「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
付喪神/ホーンテッド/フェティシズム


道具は100年を経ると妖怪になるという(上段がなりかけてるところ、下段は妖怪化したところ)

 ・・・・・・古道具や古道具屋が好きだ。

 近年はリサイクルショップに押されてしまい、昔ながらの店は減少気味なのがとても残念に思う。あの風情が良かったんだけどな。
 そうそう、学生時代、勉強もロクにせんのに机が欲しくなって、北野天満宮の近くの古道具屋でものすごく古風なのを5千円で机を購入したり、東寺の弘法さんで古びてチープなんだけどミョーに味のある徳利が千円って言われて半値に値切ったら、実はそれ夫婦徳利で2本セットで1個250円と破格の値段になったのを想い出す。未だに冬場、燗付けるのに愛用してる。
 まぁ、中古ギターも古道具っちゃ古道具だわな。今持ってるのを数えてみたら、レスポール、ダンエレ、ムスタング、タカミネ、ジャズベ、マンドバード、MR・・・・・・実に7本が中古だったりする。アンプも4台中2台は中古だし、ドラムも大半が中古品だ。思えば新品で買ったソナーのスネアがいっちゃん使ってなかったりして。

 さて、今年中に引っ越すに当たって、大物の家具類は輸送費節約のために処分せざるを得ない。決して断捨離なんちゅうスカして高尚ぶったモンぢゃぁなく、単にそこまで金がないのだ。
 だから現地である程度、収納するための家具を購入しなくちゃなんないが、当然新品なんて無理だろう。しかし、家具なんて最も古道具では溢れ返ってるものの一つで、いつだったか市役所に何かの手続きに行ったら、玄関ロビーに「ご自由にお持ち帰りください」っちゅうてビッシリ並べられてて驚いたことがあるくらいだモン。絶対、安く揃えられるハズだ・・・・・・まぁそもそももぉ余り置かない予定だし。

 そんなんで家だって新築に実はあまり興味がない。現在住まうマンションは新築の分譲だったんだけど、それはヨメのワガママ・・・・・・もとい主張に従ったからで、おれはむしろ中古物件に住みたかった。今度移るトコについても、リフォームについて業者と相談してて、おれがあまりにも現状維持でちょっと手直しするだけで良いって言うモンだから、相手は少々気分を害したかもしれない。そりゃそうだ。手直し箇所が増えるほど商売になるんだもんな。おらぁ雨漏りとか柱が腐ってるとか、そうしたトコはキッチリ直しても、見た目は出来るだけそのままが良かったのだ。

 ------トイレのこの床どうされます?
 ------この玉石タイルそのまま残してください。
 ------えっ?今時、これは・・・・・・
 ------これだから良いんですよ。便器はヨメの意見もあるんで変えましょうか。

 一事が万事こんな調子なんで、噛み合わないこと夥しい。結局、リフォームったって極めて限定的で、壊れた雨樋の修理や外壁修理、台所とそれに繋がる居間、あとは風呂と上がり框周辺くらいになってしまった。随分彼はガッカリしてるに違いないが仕方ない。おらぁ古いモノが古いまま残るコトに意義と価値を感じてるんだから。

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 そろそろ本題に移ろう。道具は100年経つと付喪神になると言われる・・・・・・って、実際は諸説あって、古びて打ち棄てられた道具類が「こんなに黙々と人間様に尽くして来たのに、古くなったらサッサと道端にポイですか!?感謝の言葉も供養の一つもないんですか?あぁ、そぉですか、それならこっちにだって考えありますよ!」っちゅうて妖怪に変化するってのが基本パターンらしい。上掲の図はそれを絵巻にしたものだそうだ。でも、妖怪に変化してもみんな何だかちょっとユーモラスで可愛い。

 付喪神は要するに「モノ」自体が妖怪に変化する、つまりモノと思われるものにも感情や意思があるという考えが基本になってるワケだ。これはやはり汎神論の国ならではな発想だと思う一方で、生物/無生物に関わらず愛情や感謝をもって扱わねばならないという戒めは、冷静に考えればけっこうナナメ上っちゅうか、いささか逸脱して過剰な気もする・・・・・・そりゃぁ誰だって一度は、「モノは大切に!」って叱られた記憶はおありだろうが。

 この思想の系譜の上に、例えば針供養とか筆供養、人形供養なんかがあるんだろう。道具への感謝の祭りとしては他にも沢山あって、茶筅や鋏、鏡、印章、櫛、着物、帯、扇、陶器・・・・・・でも仏壇とか数珠は何か別の意味での供養もありそうでちょと怖い。ちなみに今ではPC、スマホなんかの供養もあるみたいだ。拝むのはともかく、データ消去はチャンとやって欲しいもんだな。お焚き上げしてくれるんかな?

 上で、「汎神論の国ならでは」なんて書いてはみたものの、気になって外国に同じような例はないか考えてみたら、ある程度は存在することが分かった。代表例は映画・「トイ・ストーリーズ」だろう。「ナイト・ミュージアム」なんかもまぁちょっと近い。言い出せば「カーズ」、ひいては「きかんしゃトーマス」なんかも相当しそうだが・・・・・・まぁここまで来ると単なる擬人化だわな。
 それにここが重要なポイントなんだけど、あくまでどれもエンタテインメントのお伽話の域を出ていない。日々の生活に密着した信仰とか祭事性なんかが皆無なのだ。あっちの人にはやはり、モノ自体に神が宿るなんて発想が無いんだろうな。

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 一方で世界中にあるのが「ホーンテッド(呪われた)」って考えだろう。古今東西、例を挙げだすとキリがない。いやまぁ、大島てるの事故物件サイトは、おれも家探しにかなりベンリに使わせてもらったりもした。やっぱしなんかイヤですやん。コワいですやん。キショク悪いですやん。

 「曰く付き」なんて呼ばれるのが全てこれに当たる。ちょっと実際自分で見聞したものを挙げてみると、例えば大阪・藤井寺の野中寺の境内に置かれた通称「朝鮮地蔵」や、修学院の下宿の裏手にあって何度か見た曼殊院の幽霊の掛軸等は、元はどこかの素封家が手に入れたものだったのが、コレクションに加えた(・・・・・・悪趣味なやっちゃな〜!)途端、家に次々と凶事が起きたので困りあぐねて持ち込まれたな〜んて言われてる(・・・・・・客寄せのためにエピソードが捏造された可能性もあるが)。

 或いは、かつて住んでた南海沿線の某駅前のテナントなんかも曰く付きって言われてた。とにかく店が長続きしないのだ。駅前で人通りは十分にある。四ツ角に合ってロケーションも悪くない。現に通りの反対側の店は繁盛してる。隣の店も繁盛してる・・・・・・なのに、その角だけがせいぜいもって1年ほどなのである。気が付くと虚しく西日の当たるドンガラになってる。もちろんテナント料が高すぎたとか合理的な原因があったのかも知れないが、近所のオバハン共は声を潜めるように、「あそこは絶対何か悪いモン憑いてんねんで〜」なんて噂してるのだった。真偽のほどは分からない。GoogleMapで調べたら今は両隣を取り込んで大きなビルになってて、それなりにテナントは定着してるみたいだった。

 要するにモノ自体が感情や意思を持つのではなく、そこに要するに人の霊魂やら怨念、呪詛が憑依するってコトだろう・・・・・・って、おれがハマッてる磐座もよく考えれば似たようなモンだ。本来あれ自体に霊性はない。そこに寄り代として神が降りるんだから。
 ・・・・・・って、ナンボ「モノに憑く」っちゅうたかて、「呪いの爪楊枝」とか「呪いのティッシュ」、或いは最近なら「呪いの使い捨てマスク」なんてあったらマヌケだろうな。「うわぁ〜!取り憑く場所間違えてもたぁ〜!」なんちゅうて。

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 モノ、と言えばフェティシズムについても触れとかにゃならんだろう。ま、ここで言うのは「性的」って付くヤツなんだけど、こりゃもう完全に人の側の問題である。もぉモノはモノとして存在するだけ・・・・・・つまりそれ自体が人格を持ったり、あるいはそこに何かが宿ることはない。

 そう考えると、文明の近代化によって肥大化した人の自我ってヤツが性的倒錯の中にさえ現れてるようにも、そしてまた自我の肥大と共に純粋な対象への感謝や畏敬が失せて行く・・・・・・いわばマッチポンプのの関係のように思える。昨今増える一方なストーカーなんてのも、この文脈で考えると当然の事なのかも知れない。加えて、大量生産・大量消費の時代を迎えたことがより拍車をかけたかも知れない。

 ・・・・・・まぁ、あまりややこしくなってもいけないな。
 取り敢えずみなさん、古いモノは大切にしましょうね。そこには何か宿ってまっせ、多分おそらく絶対に。


有名な曼殊院の幽霊の掛軸。一種の騙し絵になってるのがミソ。
余談だが、幽霊掛軸は上野の全生庵の円朝コレクションがスゴい。


2023.03.02

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