「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
学習力と記憶力の欠如・・・・・・台風15号に想う


これが今回の台風15号の進路。見事に東京湾の真上を横切った。

https://jp.weathernews.comより

 しばらく聞かないな~、って思ってたら今は、「豆台風」って言葉は使っちゃダメなんだそうな。理由は「豆」って字面から知らない人が過小評価してしまう惧れがあるからだという。ハハハ、そんなことばっか厳格になってどないしまんねん?アホちゃう?

 ともあれ、先日来襲して東京湾沿岸・・・・・・殊に房総半島に甚大な被害をもたらした台風15号は、正にそんな豆台風の典型例だった。小笠原とか南鳥島あたりで発生して、上陸までの僅か数日間で一気に気圧が下がって勢力は増すものの、暴風域自体は通常の台風よりも随分と小さいのが俗に「豆台風」と呼ばれるようになる・・・・・・ね!?モロにそのパターンに当たってるっしょ?実際今回のも、上陸直前まで風が特に強まることもなく、ホンマに来るんかいな?ってな雲行きであったのが、夜半くらいから突然ビュービュー吹き出したもんな。
 何でもこうした豆台風、あまりに小さすぎるもんだから、かつてレーダーが未発達な時代には動きどころか存在さえ捉えるのが大層むつかしく、通り過ぎて初めて判明したとか、今の時代からすると信じられないようなこともあったらしい。実際、豆台風がキッチリ把握できるようになったのは宇宙から観測できる気象衛星が一般化してから、っちゅうから、たかだかこの30年くらいのハナシなのである・・・・・・つまり過去のデータの蓄積がひじょうに少ない。

 さて、被害に遭われた方々は屋根が飛ぶとか壁に穴空くとかだけでなく、停電と断水が当初の予想をはるかに超えて長期化したために、房総半島の先っぽの方に行くほどに市民生活が麻痺状態になってるらしい。倒れた電柱だけでも数千本っちゅうから、たしかにすぐの復旧は困難だろう。聞くところによると、台風銀座な西日本よりこっちの電柱はちょっと華奢に出来てるらしい。そこに50mを超す風がゴーゴー吹いたんだからそらひとたまりもないわな。
 話は逸れるが、翌日だったか東電の記者会見でバカな記者が倒れた電柱の数が把握できてないことを非難するようなコト言ってたが、笑うに足りると思う。筋金入りのバカだ。台風で倒れるのは電柱だけではない、っちゅうねん。当然木だって何だって倒れて道があちこちで通れなくなってんのに、どうして正確な数が勘定できるのか教えて欲しいモンだ。ドローン使えって!?使ったからそれでも3日くらいで把握できた、っちゅうねん。本当にブン屋っちゅうのは卑しい人種だわ。

 さてさて、住民のみならず、警察や消防、東京電力や市区町村といった自治体、果ては官邸までもが「想像もしてなかった」ってセリフを口にするコトが今回はとても多かったように思う。そのことについて今日はちょっと書いてみたい。いや、別に誰かを指弾したいと思ってるワケではない、むしろ自戒を込めてだ、ってことを最初に申し上げておく。

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 そもそも論で過去の豆台風って、どうだったんだろう?って調べてみたんだけど、上述のような理由もあってこれがあまりハッキリしない。ただ、後から「これは豆台風だったのではないか?」と推測されるケースとかも見てみると、関東地方への上陸例が多いことは概ね間違いないと思われる。終戦直後に銚子に上陸したのなんて、今回の15号とひじょうに似てたみたいだし、他にもいくつか見付けることが出来た。どれも大きさからするとひじょうに強い台風だった。

 つまり「想像もしてなかった」のではなく、おれたちにはただもう「過去からの学習力が欠けてた」あるいは「過去を忘れてしまってた」だけなのではないか、って気がするのだ。これは先の東日本大震災で、古老の伝承や津波到達の高さを示す石碑がすっかり忘れ去られてたのと同じ構図である。
 そりゃぁたしかに房総は比較的気候は温暖だし、急峻な山もないし(何たることか、東京スカイツリーの方が千葉の最高地点より遥かに高いのだ)、行楽に出かけるのにお手軽だし、古民家買って移住するような人も多い(実は知り合いにも何人かいて、今回エラい目に遭った人もいる)し、釣りや海水浴、ハイキング、フルーツ狩りとか花摘み、ゴルフ場だって沢山ある。それにいざっちゅうときは都心にだって出やすい。困るのは強いて言うならキョンとヤマビルの増加くらいなモンだろう。一言で言ってノンビリした感じなのだ。

 しかしそんなんただのイメージの刷り込みに過ぎない。災害が来ない証左になんて全くなってくれはしない。自分だけは大丈夫と思ってしまう「正常性バイアス」に近い、何の根拠もない楽天的な自惚れみたいなモンなのだ。
 過去、房総方面だって多数の天災に襲われている。台風に限定すると良く分からないが、大雨被害らしいのだと下記のようなのがすぐに見付かった。

●昭和27年と昭和54年の曽呂高田の大規模な地すべり滑動
●昭和45年7月県中~南部の梅雨前線豪雨による崖崩れの多発(死者19名うち12名が崖崩れによる)
●昭和46年9月台風25号による崖崩れの多発(死者56名)
●昭和62年千葉県東方沖地震による九十九里浜平野に面する台地縁辺の崖崩れ、他
●平成元年の県中~南部の集中豪雨による鹿野山周辺丘陵の斜面崩壊の群発
●平成8年の台風17号による伊予ヶ岳の大規模地すべり
https://www.pref.chiba.lg.jp/より

 ・・・・・・それなりに県内各地で頻発してるんやんか。ちなみに今回の台風の特徴でもあった暴風関係での過去の被害の記録は残念ながら見つけられなかった。ただ僅かに明治35年、昭和14年、20年に今回に比肩しうる暴風被害を伴う台風が来たらしいことが判明した程度だ。
 「千葉は風水害も殆どなくて暮らしやすいですよぉ~」などと、揉み手で安普請の家売った不動産屋は重罪に処すべきだろう。安易なセールストークに乗るのもそらアホだし、アカンけどさ。

 これが地震関係になるともっと多い。例えば、以前紹介した成東の懸崖造りである波切不動。今は海岸線から8km以上離れた山裾にあるが、元はと言えばこれは海岸線の近くに建てられたものだったのだ。何度かの大地震による地盤の隆起で海が遠ざかってしまったのである。館山市にある沖ノ島だって同じ。今は陸繋島で普通に行き来できるけど、これは関東大震災までは本当に島だった。またこの近辺の海岸段丘はほぼ全て、これまで何度も繰り返されて来た巨大地震に伴う地殻変動による隆起の痕跡だったりする。何でも6千年間に15回くらいそぉゆうことがあったみたいである。
 津波被害にしたって海岸線の多くが太平洋に面してるだけにかなりである。明治より前は正確な高さが分からなかったりするんで、あくまで推定なんだけど、18mっちゅうのが江戸時代くらいにあったらしい。昨年発表された最悪の場合のシミュレーションでは25mなんて予測さえ出てる。九十九里にこの高さで津波が来たら、海岸線から3kmくらいまでが綺麗に流されてしまうという。ああ、東日本大震災の時だって、飯岡ではたしか8mくらいの高さがあったハズだ。

 ・・・・・・いやもぉ、ひでぇモンなんですよ。全然ノンビリしてないんっすわ、房総。そして、日本中どこ探しても天災のない場所なんてない。おれたちはそこを良く思い知らないといけない。

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 結局、誰かを恨んだって仕方ないのである。アベは内閣改造にウツツを抜かしてたとか避難がましく言うけれど、ここまで大きな被害が出ると思ってなかったのは日本人全員だろう。ナメてた、って点ではみんな同罪だ。エラそうに書いてはみたもののゴメン!おれだってぶっちゃけあの日の晩は吞気に寝てて、一夜明けてTV観てビックリしたもん。こんな時に誰かをとやかく言って留飲を下げるのは、自らを愚民であると認めるようなモンだ。
 だからとにかく謙虚に過去の事例をなるだけ広く学んで、治に居て乱を忘れずで自衛に努めるしかない・・・・・・たしか昨年も似たような結論になったっけな。

 天災自体はどうにも防ぎようがないけれど、学習と努力で幾許かはその被害を軽減することが出来ることもある・・・・・・100%ではないんだけどね。

 ・・・・・・さ、次の休みは家にある備蓄品のチェックでもしよぉ~、っと。 

2019.09.18

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