささかこの修学院店は妙な立地であったと思う。

 さて、京都市内の吉野家は王将に対抗するために他所より100円安い、と言われていた。実際、当時の定価は並で下宿し始めた最初の頃が250円、しばらくしてちょっと値上がりしても270円だった記憶があるので、本当に100円引きだったのかも知れない。何ぼ一回ツブれて再建中の身とはいえ、それまでの半額とは思い切った価格破壊戦略だ(※)。

 しかし、強敵王将の方は「餃子のタダ券」を三条大橋の上や大学の近辺でバンバン配りまくっている。あまつさえ、それ以外にも春巻・軟炸鶏(←トリの唐揚げね。エンザーキーと読んで♪)・ラーメン等々の半額券も配りまくっている。どう考えてもメニューアイテムの寂しい吉野家の方が分が悪いのは明らかで、値引きにもかかわらず店はあまり流行っているとはいえなかった。
 それでも24時間営業は便利なもので、下宿から近いこともあって、店が全部閉まった夜中に酒の肴が不足したときなど、お持ち帰りで牛丼やら牛皿を買いに行くことがボツボツあった。そういやいつだったか、牛皿とおしんこだけでベロベロになるまで店で飲んだこともある。最低の学生やな(笑)。まぁ、まだ風営法施行前で一人あたりの酒類の制限がなかった頃のことだ。

 とは申せ、個人的には一乗寺の白川通沿いにあった「なか卯」の方をむしろ贔屓にしていたような気がする。今は味付けが吉野家と似たものに変わってしまったが、当時はちょっと違った路線で甘辛くてスキ焼きっぽく、さらに値段も少し安かった。おれは今ではすっかりパチンコをしなくなったけれど、学生時分は人並みにはやっていたので、通りを挟んだ反対側のパチンコ屋に行った帰りとかに立ち寄ってた・・・・・・無論、負けた日は、だ(笑)。

 京都での商売がなかなか上手く行かないのに業を煮やしたか、そのうち吉野家は「そぼろ丼」なるものを出した。値段は驚異の200円!!味噌汁つけても並より20円安い!(笑)。
 内容は何てことない。そぼろがご飯の上に載って、さらに色合いにグリーンピースがあしらわれているだけだったが、安いものに目のないおれは、いい加減「餃子のタダ券」が底を尽いてきてたこともあって、それまでの不熱心な訪店回数はどこへやら、かなり食った気がする。1ヶ月くらい昼はほとんどこれ食ってた時期もあったな(笑)。

 しかし好事魔多し(笑)。このそぼろ丼、おれみたいな不心得な客が多かったのだろう、吉野家の売上アップにつながるどころか、定番の牛丼の足を引っ張ってしまった模様で、いつの間にかメニューから消えてしまった。
 全国的にも他で販売されていた話はないようで、この話を人にするとほとんど信じてもらえない。京都も、それも修学院だけの限定メニューだったのかも知れない。クダらない情報の宝庫である、2ちゃんのスレにも出てこない幻のメニューだ。

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 過去の左前の時代を乗り越えて、吉野家は今や全国一の牛丼チェーンになった。松屋の猛追を受けてるようだが、それでも「吉野家」が牛丼のデファクトスタンダードであることは間違いなかろう。マクドナルドの半額戦略には250円で対抗し、販売休止前でも280円だったような気がする。とにかく安い。

 正直に言うと、いまだにおれにはそんな取り立てて美味しいものとは思えない。牛丼そのものもだが、七味も何だか陳皮ばっかしのワケの分からない配合の代物だし、紅ショウガだって梅やしその味のあまりしない、塩味だけみたいなものだ。しかし、何かいけないおクスリでも入ってるのだろうか、不思議とたまに無性に食いたくなる。典型的なマズウマ、だな(笑)。

 こうして考えると、言っちゃ悪いが、売ってるものは、実に詰まらない、ジャンクフードのそしりにも甘んじざるを得ないようなモノだ。しかし、そんなモン単品で生業を成り立たせ、大打撃を覚悟の上でこだわりをもって封印し、自分たちが納得できる原料が入手できるまでは再開しないという、ヤセ我慢に近い矜持に、おれは何だか共感を覚える。メーカーの良識、とまでいうとホメすぎだろうが、一つの見識ではあろう。

 頑張って欲しい。

※:ひょっとしたら最初の頃は350円で、そのうち値下げになったのかも知れないが、何せ酒ばかり飲んだくれてたのでその辺の記憶があやふやである。

附記:
 新聞によると2.11の限定復活は、アッという間に売り切れだったそうな。みんなやはり「無性に食いたい」のだな〜(笑)。 

2005.02.13
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