「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
脳に一枚オブラート


近くてまだ分からないコトだらけなのは、脳の中と地球の中。

https://www.kanjukutimes.com/より

 オブラート、っちゅうても今や実物見たことなくて、喩えでしか聞いたことないって人も多いんぢゃないかって気がする。口に入れるとテロッて溶けるセロハンくらいな薄い半透明のフィルム状の物だ。今でもボンタンアメなんかはこれで丹念に包んであるが、セロハンやボンタンアメ自体、今では知らん人多いかも知れないな。あ!あと、田舎の家の炬燵の上のお菓子入れなんかによくあったカラフルで硬いゼリーだか寒天だかもオブラートに1個づつ包まれてたっけ。
 そんなオブラート、何するモンか?っちゅうたら苦い薬を飲みやすくするのに包んで飲むのだ。今みたいに錠剤や糖衣錠なんてのが普及する前、お医者に行って処方される薬っちゅうたら粉薬が多かった。理科の実験で使った上皿天秤ってのに、一包づつ測って油紙に入れてくれたのをこの薄いシートを四つ折りにして袋状にしたのに入れて飲むんだけど、ケッコー顎の裏にくっ付いたりして結局苦い思いをすることも多かったっけ。

 そんなんで、ちょと言いにくい物事を曖昧にボカシて遠回しに伝えるのを「オブラートに包んで言う」なんて言う。今やこっちの言い方で使われる方が一般的だろう。似た比喩には「奥歯にモノが挟まったよう」なんて〜のもあったりするけど、ちょとニュアンスが違う気がする。

 ・・・・・・そんなオブラートが最近どうにも脳に一枚挟まったようなカンジが齢のせいか増えて来た。今回はそんないささか寂しくも滑稽なハナシだ。

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 決して自分が認知症的にボケて来てるワケではないと思いたいし、まだそこまで齢喰ってないわい!って言いたいが、懐かしの赤瀬川原平風に言えば、残念ながらやはりちょっとづつではあるものの「老人力」ってのが付いて来つつあることを認めざるを得ない。ちなみにこの逓増のペースは極めて緩慢なので、日々それほど明確に感じることはないとは申せ、ある日ハッと気付く。何となく「ダルマさんが転んだ」で目を開けて振り向くと、ちょっとづつ鬼が近付いて来てる感覚に近い。いずれはデン(・・・・・・大阪弁で「タッチ」のこっちゃね)されてゲームオーバーになるのは確実で、ぶっちゃけ少しばかり恐怖だ。

 考えがまとまりにくい、適切なコトバがすぐに出ない、理屈っぽい文章を読むのが億劫、注意・集中力が続かない、漢字が書けない、繰り言が増えた、何となくボーッとしてる時間が多い・・・・・・低下、劣化、減退、どれもクソ忌々しいコトバばっかりで心底ウンザリする。でもぶっちゃけこれらはいずれも一般的に老化現象に含まれるモンだろう。悔しいけど認めざるを得ない。

 ほんなんゆうたかてオマエ、何だかんだでこんなして駄文を書き連ねてられるやん、ってなご意見は当然ながらあるだろう。でも、自分ではよぉ〜く分かってるのだ。元々纏まりのない漫談調が少しづつ加速してるコト、言い回しがワンパターン化してるコト、読み返してみるとかつてはそれでもたまには見られたキレが今や殆ど見られなくなって来てるコト・・・・・・いや、最大の証左はこうした駄文がアップされる頻度が落ちて来てるコトだろう。
 一方で好意的に解釈すれば、文章力の低下には若干の効能もあるのかな?って気はしてる。まず無駄にグネグネと持って回った修辞が減って、ちったぁ簡潔・平明で読みやすくなって来てるような気がする。むつかしい漢語や熟語の羅列が、それが芸風なあぶらだこの歌詞ならともかく、生硬に過ぎる文章はやはり宜しくないしね。

 ただ文章自体がホンマ、ある程度のボリュームになってくれんのですよ。以前なら取り敢えずPCに向かってりゃ、大体2〜3時間もあれば2千字くらいはお筆先状態でダダダダーッって打ってしまえたのが、とにかく手が止まるようになったんですわ。相変わらずタイトル先行型なんで、そのお題自体は山のようにあって、そして大体は起承転結やらオチやらイメージはしてるんだけど、そっから先がどうにも膨らんでくれない。プロットだけぢゃそんなん骨格標本みたいなモンで面白くも何ともない。どしたってやはり肉付けが必要なのに、気付くといつしか考え込んで手が止まっちゃってる自分がいる。

 ・・・・・・って、そこまで自虐的に書くことでもなかったりして。

 実は理由は決して老化ばかりぢゃなかったりするのだ。その大きなんの一つに、この数年のコロナ禍による色んな意味での活動縮小が挙げられる。これは間違いない。身辺雑記を基本にしてるだけに体験、つまり情報のインプットが減ればアウトプットも減るのは当然だろう。なるだけ少ないインプットで最大限のアウトプットなんて虫の良すぎるハナシなんですよ。オマケにコロナで改めて露呈した日本って国のみっともなさの中にいて気分も落ちまくってるし・・・・・・あ〜!これもかなりデカいな。モチベーション、ってアレ。
 それが証拠に無聊の手慰みに活発化した楽器関係や今夏までには完了予定の関西方面への移住なんかを下敷きにした文章については、まずまずコンスタントに書けてるもん。平たく言やぁ「ネタ」を仕込まんコトにはどもならん、っちゅうこってすわ。

 あと、何だかんだでこんなおっさんのおれでもスマホ脳みたいになってきてんのかな?って感じる時がある。これも理由の一つだろう。物事には必ず功罪があって、IT化の加速によって何でもかんでもイージーかつ迅速に情報を知ることが出来るようになったのと引き換えに、様々な情報の極端な断片化が進んでいること、またそうした断片の果てしない集積が人の脳の処理能力をオーバーヒートさせたり、思考回路を短絡・刹那的な方向に向けさせてんぢゃないか?ってこと、そいでもって知識の体系的な取得が却って阻害されてんぢゃないかって思えるのだ。

 何で読んだか忘れちゃったけども、平均的な人の一日に必要な判断の回数はこの千年くらいでもムチャクチャに増えてるって説があるんだそうな。判断だからまぁ思考のちょと手前だわな。例えば寒いから暖房のスイッチ入れる、信号が赤だから停まる・・・・・・等々、コトバの正しい定義については良く知らない。まぁ、認知〜判断〜思考、ってな流れの中間くらいぢゃないかって気がする。人の暮らしは無数のそれらとその結果の行動によって成り立ってんだけど、もぉその最初のステップくらいから増えまくってんだと。そしてスマホが普及するコトで爆発的にそんな判断の頻度は跳ね上がってんだと。
 いささか眉唾っちゅうか主張ありきで、結論から逆立ちで組み立ててる感がなきにしもあらずなものの、この説が示唆的であるのは間違いなかろう。おれたちゃ日々暮らすだけで昔より遥かに脳を酷使しており、疲れやすくなってるのだ。もちろん、休ませてばっかしでもアカンとは思うが。

 もう一つ挙げたいものがある。理由っちゅうよりは原因と言った方が正確かも知れない。最早宿痾とも呼ぶべき「肩凝り」だ。これが消長を繰り返しながらちょっとづつ悪くなってってる気がしてる。現に今書いてるこれも、もうすぐ途中で一旦切り上げて整形外科に出掛けなくちゃなんなかったりする。コイツがヒドくなって来ると、ホンマもぉどないしたんや!?って自分に問いたいくらいにボーッとして全然アタマが回らなくなる。血の巡りとはよく言ったモンだ。
 さらには現代人の多くが抱えるこの時期特有の問題、花粉症も随分とアタマをボーッとさせる。幸い毎日食ってるヨーグルトやヤクルトのオカゲか、おれ自身は殆ど影響受けてないものの、これまでそのうち本格化したらどないしよ?もぉアタマ、完全にウニやで。

 ・・・・・・脳に一枚オブラートが掛かる状況って、老化云々以前に案外、現代人に共通する問題のような気がして来た。

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 そんなオブラート、感覚的には現状まぁまだ一枚ってトコだろうが、これが二枚、三枚と増えて来る時がいつかは来るのかも知れない。そうなれば世界は紗が掛かったように霞んで来るんだろうか?意識は世界から隔絶されて行くんだろうか?ヤッパシそれはちょっとイヤやなぁ〜。

 ・・・・・・あぁ、そぉいや春にリフォーム業者と打ち合わせに行った帰り、時間拵えて途中下車して姫路城に行ったら、あの皿屋敷で有名な「お菊井戸」があったっけ。番町って姫路城のコトなんかい?
 ともあれその時、お菊さんは一枚・二枚といつまで経っても足りない皿の数を夜な夜な数え続け、おれはシンネリと緩慢に増え、恐らくは減ることのないオブラートの枚数を数えるんか?っていささか暗澹たる気持ちになったんだった。

 ・・・・・・オチがあるんか無いんだか、いずれにせよどっちも恨めしいのに変わりはない。

2023.03.18

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