「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
続々・産業の世紀のカテドラル・・・・・・興津川製紙


この圧倒的で荘厳とも言える大空間!いつ崩れてもおかしくないくらいに随所に歪みが生じている。

 廃墟だったら何でも良い、っちゅうワケぢゃぁない。ないんですよ。

 おれの中では一番は鉱山施設を含む工場系、後はナカナカ順番付けにくくて割愛させてもらうが、ベベタコはフツーの個人の民家でキマリかな?と思ってる。余程その日、他が不作とかでない限り、たとえ古民家と言えど撮ることはあんましない・・・・・・って、これは別段おれだけに限ったコトではないようで、一般的に見ても廃墟では工場系の人気が高いようだ。

 ・・・・・・で、工場系の何がそんなに魅力的なのか?っちゅうたら、もちろんそこには色んなファクターがあるとは申せ、突き詰めていくと、整然と雑然が同居したような赤錆びた謎の機械群によるスチームパンク的な景観と、静寂に包まれ圧倒的で荘厳とも言える空間に尽きるのではなかろうか。だから小さな町の鉄工所みたいなんはやはりちょと厳しい。

 今回駄文に纏める興津川製紙については、その名前はかなり以前から識ってはいたものの、どうにもこうにも旅のコースに組み込みにくいのと、行けばそれなりにシッカリ時間を掛けないといけないのとで、あれこれ工夫してもコースが上手く組み立てられず懸案のスポットの一つになっていた。
 それが念願叶ってようやっと行けた。そしてそこでおれは日本の産業の落日について改めて考えたのだった・・・・・・いやもちろん、あんな写真やこんな写真を撮りながらだったけどね(笑)。

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 日本の製紙業もその技術力の高さとは裏腹に、産業全体では低落傾向が続いている。特殊で付加価値の高い部門は国内に生産拠点が残ってるが、一般的なのは海外にシフトしちゃって、技術力・資金力に乏しい中小は多くが淘汰されてるのが実態だ。

 IT化や電子化の進展に伴って紙の需要が大きく減少してることも、もちろん産業の斜陽化を後押ししてる。みなさんだって、最近筆記具を使うことってメチャ減ってません?小学生のガキだってタブレットにタッチペンで勉強する時代だ。お店での買い物はキャッシュレスだし、昔は最後にサインしてたのも暗証番号になってる。先日ふと自分の財布の中の1万円札って、会社でなんか弔事があった時の香典で集金される以外、まったく遣われてないことに気付いて嗤ってしまった。
 手紙やハガキにしたってまず手で書かなくなった。年賀状は宛名も本文も全部PCだし、それもそろそろ止めようかと思ってるくらいだ。メモだってスマホで済ます。会社には付き物の色んな伝票類、発注書、稟議書、月々のお給料の明細、お知らせといった類の紙類も、今は電子化されてワークフローで承認がナンチャラってなトコが大半なんぢゃなかろうか。
 新聞・雑誌といった紙媒体も発行部数は減少の一途を辿ってるし、本だってキンドルだとか、マンガだってRENTAやマンガナンチャラってなサイトで読む人ばっかになったっしょ?
 冷静に考えて、紙でないとどうしても困るものって今や、ティッシュペーパーとトイレットペーパーくらいだろう。洟かむか、ケツ拭くか
・・・・・・って!?(笑)

 そんなんで、かつて地の利を活かした地場産業の一つとして静岡が誇った製紙業は随分衰退してしまった。上述の通り、大手はそれなりに上手く生き残れたけど、中小はプラザ合意以降の世界的な価格競争力の低下の前に、為す術もなく消えてったのである。昨年回った岳南鉄道沿線もそんなカンジだった・・・・・・今回報告する興津川製紙もこうした製紙会社としてはかなり零細な工場の一つだったようだ。
 ちなみに法人としては今も存続しており、登記も残ってたりする。ひょっとしたら解体費用が捻出できないのか惜しいのか、休眠状態のままで放置して、自然に廃材の山になるのを待ってるのかも知れない。

 国内産業の空洞化が叫ばれて久しい。見渡すとゾッとするくらい、それはあらゆる分野の製造業に及んでいる。そして気付けばいつしか日本からは様々な技術やノウハウ、知識が喪われてしまった。いやいや、何でもかんでも現場主義を称揚する気は無いし、往々にして現場の叩き上げの非合理な頑迷さが様々な進化を阻害する弊害も分かってるツモリだ。それでもなお、やはりこの空洞化は長い目で見ると大変マズかったように思う。
 ホントこの3〜40年、目先の利益に目が眩んで安易に生産拠点を海外に移した多くの経営者は、いずれ大局観に欠けた愚かな売国奴として断罪される時代が来るような気がしてる。何がオフショア化だよ!?横文字にすりゃエエっちゅうモンちゃうぞ。

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 ・・・・・・などと堅いハナシはともかく、県道を外れ、こんなトコに工場あるんか?ってなくらいに狭い住宅街の道の奥、新幹線の築堤と川に挟まれるようにして、その工場は放埓に伸びた蔦に締め付けられて赤錆びた巨大な骸を晒していた。広い敷地には何棟も建物があって全貌は良く分からない。
 すぐ近くにまで民家が迫り、中からTVの音とか聞こえるんで、あまり目立つワケにも行かない。まずは離れたトコにクルマを停め、周辺の様子を窺いながら近寄って行く・・・・・・って、他府県ナンバーだからバレバレなんだろうが。

 一方でこぉゆう時にヘタな逡巡は禁物でもある。抜き足差し足で裏から回り込んだりせずフツーに正面玄関から、モノ好きがちょっと見に来ましたぁ〜、ってな雰囲気を漂わせてスタスタ入るのが、正解かどうかは分からんけども実はいっちゃんリスクが低いように思う。服装なんかも大事で、オマエはランボーか!?プラトーンか!?みたいなミリタリー系の迷彩柄とかデイジーチェーンだらけのタクティカルザック、安全靴なんてぇのは、サバゲーに間違われるならともかく、田舎だとただもう危ないカテゴリーの人に思われる。それと大人数も宜しくない。良くネットで「一緒に廃墟探検に行く人募集」な〜んて見掛けるけど、ありゃアホでチキンなガキのすることだ。徒党を組んでるだけで廃墟周辺では不審者確定なのだ。

 敷地内では目下水道管工事が行われてるようで何台かのトラックやらユンボが停められ、一部はトラ縞のバリケードで囲われてるが、日曜の今日はどうやら休工で人の気配はない。
 んん〜、しっかしどこから入ればいいんだろうなぁ?回ってく内に、裏手の建物が崩れたあたりからフツーに入れそうな気がしたんで、草むらをかき分けて入ってみた・・・・・・ってウワワワ!油断してた!膝から下、ズボンから靴からビッシリとヌスビトハギに覆われちゃってるではないか!まぁ、草むらに入る時はいつもおれが先に行って、なるだけ雑草を踏むようにして道を開けてるから仕方ないとは申せ、実に凄まじい貼り付き方だ。逆に言えばそれだけ侵入者の少ない物件なのかも知れないが。

 それにしてもまぁ、ヤッバい崩れ方しとるなぁ〜。工場だから屋根の大きさに対して柱の数が少ないんかもしれんなぁ〜。ともあれあんまり長くココには居たくない。なもんでサッサと建物の形がシッカリ残ってる奥に入ってく・・・・・・もちろん、次々とシャッターを切りながらだけど。だから当然ヨメはほぼハダカで移動してんだけど(笑)・・・・・・そうして段々と入ってった奥、静寂が支配する薄暗い中に広がる巨大な空間は、おれの予想を遥かに超えていたのだった。申し訳ないが、おらぁもっとショボいと思い込んでたのである。

 ・・・・・・ここもまた、「産業の世紀のカテドラル」に他ならなかった。そしてそれは1ヶ所だけではなかった。

 製紙工場の行程が概ねパルプをドロドロに溶かして、それを漉いて薄く圧延して内容であることくらいは知ってるが、細かい作業内容や各プロセスで使われる機械がどんなのであるかについては、残念ながら知識がない。だからどこがどんな役割を持ったスペースだったのか説明できないんで、感覚的な言い回しになるのが申し訳ないんだけど、入ったトコから川の方の隣、煉瓦造りの建物との間の巨大な吹き抜けになった高さ10mほどの建屋はとにかく圧巻だった。冒頭に挙げた写真がそれだ。

 ご覧の通りの見事な朽ち果て具合で、ぶっちゃけ状態としてはかなりヤバい。外壁のトタンは既にほぼ喪われ、窓枠は落下し、太い木の柱や筋交いだけが残った鶏ガラ状態で、目視でも何となく分かるほどにそれらの骨組み自体にも歪みが生じ始めている。全体が倒壊するのはもぉ時間の問題だろう・・・・・・って今の瞬間、屋根が落ちてきたりしたら間違いなくおれたちゃぁ死ぬな。
 元々の明かり取りの天窓だけでなく、あちこちで抜けた屋根から午後の光が降り注ぐ。切妻の三角屋根を支えて規則的に並んだ垂木・棟木、古屋束といった部材の描く幾何学的なパターンと、蒸気管だろうか何本も走る太いパイプ、そして散乱する小物類が、どこかフリーハンドのペン画で描かれたミニアチュールのように、歪んで神経症的な景観を作り出している。そして同時にそれは何だか有機的でもあった。

 その奥にあった建物もインパクトがあった。薄暗い中、戦車の転輪、あるいは蒸気機関車の動輪のように大きなローラーが並んだ、長さは優に20mほどもある巨大な圧延機がドーンと鎮座している。ある種の禍々しささえ感じるほどに、それは重厚でインダストリアルな光景だ。
 パルプを薬品と共に煮てたと思われる、コンクリート製の内部がタイル貼りになった小判型の深い浴槽の上に巨大なお御籤の箱みたいなのがズラッと並んだスペース、あるいは「地球釜」って名前らしいが巨大な鉄球、はたまた如何にも工場らしく大量のスイッチが並ぶ配電盤やブレーカーの列・・・・・・正に上に述べた通り、スチームパンク的景観と圧倒的な空間、両方の魅力を見事なまでに兼ね備えてたと言えるだろう。

 ・・・・・・気付いたら既に2時間近くが経っている。その間、ヨメはほぼハダカのままだったりする。陽も随分傾いて来た。いい加減そろそろ切り上げないと寒くなって冷えるだろうし、それに間違いなくこの後発生する東名の夕方の大渋滞に巻き込まれてしまう。それでなくても長かった緊急事態宣言が解けて、一気に人出は増えてるのだ。
 巨大圧延機から奥に続く建物や、少し離れて北側の通り沿いに並ぶ建物までは回り切れなかったが、これ以上粘れそうにもない。大体これまでの経験則で、ムリして粘った時に限って撮影事故をやらかしたりしてるのだから。

 ・・・・・・後ろ髪を引かれる思いで辞したのだった。

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 当然ながらこうした産業遺構は廃墟だからこそ中に入って遠慮会釈なしにウロ付き回れもすれば、ノー天気に撮影もできるのである。官憲その他のリスクはあるとは申せ、だよ。もしこれが現役施設なら、入らせてもらうだけでも事前にイチイチ面倒な許可を取らなくちゃなんないだろうし、それに沢山の人が働く中でヌード撮影ってワケにも行かんだろう(・・・・・・それはそれで面白い絵になるだろうけど、笑)。
 大体そもそも論で、バリバリ盛業中で活気溢れる現場の工場その他の施設に、こうした滅びの美しさが立ち現れるとも思えない。閉鎖され、灯りが消え、機械類が動きを止め、人がいなくなり
、静寂に包まれ、随所にヤレが生じ、錆びたり腐蝕したり腐ったり黴やら苔が生えたりし、雑草がはびこり・・・・・・そうして廃墟は廃墟として退廃的に熟成されて行くのだ。

 国内産業があちこちで斜陽化してるからこそ廃墟が増え、こうした撮影ができるにもかかわらず、その斜陽化を嘆いたり過去を懐かしんだりするのは、思えば随分身勝手っちゅうか、大いなる矛盾と言える。「ムシの好いエゴイスティックな懐古」と言えるだろう。それは良く分かってる。
 ただ、写真を撮るって行為そのものが本質的にエゴイスティックなんだし、おれが何をどう考えたって国全体の衰微が止まるワケではないのも、これまた厳然たる事実なのだ。ならばそこはもぉ冷徹に割り切って、もっとバンバン撮るしかないではないか。 

 興津川製紙・・・・・・次回は何時になるか分からないけど、必ずや再訪したい。それまではどうかこれ以上倒壊せず、持ちこたえて欲しいモンだ。


ここの名物・「GANTZ玉」、こと地球釜。直径5mくらいある。

2021.10.09

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