「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
皇居版、徒歩記


・・・・・・まぁ、歌詞からするに北に反時計回りに行ったみたいだが(笑)。

 いっちゃん大事な正月の掻き入れ時に、神官だか巫女だか知らないけれどスタッフのクラスター発生で営業自粛(!?)に追い込まれたのがニュースになってた東京大神宮ってのに、ちょっとばかしネタになるかな〜?と、遅い初詣に出掛けてみた・・・・・・ホンマに不謹慎なおれたちだ(笑)。

 いつの間にかホーム位置が新宿方向にズレちゃった飯田橋の駅から、5分ほど歩けば呆気なく神社には着く。「東京」なんだし「大」神宮なんだし、明治神宮ほどではなかろうが、さぞかし広い神域の立派なトコかな?と思ってたらこれがもぉアータ、ズッコケるほどに小さな裏通りの神社なんでビックリしてしまった。
 ちなみに大神宮、っちゅう名前は、基本的に伊勢神宮の分霊であることを意味するらしい。規模が大きいからって名乗れるワケではないのね。スンマセン、ちっとも知りませなんだ。

 そんなんでお参りは呆気なく終わってしまった。近所にある行列必至と言われる店でのランチも、再び感染者激増中のコロナのせいか、さして並ぶこともなくこれまた呆気なく終わり。合わせても1時間足らずである。
 これぢゃぁ仕方ないんで、靖国神社にも寄ってみることにした。

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 大神宮通りのダラダラ坂を下って行く。東京もこの辺はホント坂道が多い。目白通りを右に曲がると間もなく、開業50年を目前にコロナ直撃であえなく廃業の憂き目に遭い、今は巨大な骸を晒すホテルグランドパレスを通り過ぎる。金大中事件の舞台として有名になったトコだ。近々解体されるみたいだけど、跡地はどうなるんだろ?
 九段下まで来れば靖国神社はもうすぐそこだ。無闇にだだっ広くて白い参道に巨大な鳥居が聳え、遥か彼方に本殿が見える。手前には天才的軍師だったくせに、自分自身のタクティクスはイマイチ無頓着だった大村益次郎の銅像・・・・・・花見で何度か訪れたことはあったけど、落ち着いて境内がどうなってるか見るのは初めてだ。

 本来は明治維新以降の戦死者全部を祀るって趣旨だったワリに、点在する事物は太平洋戦争ばっかしやんけ、って思う。ナントカ第なん連隊とかのプレートが掛かった桜の木とかが目立つ。何だか富士講とか御嶽講で石碑立てたりするのと同じだ。
 戦争から無事に生きて帰れたコトはそらありがたいし、めでたいかも知れんけど、だからって戦友会みたいなん組織して嬉しそうにツルんで靖国詣でする心理がおれには良く分からない・・・・・・まぁ、おれが集団への帰属意識みたいなんが人一倍薄いからかも知れないんだけどさ。

 そぉいや、母方の祖父も戦友会がどぉのこぉのみたいな話をたまにしてたのを想い出す。

 彼は真珠湾攻撃よりも一足早く、日華事変の後くらいから出征し、砲兵隊の一員として中国各地を転戦してた。酸鼻を極めた南洋の島々や、北の果ての島なんかと戦況はかなり異なり、ワリと長閑にやってたらしい。大砲っちゅうても至って旧式で、日清だか日露だかの時代のヴィンテージ品をそのまま使ってた。そんな古いのには「駐退復座機」って、撃ったら瞬間的に砲身を引っ込めて衝撃を逃がし、即座に元に戻す機構が備わってなかったという。だから一発撃つと、反動で大砲全体がガラガラ―ッと後ろに転がってく。
 このため後方に上りのスロープ拵えて、それでブッ放す。メチャクチャめんどくさい。当然連射なんてできないし、毎回毎回照準合わせ直してやんなくちゃいけない。こんなん使ってちゃぁ、そら戦争にも負けるわな(笑)。しかしその分、仕組みが単純だから、故障のしようもなく、移動するときはバラして馬に載せたりみんなで担いだりしてたという。
 戦争とは申せ、かようにノンビリした部隊だったから、生還した者も比較的多く、復員後には戦友会が組織され、その寄り集まりっちゅうて出掛けてることがあった。幼かった当時のおれには「センユウカイ」って何のことやら良く分からなかったけど、年に何度か宴会やったり、旅行に行ったりしてるんや、って聞かされたことがある。それで出掛けてった地方の土産を貰ったこともあったっけかな。

 ・・・・・・何がそんなに楽しかったんだろう?

 どうにも日本人は集団への帰属意識が強い。おれは同郷だとか学校やクラブが同窓だとか、たまたまただ同じ場に居合わせてしばらく過ごしたっちゅうだけですぐに仲良くなったり群れようとする人たちの心理がどうにも分からないし、薄気味悪くさえ思ってる。まぁ、戦後の経済復興なんかも、この集団への帰属意識あったればこそ成し得たコトとは分かってんだけど、その挙句の果てに「一億総中流」ってな曖昧模糊として、没個性で無気力な集団化があったんぢゃないかとさえ思う。

 記号化された「靖国」を巡る諸問題についておれは何も思わない。政治家が参拝するっちゅうたら条件反射的にキーッて非難する連中、あるいはニュースで取り上げるメディアって何だか、小学校のクラスでちょっとオンナの子と仲良くしたら「ヒュー♪ヒュー♪」とかゆうて囃し立て、黒板に相合傘を落書きするようなバカなガキと同じだし、一方でこんなトコに参って姿勢を示したり、国への体面が保てると思ってる方も思ってる方で、何とも稚拙だ。
 靖国神社に感じたある種の不快感はそんなんではなく、日本人の心性のみっともなさがそこに凝縮されてたからだ。いや、むしろすべては計算ずくで、帰属意識っちゅう日本人の卑しい心性に巧みに阿った上に靖国ってのがあるようにさえ思えてしまった。

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 今日の後の用事はっちゅうたら、有楽町の阪急に寄ってYシャツやらネクタイ買うくらいだ・・・・・・え!?デパートで?ゼータク抜かすなや!このハゲ!と思われる方はチッチッチ、分かってない。この店、そりゃぁたしかにロードサイドのチェーン店のワゴンセールみたいには行かないけど、店員が丁寧にサイズや色目の合う合わないとか見繕ってくれて、それでいてけっこういつもセールやってたりして、結局は意外にお得に長く着れる良い物が買えるのだ。いやまぁそもそも、おらぁ腕がとにかく長いんで、安いトコに置いてある一般的なサイズが合いにくいってのもあるんだけどね。それと、あまりにもおれが無頓着で、襟が擦り切れたようなんでもヘーキで着るモンだから、ヨメがいささかキレ気味に連れて行くっちゅうたのだ。そらもう仕方ない。

 天気も良いし、皇居のお堀に沿って行けばその内着くだろうと再び歩き始める。

 靖国通りを渡れば千鳥ヶ淵、大きなタマネギ、こと日本武道館が見える。ここを歩くのも随分久しぶりだ。今は寒風が吹き抜けるだけなので誰も歩いていない。いつの間にか遊歩道は随分整備され、小汚かったボート乗り場も建て直されて瀟洒で綺麗になっている・・・・・・よくよく考えたら20年以上来てなかった。そうだそうだ、まだあの頃は子供も小さかくて、人ごみの中を掻き分けるようにして歩いたんだった。

 代官町通りを越えて北の丸を抜け、内堀通りに沿ってダラダラと下って行く。クルマで通ったコトは何度かあるが、歩くのは初めてだ。お堀の対岸は吹上御所で、ここらまで来るとジョギングしてる人の数も目立つようになる。家の近所で見るランナーとは異なり、ケッコーみんなビシッと格好をキメてたりする。そぉいや「皇居を回る」って、全国のマラソン・ジョギング愛好家からするとケッコーなステイタスらしい。
 それにしてもこうして改めて見てみると皇居って実に広大だ。これで内堀なんだもんな。そんなトコにもちろん天皇一家が暮らしてるワケだけど、コレって体のいい幽閉っちゅうコトちゃうん?って思ってしまった。護衛の皇宮警察やら御付きの宮内庁職員っちゃ聞こえはエエが、要するに四六時中の監視付きなワケで、おれにゃぁ到底耐えられそうにない世界だ。生まれながらにメンタル面がめっちゃタフでないと務まらない。
 そして苗字も無ければ、職業選択の自由もない、呑んだくれることも出来ないし、風俗どころかエロ本買うことも出来ない。その代償に絶大な権力揮える、何人も側室持てるとかゆうんならまだ諦めも付こうが、国の象徴ってシンボル、要は飾りってコトやん。そいでもっていつも張り付いたような笑顔で手を振らされて、公務っちゅうたかて無報酬で・・・・・・タマランで。
 物心つく前から徹底的に隔離し、純粋培養してたんならともかく、中途半端に「外の世界」を教えてしまっちゃ、そりゃぁ〜我慢も辛抱もでけんようになるわな。どうにも異相の不気味な顔立ちに思えて、おらぁ眞子さまっちゅうのんの一連の騒動にも興味を惹かれなかったのだが、彼女が死ぬほど逃げ出したいと思ってたのは何となく分かるし、これで相手の男がもしホンマに何一つ非の打ちどころのない男だったら、果たしてここまで悶着起こしてただろうか?とも思う。つまりは小室ナントカっちゅうのが、どこかウソで固めた詐欺師っぽいいかがわしさを漂わせてたからこそ、夢中になってニューヨークまでくっ付いてったんぢゃなかろうか。
 ただ、佳子さまだったっけ?妹の方が美人で要領良くて、如才なくシレ―ッとやってけそうな気がするな(笑)。

 半蔵門を過ぎると、ビルの間に国会議事堂の屋根が見えて三宅坂。さらに行くと桜田門、警視庁やら法務省のレンガ造りの建物なんかがある。ナカナカ巧妙に建物が配置されてるワケだ。そのまま真っ直ぐ行けば有楽町に出るが、ランナーがみんな左折して門の中に入ってくんでそれに付いてって見ることにした。大きな門を二つ潜ると何のこっちゃない、二重橋の前に出た。まるでもぉ「東京だヨおっ母さん」みたいなコースになったな・・・・・・順番逆だけど(笑)。

 有楽町駅前は意外なまでにごった返してた。もう「オオカミが来るぞ〜!」っていくら大声上げたって、誰の心にも響いてないのは明らかだ。逆にちょっとおれは安心した。為政者は大衆をナメ過ぎだ。
 少なくともオミクロンに関しては、正面切って言わないだけで、みんなほぼタダの風邪に過ぎないって思ってる。不必要なまでに騒いでるのは飯のタネが無くなると困るメディアと専門家と称する連中、それと政治家だけだ。

 初期の目的であるYシャツとネクタイをそれぞれ何点か買って、おれたちは家路に着いたのだった。ビジネス服なんかを買うのはこれが最後、そして東京を去る日もそう遠くないような気がした。 

2022.02.06

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