「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
105-10=100-5・・・・・・コワい話


おれが持ってるのはこの朝日ソノラマ版。

 神奈川県の川崎で、中学卒業以来30なん年ズーッと引き籠ってたオヤジが珍しく朝から外出したと思ったら、刺身包丁振りかざしてスクールバスに乗ろうとしてた小学生の集団を襲った挙句、自らも首切って自殺するってな衝撃的な事件が起きた。
 その数日後には、元農水省次官っちゅうエリート中のエリートだったジーサンが、引き籠ってネットゲームに没頭するしか能のない出来損ないの中年の長男が上と同様な事件をいずれ起こすのではと悲観して刺し殺す、っちゅうやりきれない事件が練馬区で起きた。永年、猛烈な家庭内暴力に耐えてたらしい。
 さらに数週間後、大阪の吹田でこれまた出来損ないのニーチャンが警官刺して拳銃強奪するってな事件が起きる。関テレの役員だった父ちゃんが、自分の息子ちゃうんか?ってすぐに警察に通報したんで、ワリとすぐに捕まったのは不幸中の幸いだろう。

 まぁとにかく、どれもこれもどぉにも救いようのないほどに陰惨な事件だ。たまたま男がやらかした件ばっかし取り上げてみたけど、女だってもちろんある。ただ、絶対数で見るとかなり男の方が多いように思う。

 ・・・・・・で、どの事件でだったか、コメントを求められた松本人志が「人間にだってある程度の確率で不良品は発生する」ってなことを言ったもんだからさぁタイヘン、良識ぶったアホ共に「それは優生思想だ」なんて叩かれてしまった。

 ・・・・・・果たしてそれは優生思想なのか?少なくともそれに繋がるのか?繋がっちゃダメなのか?

 そんなことをグダグダ考えてみたのが今日のネタだ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 実は優生思想について、そもそもおれたちは分かってるようで分かってない。いつもながらにWikiを開くと次のような解説が出てる。

身体的・精神的に秀でた能力を有する者の遺伝子を保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に遺そうという思想。優生学の成果に立脚する。人種差別や障害者差別を理論的に正当化することになったといわれる。

 元は19世紀、ダーウィンのイトコにあたるフランスの学者が唱えたのがその嚆矢らしい。たしかに選良思想とも換言しうる、鼻持ちならない傲慢がここにあることは事実だ。またエラそうなワリに価値観の物差しがヒドく単純なようにも思える。何かもう「アホはオマエぢゃい!」ってドツきたくなるよね。
 ともあれその後、拡大解釈が進んでナチスのホロコーストの理論的根拠となったこともあって、戦後この考えはすっかりタブー視されてしまった・・・・・・タブーとは詰まるところ社会的な思考停止に他ならないんだけどさ(笑)。そして人道やら人権思想が欧米中心に横行して今に至る。

 松本は世に蔓延する受け売りだけの安易な理想主義に対して根源的な事実をズバッと言ったに過ぎない。それにだからどぉせぇこぉせぇ、とまでは言ってない・・・・・・否、そこまでは怖くて言えなかったのかも知れない。だからこの発言を優生思想と切って捨てることにはムリがある。
 人間といえどどうしたって不良品はなんぼか発生する、っちゅう悲しくも酷薄な現実に、教育やしつけがどぉこぉとか社会がどぉこぉとか父母がどぉこぉなんていくら並べたって意味がない。それでもなお不良品は発生してしまうのだから。そらまぁ不良品は出ないに越したことはない。出ても何とか本人なり周囲なりが上手く工夫・努力してやれればそれはそれで良しなんだけど、それでもなおどしたって救いようのないのが出ちゃう。そんなことを彼は言いたかったんだと思う。

 多分それは人間の業なのだ。理由は良く分からないけど、社会や国家、あるいは文化・文明を形成するだけの知恵を授けられた人間に対して、引き換えに持たされた原罪、と言って良いかも知れない。

 この現実とどう向き合うのか?不良品も丁寧に手直しすれば使えるようになる、ってか?無論、それはそれで正しい。すべて否定する気はない。これが要するに戦後、欧米中心に一般的になった人道思想だ。
 とは申せ、平たく言って「モノには限度がある」・「バカは死ななきゃ治らない」っちゅうのも一方には厳然として、ある。そうなると、やはりもぉ諦めてオシャカで捨てるしかなかろう・・・・・・ってなコトゆうと、またすぐに条件反射的に「優性思想だ〜!」って騒ぐヤツが出てくるのは間違いない。まぁ繋がって無くはないわな。ゼロではない。

 ただ優生学の根本的にダメなところは、優劣を先天的・遺伝的な形質にのみ求めようとしたところにある。良し悪しはあれ、人は後天的に形作られる部分だってひじょうに大きいのに、それを知ってか知らずかほぼ黙殺してる。ほれ、昔から「氏より育ち」なんて言うではないか。
 要は先天・後天、いろんな回路を通って確実に一定数、不良品は作られて行く。本当に悲しむべきことなんだけど、それは動かしがたい現実であり、その事実をおれたちは直視しなくちゃいけない。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 コトバは極めて不穏当だがやはり、そろそろおれたち自身が自覚的に「排除」・・・・・・もっと有り体に言えば「淘汰」することを考えなくちゃならない時代が来つつあるのではなかろうか?って気がする。もちろん、社会に役立つか/否か?なんて功利主義的なコトを言うつもりはない。ただ冒頭に挙げたような日常生活に仇為す存在は、せめてムダに長い裁判のプロセスを踏むことなくサッサと片付けてしまえるくらいにはしないともぉどぉにもならんのぢゃないか?ってコトだ。いやいや、後追いなだけの刑罰を待ってて良いのか?ってなんさえいたりもする。

 冒頭のタイトルについて、ご存知の方はすぐに分かっただろう。あらゆる生物の雌雄は105:100で生まれる。オスの方が5%多いのである。しかしこれまた不可思議な神の配剤なのか、オスの方は生まれてしばらくは、免疫系その他が弱いために自然淘汰されることで最終的にほぼ同比率に落ち着くのである。この理由が何なのか、どんな意味があるのかは未だに解明されてないらしい。

 医学の進歩によって先進諸国では劇的に乳幼児の死亡率が下がった。その結果オトコ余りなんて笑えない現象も起きているものの、どうにも虚弱だったりして従来なら永らえることのできなかった命が救われている。それまで否定する気はない。
 一方でしかし、良からぬ種が結果的に育ってしまうことも実態として起きてるんぢゃないかと言いたいのだ。この芽を医学を進歩させたおれたちが社会全体の責任として考えんとアカンやろ?ってコトだ。

 思うに、案外不良品の出現率は高い。タイトルの通りで、10/105くらいでオトコに、5/100くらいで女に出現してるんぢゃないか?って気がしてる。だから男の方がヘンなヤツが多いのではないかと思う。もちろん、そんな中から新聞沙汰になるくらい処置なしなのはさらに絞り込まれるだろう。大半は何とかかんとかぎこちなくも家族や社会と折り合いつけながらやれてるのも事実だ。これが、手直しで何とかなる辺りを指す。告白するならば、多分おれもそこいらいいるような気がしてるんだが(笑)。

 鬼才・楳図かずおの初期の短編に「残酷の一夜」って話がある。ある夫婦に待ち望んだ玉のような子供が生まれる。心の底から喜ぶ二人。そこに突然、怪しくもみすぼらしいいでたちの男が訪ねてきて、この子は将来ロクでもないことになるから、今のうちに始末しちゃった方が良い、ウソだと思うんならこの箱を覗くとこの子の将来が分かると言う・・・・・・しかしその箱は、ただの木の枠だった。「バカバカしい!」と男を追い出す二人。
 しかし、子供は成長するにつれその男が言った通り、サイコパス丸出しの残酷で凶暴なモンスターに育って行く。果ては殺人鬼となって遁走してたのが、ある日両親のもとに金をせびりにやって来る。断る両親に手を掛ける男、遠のく意識の中で「あの時、死なせておけば・・・・・・」と深く後悔する両親。
 ・・・・・・ハッと気付くと、そこは元の家だった。目の前で赤ん坊は無邪気に寝ている。男は「お分かりいただけましたね」っちゅうと、静かにその子の息の根を止め、立ち去って行く。

 ちなみにまったく同じストーリーで「嵐の一夜」ってのもあるらしい。小道具の木箱が水晶の玉、って違いだけのようだが、おれはそっちの方は読んでない。まぁ、貸本時代に欧米の怪奇譚か何かを下敷きに描かれたもんだろう。

 それはともかく、この救いのないストーリーがおれたちに投げかけるものをもう少しは真摯に考えてみる必要があるんちゃうか?とおれは思う。生暖かいヒューマニズムに基づく教育や啓蒙、躾だけでは、解決も矯正も改心も望めない怪物に対して、刑罰という社会における対症療法だけでは対処しきれない、ってコトを。

2019.07.10

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved