「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
図書館通いのジジィ・ババァ


国会図書館の内部だそうです・・・・・・東京にいるうちに一度くらい行っときゃ良かったな・・・・・・。。

https://media.moneyforward.com/より

 ・・・・・・にだけは絶対なりとぉない!って思ってる。

 いや、断じて図書館に行かない、って言ってるワケぢゃないよ。たまに行く分には全然構わない。構わんです。予算とあとは司書のセンスにもよるんだろうけど、とても個人では買えないような高価で場所取る大型本や専門書をビシッと揃えてくれてたりすると、そらやっぱしありがたいですもん。写真集とか画集とかホンマ、家やとすぐに本棚一杯なりますやん。財布は空っぽになりますやん。あと郷土史とか発掘調査報告とか、その手のマニアックなんとか・・・・・・ただ日課のようにして毎日は行きたくはない、っちゅうコトだ。

 実は子供の頃から、本は濫読する鬱陶しいガキなのに図書館はどうもニガテだった。ついでに言うと学校の図書室も。以前も書いた通り、おれは家にあった本もさることながら、本屋の立ち読みで色んな知識の大半を身に付けた。今は亡き南海高野線・金剛駅下の水嶋書房、あの店がまだ階段降りたトコの、今ではカステラ屋になってる小さな店だった半世紀近くも前、おれは店のオバハンにたまに注意されつつも沢山のことを識ったのである。ついでに言うと速読も習得した・・・・・・だって早う読まんとオバハンに叱られるからね。けどたしか坂道の上にあった市役所の出張所みたいなトコの小さな図書館なんかは行った記憶がない。小学校の図書室はまぁ、たまに覗いてたかな?ポプラ社の「少年探偵団シリーズ」とか小学館の「**入門」みたいなんはここの蔵書で読破したような記憶がある。

 図書館の何が苦手って、まずあの不自然なまでの静けさが嫌いだ。「しわぶき一つない」なんて言うけど、人はそれなりにいるにも拘らず広い館内の空間が静寂で満たされてる、っちゅうのがどうにも馴染めない。息が詰まりそうになる。
 次は本が大抵は古びてボロくなってるのがイヤだ。どうもその辺は日本人の公徳心の欠如ではないかと思うが、何でこんなにクタクタのヘロヘロになってんねん!?ってな痛み方をしてる本がやたらと多い。古文書ぢゃあるまいしねぇ。何だかそんなんから得られるモノになんてロクなんが無いように思えてしまう。
 3つ目は悪書が置かれてないことだ。悪所も悪書も人間にとって必要不可欠なモノなんだけど、見事にその辺は公序良俗とやらのフィルター掛けられちゃってて、俗悪・猥褻・煽情・低劣なモノは排除されちゃってる(・・・・・・マレに紛れ込んでることはあるが)。これってどこの馬の骨とも知れんスタッフに、無神経に自分の世界を侵犯され蓋されてるような不快さがある。
 4つ目は無料ってコトだ・・・・・・え!?意外なコトゆうねえ〜、って!?いや、そらおらぁケチっすよ。吝嗇スーパーテヒニカ、っちゅうやっちゃね。でも、何の苦労も無しに知恵なり暇つぶしなりなんなりがスルッと手に入るっておかしいと思いません?無料は感謝・感激・感動といった専ら「感」の付く人の気持ちを鈍麻させ、人間をダメにする。タダにも貴賤はあるのだ。マイナンバーなんてやったんだから、所得に応じた対価をキッチリ取りゃぁエエんだ。

 そんなんだからおれは図書館で勉強、なんてのもやったことがない。あ!ちゃうちゃう!高校生の時に一度、天王寺の図書館で試したことがあったがどうにもムリだった。あと、卒業論文書くのに調べ物で大学の図書館にちょっと行ったっけな。こりゃ必要に迫られてだから仕方ない。

 ビブロフィリアなクセに図書館にはつまり、これまでロクに行かなかったワケだ。

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 ところが、最近ちょっとした変化が起きた。実はおれではない。何とこれまで読書とほぼ無縁だったヨメが、急に図書館で本を借りて読むようになったのだ。地震でも来るんちゃうかと不安になって訊いてみたら、買い物のついでとかに寄りやすいんで試しに覗いてみたら意外と手続きとかカンタンだったんで、それで何冊か借りてみたんだけど悪くない、などと言う。付け加えると、どうも永年ペーパードライバーだったのが運転覚えたのも影響してるっぽい。ま、本って重いもんね。
 へぇ〜っ!?と思って一緒に行ってみたら、たしかに田舎町の図書館にしては建物リッパだし、ナカナカ大した蔵書数だ。書架に出してない本なんかも相当持ってるみたいなのも興味をそそられる。

 ・・・・・・しかしやはりよぉさん居りよるんですよ。おれがなりとぉないなぁ〜、って思ってるような雰囲気のジジィ・ババァが。おらぁたまにしか行ってないからホントのところは分からんけど、「あれ!?コイツこないだも居ったよな!」って、恐らくは皆勤賞モノのレギュラーメンバーが相当数館内に居ることに気付いたのだ。

 キメ打ちな結論から言うと、図書館に日参する年寄りの大半は「金の無い人たち」、「家に居場所の無い人たち」、「することが無い人たち」、そして「老いてなお向学心のある人たち」である。
 まぁ、金が無いのはしゃぁないわね。おれだって無いし。無いモンは無い。無い中で工夫した結果が図書館通いならまだ分かる。ちょっと出掛けただけでも高速代やらガソリン代で1万円くらいすぐになくなるんだしさ。居場所が無いのもしゃぁないわだ。息子の嫁に冷たくあしらわれたりなんかして、日々砂を噛むような気持ちで過ごしてらっしゃる方も多いだろう。することが無いのも分かる。これまで特に趣味らしい趣味も持たず、目の前の仕事に黙々と励むだけだった人がそんな急に何かでけまっかいな、っちゅうねん。これらに該当する人の何割かが図書館に来るのは、生暖かく見守るしかない。まぁ、ショッピングセンターのエスカレーター下とかにあるベンチに座り込んで所在無げにしてるよりはマシだろうし、
 これらのカテゴリーの人は、恰好が妙にチグハグだったりする気がする。みすぼらしいっちゅうよりはチグハグ。ジジィの場合、ジャージに革靴とか、ババァだったらパステルピンクのモヘアもどきの粗いフリースにコゲ茶色のお釜帽とか、取り合わせ「の」妙っちゅうよりは取り合わせ「が」妙なのだ。

 最後のパターンはちょっとばかり厄介かもしれない。「人間いくつになっても勉強ですよ!」なぁ〜んて、社交辞令だか謙遜だかで言ってるだけならともかく、ガチでそう信じ込んで図書館に日参して読書に勤しんでるんならちょとヤバい。
 もぉエエ歳なんだから、インプットばっかしぢゃなくアウトプットにもっと労力使た方がエエんちゃいます?ってツッコミたくなるような人が、でもたしかにいるんだな、これが。
 知識欲っちゅうのもそら大事なことだろう。否定はしない。ただしかし、それにばっか没頭してるのはいささかどうかと思っちゃう。亀の甲より年の劫、ちったぁ伝えること、発信することに時間割いたらどぉっすか!?って・・・・・・本人には全くもって余計なお世話だろうが、少し言いたくなってしまう。

 ・・・・・・って畢竟、他人様のコトだからどぉだって構わんのだけどね。少なくともおらぁこうはなりとぉない、って言いたいだけだ。

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 それにしても・・・・・・鹿爪らしく理由を箇条書きで並べてはみたのにどうもイマイチは日光の手前、何となくスッキリしない。チャンと上手く言えてない気がする。何かもっと根本的な部分でおれは彼等を忌避している。

 ・・・・・・数日間あれこれ思いを巡らすうちにやっと分かった。何のこっちゃない。

 おそらく、おれが看取してるのは図書館通いのジジィ・ババァの多くに共通しているであろう孤独と寂寥であり、それに対する恐怖と嫌悪があるから、こうはなりとぉないって思うのだろう。  

2024.01.27

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