「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
「地震雲」の話


阪神大震災の前日に撮影された「地震雲」と言われるもの、ホンマかなぁ・・・・・・


 家に帰ると食卓の上に懐中電灯が数本並べられてある。

 どないしたんや?とヨメに尋ねると、近所の奥さんから、横浜の方で地震雲らしきものが出てたってニュースをやってたと聞かされたとのこと。つい先日、新潟で中越地震が起きたばかりだし、その直後には北海道で立て続けに大きく揺れてるし、この数年、以前より大きな地震が増えているような気がするし、不安になるのも無理はない。
 何より、阪神大震災をおれたちは体験している。あれはマジで怖かった・・・・・・と言っても当時住んでたのは大阪の北摂なので、さほど大きな被害があったわけではないが、それでも過去に体験したことがないほどの激しい揺れだった。
 同じマンションの多くのご家庭では食器棚が倒れたという。幸いおれの家は、ゆれの方向に対して長辺が平行になって置かれてたせいか、棚は倒れずに済み、瀬戸物がいくつか落ちて割れた程度で済んだのだったが、ともあれそれからの数ヶ月、仕事上でも復興支援に関わったりと、おれんちではやはりあの震災は、恐ろしい体験として残っている。

 「地震・雷・火事・オヤヂ」とはよく言ったもので、同感である。あらゆる天災の中で、予測不能で被害が甚大という点で、地震はもっともおっかないものだろう。

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 ときにみなさんは「地震雲」というものを信じておられるだろうか?

 元々は奈良の市長だった、鎌田なるオッサンが長年の独自の研究の結果、地震との因果関係がある!と発表した、要は「ヘンな形した雲」のことである。その主張に従うならば、震源の方角や規模なんかも分かるんだそうな。
 無論、在野の研究だから、科学的な立証がされたものではない。震源ったって、あれは「点」ではなくて「面」なのだから、「方角」なんていささか奇妙だと思うし、「震源の方向に収束する」ったってそれは、単に一点透視の遠近感の問題のように思えるので、正直なところ、トンデモ本に近い主張のような気がするのだが・・・・・・。

 しかし、阪神大震災の直前に撮影されたという、一枚の不思議な雲の写真が発表されたことによって、「地震雲」は確かにあるものとして、今では何だかスッカリ社会的に認知されてしまった。岡山の方の大学の弘原海センセ、って〜のが主催する団体・PISCOの本が大々的に取り上げたのである。
 何とか事前に予知して犠牲者を少なくしたい、という崇高かつ純粋な気持ちからご本人が地震予知やってることは理解できる。けどしかし、言っちゃぁ悪いが、冷静にその活動を見ていると、結果的には風説やデマの流布の片棒担いでるだけの気がする。現にいつだったか、「*月*日頃地震が起きそうです」なんてやっちゃって、ちょっとした騒ぎになったことがある。学者としては勇み足過ぎるわ。大阪で言うところの「イチビリ」やで、センセ(笑)。

 かようにあやふやさ、根拠の薄弱さにおいて「地震雲」はつまり、能見ナニガシっちゅーヘンな親子の編み出した血液型性格判断に近い単なる「仮説」に過ぎない。明確な因果関係も、統計上信用できる有意な結果も、何も立証されてはいないのだ。

 ・・・・・・ここまで書くと、言うまでもなくおれが宏観予知に興味はあるものの、地震雲否定派であることはお分かりいただけたことと思う。ところが、話はここでは終わらない。

 それにもかかわらず、だ。これだけ否定したのに、だ。・・・・・・実はおれはこの雲に関してこれまで2回、「やはりあれは地震雲だったのではないか?」と思わざるを得ない経験をしている。ちょっとそのことについて触れてみよう。

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 調べると1978年(昭和53年)であるから中学の終わりくらいだったことが分かる。当時住んでた家の窓からは、金剛山〜岩湧山〜南葛城山といった、大阪と和歌山を分かつ山並みが一望できたのだったが、とある夕方、その上空にこれまで見たこともない不思議な雲が出ているのにおれは気づいた。
 境目が真っ直ぐで、あたかも空が水平に断ち切られたように上が黒雲、下が白雲となったものが、山の上空からはるか泉南の方にかけてズ〜ッと続いている。その果ては見えなかった。
 両親共に家にいた記憶があるから日曜だったのだろう。まぁ日頃からニュースに乏しい人々なので、ヘンだヘンだと騒ぎ始めた。父親は相変わらずのしたり顔で「あれが奈良の市長さんのゆわはってる地震雲というもんちゃうか」などと言ってる。笑うに足りることだが、何せ権威に弱いので、「奈良の市長」ってだけで信じてたのかもしれない。
 確かに何とも薄気味の悪い雲ではあった。雲なのに直線、というのはいかにも不自然で、見れば見るほど何らかの不吉な凶兆のようにも思えてくる。

 とはいえ、別に雲以外なにも変わったこともなく、その雲にしたってずっとそのままで動きもない。要するに見飽きてしまってその日はそれで終わった。
 そうしてその翌日、宮城県沖地震が起きた。正直、あれが地震雲っちゅーモンか、って中坊のおれは思った。

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 さて、時は下って1983年(昭和58年)、おれはすでに大学生になっており、バイトのないときは件の喫茶「U」に入り浸っていたのだが、これもとある夕方だった。店を出たおれは北山の方の山々の上に、前段に述べたとおりの雲が出ているのに気づいた。
 形状は全く以前見たものといっしょだった。おれはツレに言った。

 ------明日か明後日、地震あるかも知れんで。
 ------何で分かるねん?
 ------いやぁ〜、ああゆう雲を昔も見たんやな。ほしたら次の日に宮城で大地震あってん。
 ------どこに来んねんな?
 ------それは分からんわ。
 ------分からんかったらしゃーないがな。
 ------そらそやわな。

 その夜、例によって例のごとく飲んでて再びこの話が出たが、当然マトモに相手されるワケもなく、第一おれ自身が半信半疑なものだから拘泥する気もさらさらなく、そのままになってしまったのだが、やはり翌日、今度は秋田県沖を震源として「日本海中部地震」が発生したのであった。
 それから1週間くらい、おれは少し人気者になった(笑)。

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 人によってはこれで地震雲信仰の道に入ってもおかしくないだろう。しかし、どうしてもおれは自分が体験しながらも信じる気になれない。理由は簡単である。箇条書きにしてみよう。

 1.そんな地下の異変がどうして上空何キロかの、それも地震が発生する地域からはるか何百キロも離れたところに現れるのか?その合理的・科学的な説明がなされていないし、空にそんな影響か出るくらいなら、地上にはもっと異変が起きるはずではないか?

 2.何かの事象Aが発生すると、何か事象Bが継時的に起きる、また事象Aが起きなければ、Bも起きない、っちゅーのが、因果関係だとおれは思うが、この点で「地震雲」とやらと地震の間に、今のところ納得できる合理的な説明がない。

 3.実は毎日空を見ていると、何がしかのヘンな形の雲は、かなりの頻度で出現しているのではないか。

 4.おれ自身大阪に暮らしていたにもかかわらず、阪神大震災について、何らかの異変を事前に感じることは全くなかったし、変な雲も一切見なかったのは何故か?当時は徒歩通勤していて、空は毎日見ていた。

 5.色々言われるものは全て後予知でしかない。事前に公表され、きちんと発生時期・場所の予測になった地震雲はまだない。

 ここで誤解のないように申し上げるならば、おれは何も、「地震雲なんて絶対ありえない」と思ってるワケではない。あっていい。あって、それでホントに因果関係が証明されれば、たとえ地震そのものが不可避でも、お手軽かつ確実に被災者の数を減らすことは出来るだろう。実現すれば、それは素晴らしくもありがたいことだ。山古志村の手塩にかけて育てられた宝石のようなニシキ鯉だって、事前に安全な場所に移せたろう。
 ただ、現状は確たる証拠も何もないのに、迷信や民間信仰に近い「地震雲」が垂れ流しで一人歩きしているのが実態だ。おっちょこちょいの大学のセンセまでがアテられてしまうほどに、だ。それって「デマ」や「風説の流布」に他ならない。血液型にしたってそうだが、世の中がそんなデマにアテられやすくなっていることがとても怖い。冷静さが求められる災害時に、それはもっとも危険なことではないか?と言いたいのだ。だから敢えてNONを唱えたいのである。
 百回探して人を疑え、ではないけど、もう少し物事を信じるのも慎重になった方がいいような気がするんですわ。

 なるほど文明は進化している。しかし、おれ達の「民度」というか「知的レベルは」どうなのだろう?と考えるまでもない、大して何も変わっていない。それどころか、むしろ退化しているような気さえする。お寒い限りである。
 メディアだってそうだ。いたずらに無責任な大衆煽動という点で、講談社の「週刊現代」や「フライデー」の地震のアオリ記事は100年前の「東京二六新聞」とさして変わってないどころか、より悪質になっているのである。

 加えて情報化社会のおかげで、市井のデムパな人でも容易に目立てる時代になってるのがこれまた怖い。地震予知サイト、なんてーのも立派にいちジャンルとしてWEB上には確立されているのだが、ここの掲示板とか覗くと、もう地震雲なんて当たり前すぎて、詰まらなく思えてくる。
 やれ「自衛隊のヘリが飛んでった」「夢見が悪かった」「電卓の数字がヘン」「数値が高い(この人は自作の妙な温度計のようなものを使用しているらしい)」・・・・・・地震の心配する前に、精神科で診てもらうコトを強く推奨したいキティガイな人々があふれて、ひねもす毎日、飽きもせず「予知」をしている。
 ヘタな鉄砲も数撃ちゃ当たる、毎日やみくもに「予知」してりゃその内当たるわなぁ、そりゃ(笑)。

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 災害を生き抜いた全ての人に共通すること、それは「沈着冷静な我慢強さ」に尽きる。慌てず騒がず、冷静に自己の置かれた状況を観察し、あらゆる情報に対して容易に判断を下さず、また安易に行動を起こさず、基本的には消耗を避けてジッと待ち続けた人が生き残っている。

 だからおれは、普段のバカ話では「地震雲」を取り上げたりはするものの、今のところホンネの部分で「地震雲」に否定的であり続けるのだ。こんなんごときに踊らされるような性根では、生き残れんからね♪

2004.12.11
----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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