「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
蝉の一生、蝸牛の一日


安いけど30mm/F3.5Macroはデキるやっちゃなぁ〜。


 俗に蝉は幼虫の姿で7年を地中で過ごし、成虫となって僅か7日でその一生を終える、と言われる・・・・・・実際はもちょっと長くて2週間前後みたいだけど。

 そんなんで昔から儚い人生の譬えにも良く用いられてきてる。有名なイソップの寓話である「アリとキリギリス」だって元々はキリギリスではなく蝉がモデルになってたっちゅうではないか。何でも話が北の方に伝播してく中で、寒い地方には蝉がいなくて、それぢゃ話がサッパリ分からなくなるモンだから、それで仕方なくキリギリスに置き換えられたんだそうな・・・・・・「アリとセミ」ではちょっと締まらん気もするけどね。

 自宅から駅に向かう途中には小さな公園があって、毎朝会社に向かうためにその中を横切って行く。植わった樹木の周囲の地面の至るところにはこの時期になると、直径1.5cmほどの穴が空いてるのが見付かる。蝉が孵化のために土中から這い出てきた跡だ。どのようにして孵化すべき時期を察するのかは分からないけれど、盛夏の頃を迎えると日を重ねるごとに穴はだんだん増えて行く。見上げると幹に抜け殻がくっ付いてるのが見付かったりする。乾くと単なる茶褐色だが、孵化直前の蝉はまるで故宮博物館の翡翠のように美しいっていうから、いっぺん明け方に観察してみようかな?不審尋問されそうだけどさ。

 夕方、戻る時間は降るような蝉時雨だ・・・・・・月並みな表現で申し訳ない。それに別に夕方に限らず実は朝は朝で鳴いてんだけど、夕方よりはやっぱし少ないように思う。
 鳴いてるのはアブラゼミとミンミンゼミばかりだ。関西に多いツクツクボウシを聞いたことは多分、ない。「のりお・よしお」の定番ギャグの「ツクツクボーシ!」は関東で理解されてたんだろうか?って不安になるくらい、こちらでは少ない。まぁいずれにせよやはり何とも暑苦しい。蝉の鳴き声で涼しげなのはヒグラシくらいではなかろうか。そして足許には、子孫を残すっちゅう大願成就を果たした後かどうかは知らんが、命の限り鳴きまくって息絶えた蝉が転がってたりする。不思議なコトに死んだ蝉は必ず仰向けだ。この蝉の最期を「セミ・ファイナル」と呼ぶ・・・・・・なんちゃって(笑)。

 成虫となった蝉のオスは生殖器官以外、殆ど身体の中がガランドウで、ただもう共鳴機関として全身を震わせて大きな音を増幅するためだけの構造となってるらしい。驚くのはその音量で、実に70〜80デシベルも出せる。コンタクトマイク取り付けてノイズバンドのメンバーに加えたいくらいだ・・・・・・メンバー死亡による脱退が激し過ぎるのと、夏以外ライブが出来ないって欠点はあるが。一方のメスは鳴かないけどやっぱし似たようなモンで、産卵のための組織以外は殆ど体内に備わってないんだそうな。
 だからって可哀想、いと哀れなり、っちゅう気はサラサラ無い。ただもうつまりは自然の摂理とやらでそんな風になっちゃってるのだ。人間で言えば幼少期が80年くらい続いた後に、いきなりニュウ〜ッと大人になって、3〜4ヶ月ヤリまくってパッと死ぬような生涯である。

 ・・・・・・それはそれで悪うはない人生やん。

 あぁ、想い出した。昔、松本零士がイラスト描いた「昆虫おもしろブック」って本があって(たしか「冒険手帳」なんかと同じシリーズだったな)、その中で幼虫時代のセミが土の中でけっこうヌクヌクと、今で言うところのニートとかカウチポテトみたく安逸な生活を送ってる風に描かれてたっけ。あれはだからひじょうに正鵠を射てるのではないかと思う。調べてみるとこの本、光文社が版権を買い取って「知恵の森文庫」ってシリーズで今でも再発してるようだ。こうしてシッカリ記憶に焼き付けられてるトコからしてもそれなりに名作なんだろう。買い直そうかな?

 ギリシャ的な歴史観に黄金時代の次が白銀時代、青銅時代、鉄時代・・・・・・と後になるほど堕落してアカンようになってく考え方がある。実は蝉ってその一生の大半が黄金時代なのかも知れない。
 ・・・・・・って思ってたら、最近になっていささか悲しい事実を知る羽目になった。知るは不幸の初めなりで、「7年を土中で過ごす」っちゅうのもこれまた俗説で、実際はもっと短いのではないかって現在では言われてるらしい(実はまだ良く解明されてない)。蝉が幼虫で過ごす期間は同じ種類でもけっこうマチマチで、気の早いヤツだと3年くらいで出て来るのもいるとのことだ。生き急いだってロクなコトないのにねぇ。もちょっとユックリしてたらエエのに・・・・・・。

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 ヨメの田舎に帰省して朝、庭の紫陽花を見てたら、葉陰に大きなでんでん虫がいた。おれは昔からこの緩慢極まりない陸生の貝がナゼか大好きだったりする。ちょっとアバウトで柔らかな曲線の殻、シンプルな縞模様、そして殻の薄さの繊細さ、ツノ出せヤリ出せ目玉出せの飛び出た触覚やら目玉・・・・・・全身がもぉユーモラスな気がする。
 思えば蛞蝓も似てる・・・・・・っちゅうか殻を背負ってないだけで、後はほぼほぼ同じなんだけど、こちらはどぉにもやはりダメだ。キモくて触る気にもなれない。殻の有無だけでこれほどまでに評価に差が出るとはいささか気の毒になってしまうが。

 でんでん虫、あるいはカタツムリ、マイマイ、蝸牛・・・・・・呼び名は地方によって様々あるけれど、思えば途轍もなくヘンな生き物だ。軟体動物で本来的には豊富な水分がないと生きられないハズなのに、何を好き好んでか肺を発達させて陸の過酷な環境で暮らすっちゅう道を選び、なのに身を守るハズの殻にしたってペラペラで脆弱極まりなく、そして動きはとにかく極端に遅い(外国には妙に速い種類がいるらしいが)。
 だから自然界ではメチャクチャ弱い。子供に戯れに摘ままれ、鳥に啄まれ、蛇に丸呑みにされ、あろうことかマイマイツブリっちゅうカミキリムシの親戚みたいな昆虫にさえヤラれてしまう。弱肉強食の世界でかなりその立ち位置は悲惨なポジションにいるような気がする。

 有名なエピソードにでんでん虫は雌雄同体ってのがあるんだが、これにしたってあまりに動きが遅くて行動半径が狭いために異性との出会いが少なく、もし出会ったのが同性だったらどもならんやんか、ってコトで、よりによって雌雄同体に進化したらしい。脚速くなるとか考えんかったんかい!?おい!って言いたい。ともあれそんなムリしてまで陸生で生き続けなきゃならん意味がイマイチよく分かんない。
 おらぁ神の不在を断言するほどに傲岸不遜ではないけども、少なくとも一神教的な「全知全能の神」なんてモンは絶対におらんと思ってる。いるなら何故世の中には出来損ないの極悪人が生まれ、世界のどこかで必ず戦乱は絶えず起こり、悲惨な病に斃れる人がいるのか、そしてかようにヘンな生き物がいるのか説明が付かないではないか。

 ------時は春
    日は朝
    朝は七時
    片岡に露みちて
    揚雲雀なのりいで
    蝸牛枝に這ひ
    神、そらに知ろしめす
    すべて世は事も無し。               R・ブラウニング、上田敏訳「海調音」より

 ・・・・・・だからそんな神さんおらん、っちゅうてるやろぉが〜っ!ブラウニングさんよ、シバいたろか。

 いやいやでんでん虫、それで実は極端に獰猛で悪食とかゆうんなら帳尻が合うっちゅうか、まだ何となく腑に落ちる気もする。ところが、ただただ狭い範囲をノロノロ這えずり回りながら、ひたすら葉っぱをこそげるようにして齧ってるだけらしい。ちなみにカルシウム不足だとペナペナの殻が余計に弱くなってしまってアカンので、たまにコンクリートなんかも齧ったりするんだそうな。でもまぁそれだけである。

 ・・・・・・なんちゅう無欲で控え目なヤツなんだ。

 昼間は畑仕事や買い物を手伝ったりして夕方になり、再び紫陽花の葉を覗いてみた。元の場所にはでっかい糞がひり出され、そっから20cmほど移動した茎に今はいた。つまり、このでんでん虫の一日はそれだけでほぼ終わったってコトだ。よぉ〜く見てみると、少し離れたところにもう一匹いるのが見付かった。極端に狭い行動半径の中でもちゃっかりパートナーはゲットしてるようである。

 あまりにおれが熱心にでんでん虫を観察してるので、ヨメの母親には少しく心配されてしまった(笑)。ヨメは「あれでまぁフツーやから特に問題はない」とか言ってる。ホンマもぉ良き理解者っちゅうか単に失礼っちゅうか・・・・・・(笑)。

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 これら二つの事柄はおれにとってとても啓示的であった。

 原始共産主義的カルト(彼等は宗教団体を標榜してるワケではないが、間違いなくカルトだ)であるヤマギシズムの創始者・山岸巳代蔵はある日、営んでた養鶏業の沢山の鶏の姿に啓示を受けてヤマギシ会を始めたと言われる。ニワトリやで、ニワトリ。気でも狂ったんちゃうかとは思うものの、恐ろしいコトに今や農業生産団体としては日本一の規模だったりする。勿論それが洗脳による過酷な個人財産と労働力両方の搾取の上に成り立ってるのは言うまでもないが。

 おれもこれを機に何かウハウハにボロ儲けな精神修養団体始めてみようかな?・・・・・・でも蝉とでんでん虫ぢゃなぁ〜(笑)。

2021.08.07

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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