「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
東へ西へ


実は本人の唄でシングルカットはされてないんですよ。

 「YES!高須クリニック」のCMで有名な・・・・・・ってまぁ他にも何かと有名な(いささかお騒がせだったりもするが、笑)、「高須のかっちゃん」こと美容整形外科医の高須克弥が末期ガンで余命幾許もないんだそうな。ご本人の最近のツイッターにはいよいよ覚悟したかのようなツィートが上がってるが、それでも明るくパワフルで、屈託のないのが良い。100%どころか200%くらいガンガンに生きまくって、全てを受け入れてサクッと死ぬ・・・・・・こりゃナカナカできることではないと思うな。
 おらぁケッコーこの人が好きなんで、本当に惜しいことだと思ってる。何となく戦前の大金持ちにいたような、右翼/左翼といった鬱陶しいイデオロギーを超えたトコで、自分の財力と是々非々だけで行動して結果を残し、良識と常識に縛られて何か煮え切らない連中を歯噛みさせてたようなタイプに近いノリが感じられるからだ。

 ハナシはちょっとそれるけど、美容整形の世界もしかし随分とアザといっちゅうか生き馬の目を抜くっちゅうか、高須センセがアカンってな情報が出回り始めた途端、「湘南美容クリニック」が一気に寡占化を進めるべく、もぉイヤらしいくらいにバンバン広告打ちまくり始めてるのね。やっぱ医は算術なんやなぁ〜、ってつくづく思うで。

 それはともかく高須のかっちゃん、意外な一面があって、実は僧侶の肩書も持ってたりする。法名は「釈克念」とのことだ。何でも奥さんに先立たれたり東日本大震災が起きたりをきっかけに仏道に見覚め、本格的に京都の東本願寺でチャンと得度したのである。ヤル時は真剣にヤルっちゅうこっちゃね。東本願寺ゆえ宗派は真宗大谷派・・・・・・俗に言う「お東さん」っちゅうヤツだ。地元ではたまにお寺を借りて法話なんかもやってたらしい。

 ・・・・・・長いマクラはココまでだ。今日のネタはこの、浄土真宗の東本願寺派・西本願寺派を巡るちょっと個人的なエピソードが中心である。

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 いきなり細かい話しても殆どの人はチンプンカンプンだろうから、初めに浄土真宗って何?東と西って何?って説明が必要だろう・・・・・・ハハ、ほぼ全部書き写しなんだけどさ。

 まず法然って平安末期くらいの坊主が始めたのが浄土宗、っちゅうの。実は「なんまんだぶ〜」の「南無阿弥陀仏」を唱える浄土信仰自体は平安初期くらいから始まるが、これを寺単位ではなくかなり横断的な組織にオーガナイズした立役者と言える。ちなみに浄土宗はその後、分派して知恩院を総本山とする「鎮西派」、さらに下で細かく分かれるがザックリ「西山派」の2つのセクトに分かれてる。また、浄土信仰ってコトでルーツは同じなんだけど、ちょっと違う流れとして「融通念仏宗」なんてのもある。昔、駄文に書いた平野の大念仏が総本山だ。さらに少し時代的には後になるが「時宗」なんてのもあったりする。まるで、細かい差異で仲違いしてどんどんセクトが分かれてった戦後の珍左翼みたいやね。
 ほいでもってこの人の高弟の1人が浄土真宗の開祖の親鸞である。鎌倉仏教とかゆうて日蓮と並んで有名やね。もぉ、殆どアナーキストみたいな過激な主張をしたコトで人気バクハツとなった。みなさんも日本史で勉強させられたっしょ!?「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」なんて。アータこれ、殆ど屁理屈に近いくらいの逆説アジテーションですよ。

 ともあれこの見事なアジ演説が当時の学生・・・・・・ではなく、教えが大衆の心をワシ掴みにした。こうしてメデタく浄土真宗の成立である。他にも妻帯OK!肉食OK!念仏もそんな毎日毎日唱えなくても宜しおまっせ〜!ってなライトプラン的お手軽さもあって、勢力はだんだん拡大して行く。
 特に、親鸞没後200年くらいして登場した手紙魔の蓮如ってのが恐るべき政治力を発揮して、一気に契約会員数、もとい信者数は増大。他のセクトの力も削ぎながら時の大名たちも畏れるほどの一大勢力になった・・・・・・なんてのもやっぱし日本史の教科書に出て来たよね?一向一揆とか、加賀の国では大名追い出して自治が実現したとか。みんな死ねば極楽往生って信じてるから、今のイスラム国の自爆テロ並みにタチが悪い。

 余り長くなってもいけない。そんな浄土真宗(当時は一向宗)にそれなりに飴を握らせたりして上手く転がして懐柔しながら、内紛に乗じて勢力を二分させたのがタヌキの徳川家康である。かくして東と西って分かれた。ちなみにあらゆる教義には解釈と権力を巡る分派闘争が付き物のようで、現在は何だかんだで泡沫団体まで入れると30くらいに分かれてるらしいが、やはり大きいのは西本願寺系列と東本願寺系列だろう。結局はそのどっちかに大別されるのは間違いない。まぁ、みんな「南無阿弥陀仏」でハタ目には何がそんなに違うのかサッパリ分からんのだけどね・・・・・・。

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 術後の譫妄状態がそのまま認知症に移行したようなカッコで父親が消息不明になってしまい、あれほどいがみ合ってたにも係わらず、後を追うようにその数年後に母親が亡くなった。儚いモンだ。努めてドライに書いたけど、そりゃぁおれも人の子、泣けましたよ。 
 しかしそんな個人の感傷など待ったなしでバタバタと葬儀の段取りに追われる中、当然ながらお寺はどうしますか?家の宗派は何ですか?と尋ねられたトコからいよいよ話は始まる。

 一応父親の郷里に檀家となってる寺はあるのだけれど、遠方かつ山奥なコトに加え、住職が脳梗塞か何かの後遺症でヨイヨイになってしまって、到底こっちに来て法要が営めるような状況ではないコトは分かってた。それで仕方なく葬儀屋に寺を手配してもらうことになり、おれは田舎の寺に電話して、他のところに依頼する非礼を詫びつつ、念のために宗派を確認した・・・・・・っちゅうのも、それまでおれは何度も父親から「うちはお西っさんやからな!」と言い聞かされてはいたものの、万が一細かいセクトとかあったらそれはそれで配慮する必要があるのかな?などといささか心配になったからだ。要は念のための確認ってな意味だった。

 事情を伝えて、おもむろに電話に出られた大黒さん(住職の奥さん)に訊ねた。

 ------あのぉ、父親からはお西っさんって聞かされてたんですけど、そちらはさらにナントカ派みたいなのに属されてます?
 ------はぁ!?うちは真宗大谷派、お東さんですけど。
 ------えぇ〜っ!?たしか戦時中、父親はそちらの離れに疎開させてもらって、ご住職とも仲良かったからそんな間違いって・・・・・・
 ------いやいや、ウチは昔から一貫して真宗大谷派の末寺です。変わったりなんてしてません。
 ------初耳です。私、ずーっと昔からお西っさんって聞かされてたもんで・・・・・・たいへん失礼しました。
 ------いえいえ、それにしても何でそんなコト言うてはったんでしょうねぇ、お父さん。
 ------全然私も分かりません。

 ともあれ葬儀屋と契約でもしてるんだろう、どっかから動員された東本願寺系列の全然知らん寺の坊さんによって、慣れた調子で滞りなく葬儀は終わった。まぁ、日本の仏教は葬式仏教なんだな〜、って感慨しか残らないものだったが。
 何かと妙に傲慢でエラそうに意見を吐くワリに、びた一文金は出さないんでも一つ馬の合わない父親の弟・・・・・・つまりおれの叔父に式の終わった後に、宗派についてのいきさつを話した。事前にヘタに話すとまーたウダウダ口出しばかりされてややこしくなりかねないんで、全ておれ一人で仕切ったのだ。ところが彼も昔から、父親に「うちはお西っさんや」って吹き込まれてたみたいで、随分驚いてた。

 式が終わり、四十九日が終わり、納骨が終わって、いつまでも空き家となった実家に仏壇、それも戦後、絵にもハナシもならない貧乏な頃に買ったというボロボロのを置いとくのも如何なモノか?と、おれにしてはとても殊勝な気持ちで新調することにした。それで仏壇についてネットであれこれ調べて判明したのは、これも宗派によってルールがあってそれぞれスタイルが違うってコトだ。
 そんなニワカ仕込みの知識で実家の仏壇を改めて調べてみると、たしかにそれは東本願寺派の流儀のモノだった。要は、父親だけが西本願寺だと主張してたのがいよいよ明らかになったのである。

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 それにしても・・・・・・どうして父親はそんなワケの分からないウソを言い続けてたんだろう?いや、絶対に勘違いなんかではないハズだ。

 なるほどあまり擁護する点の少なかった男ではあったが、仏教系の読書量がそれなりどころかかなり多かったのは間違いない。家の本棚の一つはそんな書籍で埋め尽くされてたのだから。社員30人ほどの小さな会社の外回りの営業マンとしてはこれはかなり珍しいケースではないかと思う。だから思い違いとかではなく、やはり彼なりに何か強い拘りがあって、意図的に西本願寺派だと主張してたと考えるのが自然だろう・・・・・・とは思うものの、肝心の本人はいなくなっちゃってる。それにたとえ徘徊の挙句の行方不明になってなかったとしても、認知症が進んでた中でそのような質疑が成り立ったってたかどうかは疑わしい。

 恐らく父親は大真面目に「西本願寺派こそが浄土真宗の本筋の思想だ」みたいに思い込んでたのではなかろうか。そんな仮説に立ってあれこれ調べてみると、すぐにとある事件に行き当たった。1969年(昭和44年)に勃発した「お東騒動」と呼ばれる内紛劇だ。まぁ調べれば調べるほどワケ分かんないし、いろんな政治団体がオルグして裏で介入してるっぽいし、ホンマ色と欲に目が眩むと人間、ロクなことないなぁ〜、ってつくづく思うドロドロの権力/利権闘争である。ピカレスクとしてはとても面白い。ちなみにそれから50年以上経った現在も、未だに悶着の火種は燻り続けてるらしい。

 ・・・・・・多分、これだ。これで家の宗派が東本願寺派であることに嫌気がさしたんだろう。

 彼がヒドく真剣に考えたであろうことは認めよう。しかし、そんなのどぉ〜〜〜〜でも良いことだ。実にクダらない。プロ坊主ならいざ知らず、一介の無名の市井の個人が内的な思想信条であーだこーだ拘ったって、一文の得にもならないし、むしろ意味不明でハタ迷惑でしかない。そんなに宗旨替えしたけりゃ真言宗でも天台宗でも日蓮宗でも禅宗でも、思い切って好きなのに鞍替えすりゃぁ良かったのだ。いっそカトリックやプロテスタント、スンニーやシーアでも良かったくらいだ。その方がまだ少しは面白かった・・・・・・かも知れない(笑)。

 そもそも論でそれぞれの家庭の宗派なんて実にデタラメで、江戸時代の檀家制度によってテキトーに割り振られたモンに過ぎない。オマエ、この村に住むんならコレね!ハイ、決まり!みたいな風にドンドン決められてったのである。ちょっと近隣との人数バランス悪いから、って村ごとある日突然、別の宗派に乗り換えさせられるなんてことさえしばしばあったらしい。
 すべては日本にスッカリ根付いた仏教を巧みに利用した大衆管理と、教団権力の分散・弱体化のためである。実に江戸幕府ってのは老獪な組織だったと思うわ・・・・・・って、それはともかく、各家庭の宗派なんてもぉかくもアバウトなモンである以上、鼻息荒く拘ってもナンセンスなだけ、ってコトはお分かりいただけるかと思う。

 だからヘンなハッタリかまさず正直かつ率直に、「うちはお東さんやけど、個人的にはちょっとお西っさん推しなんや」とでも言ってくれてたら、まだやりやすかったのにと思ってしまう。大体よくよく考えれば、祖父母の代から納骨させてもらってる天王寺の一心寺なんて、受付は宗派不問とは申せ、寺自体は浄土真宗ではなく一段古い浄土宗で、何のこっちゃない、元からちょっと辻褄合ってないんだし。

 思う。人間、拘りはそれなりに大切だ。おれだって色んなしょうむない拘りがあるし、それにまったく無いヤツなんてただの無気力って気がする。

 だからってしかし、それに勿体ぶったハッタリかまして家族や周囲の者を巻き込んだりしちゃぁやっぱしアカン。仏教についておれは大して何も知ってないし、知ろうっちゅう気もサラサラないけれど、拘りだって畢竟、我欲とか妄執の一種なんだろうから、どうでも良い些事にまで拘りの網を張り巡らせて囚われてるのは、かなり根本的なところでメチャクチャに間違ってるような気がする。

2020.11.26

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