「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
小さな奇蹟・鉄ヲタ編

 
「レイアウト・モデリング」表表紙・裏表紙・・・・・・右がその摂津鉄道。

 この前、中村温泉について、っちゅうよりはおれの希求する風景について、鉄ヲタだったガキの頃の記憶を絡めて書いてたら、肝心の温泉についての記述が殆どない、ってな、随分と平衡を欠いた内容になってしまった。まぁそれだけ現在、ガチで次の生活に向けて思いを巡らせてるんだ、ってコトでどうかお許しいただきたい。
 いやいや、ほんなカタいコト言う気ないんです。東京を拠点に気軽に行けそうなトコは大体行き尽くしてしまった感があるんで、ちょっとばかし河岸を変えたいんですわ。

 さて、その中で重要なキーワードとなったのが「レイアウト・モデリング」っちゅう本だった。

 あんなにあれこれ書いといて実はこの本、これまでおれは自分で所有したことが無かったのだ。スンマセン。どうしたんかっちゅうと、Nゲージをいっぱい持ってたT原クンって同級生から借りて(・・・・・・「シーナリィガイド」も最初は彼から借りたんだっけ)、文字通り貪るように読んだだけなのである。それも借りたのは一度だけではなかったと思う。我ながらひでぇヤツだ。でもまぁお礼に、小学生のレベルとしては驚異的な細密さで拵えた詰所か何かをプレゼントにあげたからそれで許して欲しい。
 もちろん自分でもなけなしの小遣いで買おうとしたんだけど、その時は「シーナリィガイド」は買えたもののこっちは運悪く絶版で、何年かしてお金の余裕もちったぁできた頃にもっかい買おうとしたらまたもや絶版で、そのままそれでそれっきりになってたのである。趣味性の強い本はそんな一度に大量に刷らないのだ。そしていつしか何十年かが過ぎた・・・・・・って、まぁおれも他のコトにかまけて半ば忘れてたし、たまに想い出してネットで古書を探したりもしてたのだが、これがトンでもないプライスタグでとても買う気にはなれないどころか買えなかったのである。だって滅多に出て来ないし、出ても美品だと数万円(!?)、状態悪くても8,000円とかでっせ。足許見やがって!ナメくさっとるよね!?

 ちなみにこうして本借りたり、何度か自宅を訪ねさせてもらったりはしたけど、T原クンとはいつも一緒にツルんだりといったような、そこまで親しい間柄ではなかった。何ちゅうか、子供心にも「住む世界が違う感じ」がしてたのだ。別に臆してたワケでも遠慮してたワケでもなく、そりゃぁ鉄ヲタな点では似てるかも知れんけど、どっか根本的なトコで住む世界が違って相容れないカンジとでも言えば良いのだろうか。
 それでも結果的にはおれの人生の意外なまでのキーパーソンとなった彼は可哀想に、まだまだ働き盛りって時に病に斃れたってコトを随分後になって知った。謹んでご冥福をお祈りしたい。

 ・・・・・・あんまし勿体は付けないでおこう。前回の文章を書きながら、一応は裏付けを取るためにネットであれこれ調べてると・・・・・・何と!これが出てたんですよ!「レイアウトモデリング」の古本が!いやもぉ状態はかなり悪いものの、まぁまぁそれなりに妥当な千ナンボの値段で。もちろん側臥位(笑)・・・・・・もとい即買いっすわ。ま、パターンとして今回のこれは「シンクロニシティ」っちゅうよりは「アポーツ」やろな。
 大体もう初版が半世紀も前の本なんだし、今さら新しい技術を学びたいワケでもない。昔を偲ぶよすが、っちゅうやっちゃね。だからこの際状態はあんまし気にしない。本なんて読んでナンボ、そんなコレクターみたいにうるさいこたぁ言いませんです、ハイ。これって最近ニュースで見た「リベンジ購入」とやらに近い心理状態かも知れない。何かすんげぇ盛り上がってんだってね、リベンジ購入。ガンプラとかセーラームーンとか、元値の10倍以上のプレミア価格になってんのが飛ぶように売れてんだってさ。

 送られて来たのはたしかに看板に偽りなしで、かなり状態は悪かった。肩は灼けて褪色してるしちょっとめくれてるし、あちこちページは折れてるし、黄ばみだってひどい。何となく古本特有の紙からしなやかさが失せて脆くなったようなガザガサ感が出ており、乱暴に扱うと製本までバラバラになりそうだ。奥付を見てみると1回目の再販のものらしい。1972年6月・・・・・・うわぁ〜!おらぁまだ小学生低学年だった。

 今回はその中身を細かく読んで行きたい。

 あらかじめお断りしておくと、穴があったら挿れたい・・・・・・ではなく入りたいくらい、おれの記憶にはあちこち誤りがあったことが判明した。記憶力は悪くないって思ってたけど、お恥ずかしい限りです。
 やはり記憶は改竄され、そしてどこか美化されるモンなんだろう。一方で、よぉもまぁそんなヘンなセックス・・・・・・ではなく片言隻句、チャンと覚えてたよなぁ〜、って感じ入ってしまう箇所も多々あった。つまりこれから始める精読は記憶の補正作業、ってコトになるから、いささか怖くも悲しい行為と言えるかも知れない。

 ・・・・・・それにしても下ネタのダジャレが自然と口を衝くようになるのはかなりヤブァい老化の証らしいね。

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 まずは目次と巻末の後書きを読んでみる・・・・・・ここをマトモに読んだ記憶がないんで。

 全部で212ページあるうち、実に「摂津鉄道の建設」が66ページと3割近くを占めている。その次がこれまたその後のナローブームに多大な影響を及ぼした、「祖師谷軽便鉄道」で21ページ、残りページを13のレイアウトの紹介、10のシーナリィの作り方や配線の仕方といったトバシ記事、もとい小編で埋めている・・・・・・やはり、この本はほぼほぼ坂本衛の独壇場みたいな体裁になってるのだ。
 山崎喜陽による後書きもナカナカに辛辣で、「同時期の発表でレベルの高いのは今後計画中の「レイアウト・テクニック」ってのに纏めます。だけど「摂津鉄道」だけはちょと別格よ」みたいに書いてある・・・・・・ぶっちゃけこの人の文章って妙なペダントリーが鼻についてあんまし好きぢゃなかったんだけど、珍しく正直やんけ(笑)。実際、他の多くは稚拙だったり、昔ながらの線路スシ詰めでセンスがダサかったりで、さほど見るべき点がない。
 ここで改めて知ったのは、記事の発表時期が1963〜68年のものをアーカイブしてあるってコトだ。おらぁもう少し後かと思ってた。当然実物のレイアウトが作られたのはそれよりも前だろうから、ホンマもぉ60年くらい前の、おれが生まれてない頃のネタが多いワケだ。

 ・・・・・・で、肝心の摂津鉄道(ちなみに自分の拵えたレイアウトに「ナントカ鉄道」って名前を付けるのは、ちょっとサブイボ出そうなこの世界のヘンな昔からの慣習だったりする)なんだけど、これがもぉ出だしからトバしまくり・・・・・・っちゅうか、他の同好の士を敵に回しかねないくらいのトーンで、従来のあり方への批判とコンセプトの説明だけに冒頭一章まるまる費やしたりしてる。
 曰く、「ところ狭しと線路を敷きつめた運転本位のレイアウトなら、あえて固定式でなくてもできる」あるいは「これまでのレイアウトはただ漫然と『野山は緑、花は赤』式の既成概念にとらわれ過ぎていた」、「複々線の追抜きや立体交差も確かに興味あるものの一つですが、これが鉄道のすべてであると考えるのはどうかと思います」・・・・・・おいおい!言っちゃったよぉ!

 ここまで大見得切ってデキが悪かったら口先番長でみんなのいい笑いモンだったろうけど、その一種の宣言の後には現代の目線で見てもかなり恐ろしいレベルで、精密極まりない「平凡な情景」のリアルな表現の追及が偏執狂的なまでに出て来る。
 それまで誰がそんな埋もれた線路や、水溜り、地面の微妙な勾配差、農家の屋根の形式や間取り、家の並び、畑の畝、稲刈りの後の田圃なんて気にしてた?っちゅうこっちゃね。とにかく芸が細かい。製材所の屋根にはダクトの周りに飛散したおが屑が散らばり、ホームの土盛はちょっと崩れ、野小屋は歪み、田圃のぬかるみの杭は腐って、籾殻はホンマに燻り、農家の庭先には干柿がぶら下がる・・・・・・60年前の製作とは思えない細部に亘るリアリティの追及をこの人、やっちゃったワケだ。
 もちろん、今の目線で見れば素朴な点も多々見られる。特に川や岩肌、常緑樹の表現はちょっとばかしレトロだし、色も油絵の調合で現代のレベルからするとちょとユルい。そもそもそれしかなかったとは申せ、1/80・16.5mmってスケールが広軌感ありまくりで間延びした感じを与えるのも事実だ。
 でももし、レジンやコルク、ライケン、発泡スチロールといったその後の新しい素材、現代の恐ろしくリアルなホビーカラー、あるいは1/87・12mmがこの当時出てたら・・・・・・間違いなくもっと恐ろしいコトになってたろう。

 しかし、こうして読み返してみておれは自分の最大の記憶違いに気付かされてしまったのだった。ちょっと長く引用してみる。

 「それはある日の夕暮れ、いつものように緩急車特有のジョイントの響きに耳を傾けながら、車窓にうつる風景に目をやっておりましたが、既に何十回何百回と見なれたこの近江平野の風景がいつになく美しく感じられました。(小生は国鉄の乗務員)あたりの田んぼはすでに取入れを終えて稲の切株だけが点々と規則的に並び、所々に積み重ねられた藁、粗末な野小屋が、平面的な田園風景にわずかながら変化を添えている。畦道の雑草は黄色味を増し、野中にポツンと突っ立った古木は葉をふるい落として早や冬支度をはじめたようである。山麓にはわらぶき屋根の民家が点在し、夕日に映えて実に美しい。(原文改行)このように湖東線(東海道線、京都〜米原間の俗称)の風景は平凡そのもので・・・・・・」

 ・・・・・・って、ええ〜っっ!?滋賀の風景だったんかよ!?北摂から播州に掛けてぢゃなかったんかよ!?おらぁ50年近く、「摂津」ちゅう名前にすっかりアテられてたよ!
 いやもぉあまりのショックに移住計画をイチから練り直そうか?って思ったくらいやね(笑)。そらまぁ、滋賀から岡山東部くらいまでってあんまし農村風景に違い無いんだけどね。それでもね。何かね。

 ともあれこうして小さな奇蹟には、とんだマヌケなオチが付いてしまったのだった。トホホホホ。

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 かなりこれにはメゲたけど、ここまで書いたらもぉ、ついでに他の記事も少しは取り上げんとアカンやろう。

 まずは「祖師谷軽便鉄道」・・・・・・これは3DKの団地住まいだったおれにとって天啓っちゅうか、HOのスケールで何とか手に届きそうなサイズってのがとにかく憧れだったな。だって畳1/3枚のスペースでそれなりに縮尺大きくてリアルだし、チャンと運転可能なんだもん。摂津鉄道の1/18の広さでっせ。
 それと、とかく情報に乏しかった当時、沼尻鉄道の詳細な様子が載ってるのに魅了された。こんな小さくてオモチャみたいなんが、田舎に行ったら少し前まで走ってたんだ、っちゅうのはガキのおれにとってはすごく新鮮で、それで俄然ナローゲージに興味がシフトしてったんだった。

 実際、70年代半ばくらいから、ナローゲージはものすごいブームになった。折しも核家族化が進み「マッチ箱のような」と揶揄された家にみんな暮らすようになった時期と重なってたりする。省スペースだけどNゲージよりは縮尺が大きくて緻密な作り込みができるから、ウデに覚えのある人もこちらに入って来たワケだ。また、丁度この70年代半ばくらいに次々と日本の非電化ナローが終焉を迎えたことで、喪われ行くモノへの郷愁が爆上がりしたのも影響してるだろう。ザッと挙げるだけでも68年仙北、69年沼尻、70年駿遠、71年頚城・井笠・別海村営・歌登町営・幌延町営・標茶町営、72年浜中町営、75年木曽森林、77年尾小屋・・・・・・ね?

 ・・・・・・後はぶっちゃけそんなに特筆すべき記事はないかな。河田耕一氏のシブくて手堅い詰所や小屋の作例、井上大令氏の私鉄風の駅のセクションなんかは今見ても素晴らしいが、あとは要は線路詰込みなだけで、申し訳ないけど根本のところでセンスがヒドい。
 ともあれ、ちょっとハイブローで経済的に恵まれたエエ歳こいた大人や良家のおぼっちゃんが、一部屋ツブして大真面目に稚気溢れるレイアウト造りに熱中できる良い時代だった。

 ところで、この本を巡る最大の謎は、肝心の摂津鉄道にある。

 実は結局これ、各セクションは完成したものの、そこで力尽きてしまい(これらだけで4年掛かったと書かれてある)、トータル3.6m×2.7mっちゅうサイズでのレイアウトにはならんかったんぢゃないか?あるいはなったとしても何とか繋いで走らせる程度で、ツギハギを埋めるトコまでは辿り着けなかったんぢゃないか?って疑惑が残るコトだ。実際、隅々までよく読んでもレイアウトの全体像を捉えた写真は一枚も載ってないし、その後の出版物でもついぞ完成形を見た記憶がないのだ。

 セクションのいくつかは現存しており、時折展覧会に出展されたりしている。氏も卆寿近いっちゅうものの、矍鑠としてご健在のようである。ホンマのホンマはどぉだったんか訊いてみたいモンだ。

2022.04.01

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