「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
吹くならド~ンと吹きましょう(Ⅲ)・・・・・・日月神示


「日月神示」の原本と言われるモノ。

 偽史・偽書に対するおれの興味は、祖父の代からの付き合いだか何だか知らないが、家計はさして豊かでもないのに生長の家の機関誌をしつこく購読し続けてた父親への嫌悪感と裏表になっている。どれだけ彼が信じてたのかは不明だけど、たまに夜中に拝んだりしてたからケッコー信じてたんだろう。仕事が忙しかったせいか、集会とかに出掛けてくなんてことはなかったと思うが。
 まぁそれでも母親やおれが信心を強制されることはなかったから、創価学会やエホバの証人の信者の家に生まれた子なんかよりは、その点ではまだ救われてた方なのかも知れない。新聞配達させられたり布教に付き合わされたりでホンマに大変だってゆうもんな。

 でもまぁだからおらぁ別に偽史・偽書を書きたいとも読みたいとも思ってない。当然ながらこれっぽっちも信じる気だって無い。こんなのに血道上げるってバカぢゃねぇの?って思ってる。
 ただただそれらを巡る悪党やファナティックなシンパたちの不思議なまでの歪んだ情熱や、知性と教養を備えてるハズなのにコロリと騙される人たちといった人間模様、あるいは成立して行く過程等が一種のピカレスクとして面白く、そして嗤い飛ばしたいのだ・・・・・・そう、嘲笑・冷笑したいのである。

 さてさて、今回取り上げるのは「日月神示」である。本来は「ひつきしんじ」であり、それを読めるように訳したのが「ひふみしんじ」だとか、どうでも良くてワケの分からない後付けの主張も最近では出て来てるけど、一般的には「ひふみ」で呼ばれてる。意外にその成立は新しく、終戦直前から昭和30年代半ば過ぎまでに出来たものだと言われる。詳細はウィキ読んでいただければ分かるんで、ここではかいつまんだあらましだけを、例によって例のごとくいささか茶化しながら紹介しておくことにするが、まず初めにキチンとお断りしとくべきなのは、この謎の預言書もまた間違いなく偽書だ、ってコトだ。

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 作者(!?)は岡本天明という売れない日本画家、兼大本教の周辺をウロウロしてた人物である。勝手に「売れない」って断言しちゃったけど、どれだけ調べてもマトモに人気を博したとか、号何万の値が付いたとか、そんなエピソードは一切見付からなかったから、画家としてはあんまし大成できなかったんだろう。いずれにせよまずこの人物の来歴がとにかく胡散臭い。

 明治30(1897)年、岡山は倉敷に生まれ、生来、絵を得意とし・・・・・・たんならそっちの道に進めばエエのに、なぜか上京して明治大学に進み、1920年頃に大本教と出会う。
 それから昭和10(1935)年に起きた大本教の第二次弾圧くらいまでは教団運営に係わってたみたいである(機関誌の編集長をやってた)。上手く一斉逮捕から逃れたのか、それとも小物だったからそもそも検挙者リストに入ってなかったのかは定かではないけど、徹底的に治安維持法でやられて弱体化した大本と袂を分かち、細々と雇われ神主なんかやりながら過ごしていた。ところが戦争終結も迫った昭和19(1944)年、千葉は成田の手前、宗吾霊堂の近くの麻賀多神社ってトコで神憑りが起きて、自動書記(所謂「お筆先」)によって記されたのがこの「日月神示」であるという。ちなみにこの麻賀多神社、京成電車の公津の杜駅近く、今では附近一帯がすっかりベッドタウン化した中、チャンと現存してる。

 降りた神ってのが「国之常立神」であり、自分の意志とは関係なく記された内容はサッパリ意味不明の数字や記号の羅列であった。何が何だか良く分からなかったけど、これを本人に加え周囲の心霊研究家が苦心の末に翻訳して日本語にしたのが件の「日月神示」なのだという。
 神憑りはその後も断続的に続き、最後が昭和36(1961)年のことだった。こうして後には膨大な意味不明のそれら記号の殴り書きのようなものが残った。神が降りてる時の天明は尋常でないスピードでそれらを書き連ねていたという。
 天明は昭和38(1963)年に亡くなるが、その後も夫の遺志を継いだ妻を中心に解読が進められて来た。その訳し方には、降りた神自身の弁によれば8通りあると言われ、今はその一つ目もしくは二つ目の訳が行われている・・・・・・。

 ・・・・・・いやはや見事に全部主催者側発表ばっかしなんだな、これが(笑)。

 大体、実家が破産したのに東京にある明治大学に進学させてもらって、ほぼ同時期に大阪にあった大正日々新聞社にどうして就職してるのか、ちょっと冷静に読めばすぐ見付かる矛盾があったりもするし。ある評伝では辻褄を合わせるためだろうか、あちこちの新聞社を記者として渡り歩いたとか、あるいはすぐに退学して北海道で炭鉱夫をやってたとか、無銭飲食で東海道を歩いたとか、八面六臂・徒手空拳の前史さえ演出しようとしてる感さえ伺える。

 ハッキリ言っちゃおう。「日月神示」の内容だけでなく、その成立について語られてるコトはみな、ひじょうに手の込んだインチキである。結局述べられてる内容は大本教の経典の亜流であり、決してその枠組みを出るモノではない(どだい大本にしたって金光や天理・黒住等の幕末~明治期の新宗教の亜種なんだし)。それに、降りて憑いたっちゅう国之常立神にしたって、元ネタは大本が崇めるだけの良く分からん神さんだ(新宗教にやたらとこの神さんを崇めるのが多いのは、大半が大本の分派をルーツとしてるからだろう)。
 いっちゃん最初に神が降りたという昭和19(1944)年の扶乩実験なるものも、大正から昭和初期にかけて盛んに行われた交霊術を言い換えてるだけに過ぎない。大体、そんな交霊実験を盛んにやってたのは、元はやはり大本でナンバー3くらいの幹部だった浅野和三郎(第一次弾圧の際に大本から離脱してる)だったりするのだ。もちろん、天明だって良く知ってた人物だろう。教団での立場は役員と平社員くらいの差があったはずだけど。

 また、自動書記で記されたという謎の記号がスェーデンボリが霊界旅行記で述べた「天界の文字は数字が多かった」という内容と酷似しており、だからこれは本物なんだ、って根拠にさえなってるけど、まったくの逆である。岡本天明は遥か以前からそのことを知ってて、本文を先に拵えながら(あるいは文面を考えながら)、内容をいわば逆変換して紙の上にしたためてこの奇妙な預言書を作ったのだ。大体、未来のコトを語って原水爆にも言及しながら、中性子爆弾について全く出て来ないのは、要するにそれが天明没後に発明されたモノであり、彼自身、知りようがなかったからである(笑)。
 他にもツッコミどころは満載で、ソ連の脅威は訴えつつ今日のように中国が強大化することや、仏教・キリスト教に触れつつ今や世界のテロリズムの大半を引き受けるイスラムの台頭については全く見通せてない。要は第二次世界大戦直後の世界情勢に基づいた内容なのだ。何が三千世界の大道だ!?七度目の建替だ!?一見、巨大なスケールで語ってるようで実は世界観がメチャクチャ狭いのである。もぉこれらだけで十二分に偽書バレバレだよね(笑)。

 そんなハズはない!ありゃぁ絶対に神のお筆先であり、書かれてるのは霊界の文字なんだ!って反駁したい向きもおありだろうが、大正時代に発生し、猖獗を極めた今で言うところのニューアカ・スピリチュアルブームに、鈴木大拙経由でのスェーデンボリがどれだけ大きな影響を与えたかをまず知ってからにすべきだろう。岡本天明が大本で働く中で、その情報をズーッと以前に得ていたのは間違いないと考えられる。

 も一つ、「日月神示」の致命的な欠陥を挙げるならば、降りた神さん自身がしばしば言及する「サニワ」ってコトバにある。一般的には「審神者」という漢字を当てると言われ、このテの交霊実験の司会進行役兼、交霊したのが悪いヤツでないかを判断して、ヤバかったら追い返す重要な役どころと言われる。当然のようにそんな意味でこの偽書の中でもあちこちで用いられてるのだが、実はサニワに本来的にそんな意味はなく、元々は霊媒師自身をサニワと呼んでた・・・・・・でもって、違う意味で使われ始めたのが上に述べた交霊実験が盛んに行われるようになって以降なのである。
 こんなんまで拝欧かとナサケなくなるが、欧米からの輸入で始まった交霊実験をそのスタイルに則って行う際に、審判ぢゃ野球みたいでマズかろう、って超訳しちゃったことでサニワの意味が変質しちゃったワケだ(笑)。日本古来の神さんが、そのような誤謬を正すこともなくそのまま使うなんてどう考えてもおかしいよね?
 も一つ、これはけっこう知られてるコトバだから敢えて今更言うまでもないが、「三千世界」ってのも間違い。これは仏教用語だ。日本の行く末を憂う古来の神さんが、そのような異教の用語を平然と使うのは明らかにおかしい。百歩譲ってホントに何かが天明に憑依したっちゅうんなら、それは恐らく狐狸や妖怪の類だったんだろう(笑)。

 大体、自動書記のキッカケとなった都内で開かれたっちゅう扶乩実験にしたって、ホンマにやったのか、かなり怪しいモンである。考えても見て欲しい。そもそも論で戦局いよいよ厳しくなってる時に、現役の軍人のエラいさんまでが集まって神託を得るなんて、それだけで当時なら不敬罪に問われかねませんぜ、旦那。
 実態はただもう戦火を避けるために旧知の伝手を頼って成田に疎開した時、一世一代の大博打を思い付いた、っちゅうのが恐らくは正解ではないかと思う。

 多分、以上が内幕だ。もちょっと言うと岡本天明はフロントマンっちゅうかパシリであり、周囲の有象無象の心霊研究家たち(恐らくは大本の残党だろう)も一蓮托生、いわばグルになって作り上げられた、ってのがより真実ではなかったかとおれは睨んでる。それはまるでラブクラフトが仲の良い怪奇作家仲間たちと組んで念入りに創り上げた巨大な邪神神話・クトゥルフみたいに・・・・・・思えばこちらも余りに芸が細かすぎたモンで、これをガチの秘匿された神話だと信じる困った人が世の中にはケッコー多い。

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 一致団結、努力の甲斐あって(笑)、「日月神示」が最初に書かれた直後、負けはしたけど戦争も終わって信教の自由が保障された民主国家ともなって、戦後ワリとすぐにこれを経典とした教団・「ひかり教会」が発足する。場所は件の麻賀多神社の近くだったらしい。地元の人にとっては迷惑な話である。元々は東京から疎開でやって来た得体の知れないオッサンが宗教団体始めちゃったのだから。その内本部は岐阜に移転し、さらに数年後、三重の菰野、湯の山温泉の近くに移転した。湯治でもしたかったんだろうか。

 彼等の目指すところが何だったのかはぶっちゃけ良く分からない。言えることは、全編記号と仕掛けに凝ったワリには、内容自体は既視感ありすぎで新鮮味に乏しかったゆえか、宗教団体としてはも一つ鳴かず飛ばずで、あんまし大して成功することはなかったってコトだ。何をどう画策したのか、その動きは戦後に復活を果たした大本への還流を目指してたようにも見える。ちょっと食い詰めてた可能性もあるな。
 最後は「至恩郷」と名前を変え、驚くほど長生きした残された妻も平成21(2009)年に鬼籍に入って教団は消滅した。類は友を呼ぶで、どうやら末期は宗教ビジネスでひと山当てたい胡乱な連中が群がって食い物にしてたみたいだが、みんな消えた。そして教団としては最も大事な財物であるはずの大量の原本までもが、どうしたことか散逸してしまっている・・・・・・っちゅうか、ウソがバレると後々の商売に差し障るんで処分されたのではなかろうかって気もするが(笑)。
 相前後するように、元から怪しい「日月神示」関連のさらに怪しげな解説本みたいなんがだんだんと増えて今に至っている。現在は中矢伸一っちゅう、これまた氏素性の知れない自称・フリーライターがとりわけ熱心にこの偽書の紹介に努めているようだ。どうやら教団の最末期にスタッフで潜り込んでた一人らしいが、まぁ良い飯のタネになるんだろうな・・・・・・って、「伸一」っちゅう名前、親が創価学会なコトが多いんとちゃうかったっけ?(笑)
 教団本部跡の建物はすっかり廃墟になってるらしい。なもんで、いっぺん潜入してやろうかとも思ってる(笑)。湯の山界隈は他にも廃墟の宝庫だし。

 最後に、どうしてこのようにおれが「日月神示」を偽書と断言できるのか、またその他小ネタについて少し触れておこう。

 生長の家もまた大本教の分派の一つ(教祖・谷口雅春は第一次弾圧の時に離脱して新たに教団を立ち上げた)なのだが、父親の書棚にはそんな生長の家の経典本以外に、グレーの大層な箱に収まった鈴木大拙全集やスェーデンボリの訳本があったのだ。つまりその辺に関する知識や情報は、いわば「地続き」になってたと思われるのである。
 サニワについても70年代初め、中岡俊哉やらつのだじろう等による一大オカルトブームの時に、「エクトプラズム」なんてコトバが流行ったりもしたのだが、父親が「エクトプラズムって交霊術で鼻から出て来るって言われてましてな、でも交霊術って危ないから霊媒だけやのうて、あとサニワって人がおらんとあきまへんねん。昔はカメイさんってものすごい霊媒が居りましたなぁ」な~んてコトを得意そうに話して、それで知ってた・・・・・・まぁ、実際はあんなもん安っぽいマジックなんだ、ってコトを知ったのはもっと後年になってからだったけど。

 それはともかくつまり、「日月神示」を取り巻く様々の事柄は、大正以降の新宗教・・・・・・少なくとも大本教の流れを汲む連中の間では、特段目新しくもない手垢の付いた基本コンセンサスに近いものだったんだと思う。

 あと、これは完全にトリビアだが、現・ボアダムズのヤマツカは実家がかなりガチの大本教信者で、子供の頃、本部に一緒に参りに行かされるのがイヤでイヤで堪らなかった、みたいなことを昔インタビューで語ってたことがある。そんなルサンチマンを込めたのか、ハナタラシ時代の作品の中に、ノイズをバックに大本の祝詞をコラージュした作品があったっけ・・・・・・って、今では本人がエクストリームミュージックの教祖みたいになっちゃったけどね(笑)。

 大分話が脱線してしまった。いずれにせよ「日月神示」は、戦後派の新興宗教の勃興期に、大正期の新宗教ブームの様々なエッセンスをかなり無節操に散りばめて現れた、いうなれば「ちょっと時代遅れでムダに荒唐無稽、かつ稚拙なエピゴーネン」であった。偽書としては実はかなり雑な部類に入るものだと言える。三流フォロワーとかコピーバンドみたいなモンだな(笑)。だからおれたちはこんなモノに決してアテられたり騙されちゃいけない。


※附記
 これ書いてしばらくして、偶然にも成田方面に所用で出かけることがあったので、日月神示の舞台となった麻賀多神社に実際に寄ってみた。深い社叢に囲まれたなかなか立派な神社で、古式ゆかしく粥占なんかも行われてるようだ。もちろん問題の天日津久神社も裏手にあったが、ぶっちゃけ境内摂社の一つに過ぎないことが良く分かった。それを目敏く見付け、利用しようとした岡本天明っちゅう男は間違いなくチンケな詐欺師だったと思われる。
 このような偶然がもし神のお導きだとするならば、多分、このようなイカサマをイカサマと断じた上の文章に、三現主義の傍証を与えてくれたんだとおれは思うな(笑)。


これ書いてる人もまぁちょっとアレ、だな。

2020.05.17

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