「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
平成が終わり、令和が始まる


この人って笑うことあるんかな?って思ってたら、「ニコ超」で満面の笑みでした・・・・・・。

 生前退位っちゅう近代では久しくなかった形で、皇室典範なる法の改正までして平成が終わり、令和っちゅう新しい元号が始まる。

 いきなり余談だが、システムの元号コードを明治から順に1,2,3,4と付番してる場合はまだしばらく大丈夫だが、日本年金機構その他、社会保険系に見られる奇数連番で1,3,5,7としてたトコは今回の令和が9になってしまう。しかし、9を「不明」として既に使ってきたらちょっと困るかもしれない。最もアホなケースは総務省系に見られる、昭和を1として逆に大正、明治と1づつ増番するっちゅうワケの分からない仕様だろう。全くもってこれには見識を疑う。すでに平成の段階で体系は破綻しており、0とも−1ともできないんで仕方なく4になった経緯がある。もしこの仕掛けが敢えてシステム開発・改修費用を余分に取るための姑息な策だったらマジで許せんね。責任者出てこい!と昭和を代表する漫才師の一人・人生幸朗師匠にボヤいてほしいモンやで、ホンマ。

 それはともかくなんだかんだで国民の中では元号支持者が圧倒的なようで、これだけでも元号制反対を基本姿勢としてる一部野党は、今後も票を集めるのが厳しいだろうなぁ〜、って感じる今日この頃だ。おれにしたって別に耶蘇でもなんでもないし、キリストの生年を起点にする西暦なんて元号よりもさらにどうでも良いワケで、さほど積極的ではないにせよ、別に元号あっていいんぢゃね!?くらいに思ってる。大体、本来的には宗教を否定するハズの左翼が西暦認めるのって、それこそなんかヘンだしさ。
 ちなみに元号って、そんなに太古の昔からあるワケではない。大化の改新以降だからまだ1500年くらいしか続いてないし、途中で断絶期間があったりもする(昔はナントカ天皇何年の十干十二支の年、みたいなんで時代は表現できてたからあまり困らなかったみたいだけど)。当然、南北朝時代には泣き別れ起こして二つの元号が併存した時代さえある。また明治以降、一天皇・一元号に法制化されたのも、それまでみたいになんかある度にバカスカ改元してたら却ってややこしいやないか、ってな合理的理由によるモノで、天皇の絶対君主化とはあまり関係がなかった。

 あくまでおれの個人的な考えだが、平成天皇はおそらく、象徴(・・・・・・つまりは飾り)としてあらゆる実権を奪われた「天皇」という立場に唯一残された、シャーマンとしての権力についても熟考した上での退位と改元ではなかったかと睨んでる。みんな忘れてるけれど、天皇ってホンマは日本のあらゆる「巫」の頂点なんですよ。もう歳で公務やるにはカラダがキツいんですわ、な〜んて理由はそらもちろん大いにあるにせよ、実は退位よりも改元の方が重要だったのではなかろうか?ってコトだ。
 昭和天皇が終戦直後に行った巡幸が「禹歩」であったとする説があるように、混迷の度合いをますます深める世界情勢や、イマイチパッとしない国内経済、豊かになったのに何だか落ちてく一方な人心、ちょっとも前進しない政治等を憂える中、天皇家の威厳を示すためにも改元のもたらすサイキックなパワーに期待してるのではないかと思うのだ。白い雉が見付かってなんかメデタイから「白雉」にしました・・・・・・って現代の感覚だとアホかと思うけど、これもシャーマニックに捉えれば特段おかしなことでも何でもない。

 効き目のほどは果たしてどうなりますことやら。

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 思えば青年期の大半と壮年期を平成に過ごし、このサイトのコンテンツの大半にしたって時期的にはほぼほぼ平成にすっぽしハマってるワケなんで、この間もなく去り行く平成って時代に対し、もぉちったぁ何がしかの感慨が湧き起こっても良さそうなモンだが、これがどぉにもこぉにも思い浮かばない。

 大体、平成の始まりがなんともパッとしなかった。むしろみんな昭和が終わったことにばっかし盛り上がっちゃってて、新元号の時代に対する期待感なんてそもそも薄かったように思う。紹介した小渕さんもパッとしなかったし、「平成」ってなんともベタな漢字を選んだセンスもパッとしなかった感がある。TVで発表見てガッカリした人は相当数いるに違いない。平たく成るんでっか、そぉでっか、ハハハハハみたいな。
 当時はバブル絶頂期であり、もぉ国中がイケイケドンドンの状態だった。おらぁ不本意なリーマン生活始めてしばらくした頃で、組織の歯車になるのはイヤだ!(当時そんなCMがあったのだ)なんてヌかして、とっとと飛び出してフリーターになるほどの才覚も余裕も熱意もなく、安月給のまま漫然と日々を過ごしてた記憶がある。もちろん向上心なんて何一つなかった・・・・・・今もないけど(笑)。

 それまで毎日のように乗ってたニンジャも駐輪場でホコリ被ってることが段々と増えた。ギターも確かタカミネは手許に置いてたけどタルボは実家に預けっぱなしで、そのタカミネさえもほぼ部屋の片隅でケースに仕舞われたまま弦はサビサビっちゅう体たらくである。良く言えば仕事に没頭なんだろうが、ぶっちゃけ労働に麻痺して日々を茫然と過ごすような感じだった。それなりに行動すれば社内外でオンナの子引っ掛けることもできたろうが、もぉなぁ〜んもヤル気が起きない。何だか「働く廃人」みたいな状況だったようにも思う。いやむしろ、親の手前、っちゅうだけでさほどの覚悟も決めないままリーマンになった自分に対して、どこか説き伏せるように敢えてそんな諦念に満ちた生活をしてたような気さえする。勤勉な怠惰。
 唯一良かったのは、まだまだ高嶺の花だったパソコンっちゅうのが職場にはあって、いろいろ使い方を覚えれたことだろう。これだけはケッコー夢中になれた。見てると会社ってトコは、組織のあちこちでムダなヤツがムダなコトしてても何故か儲かるっちゅう魔訶不思議な場所である。この覚えたワザを駆使すりゃもっと儲かるのになぁ〜、アホちゃうか!?っちゅう漠然とした不満と怒りの感情で結果的に今まで辛くも続いてる。

 ともあれそんなんがおれにとっての平成の始まりだった。映りの悪い、赤いプラスチックの筐体の安物14インチTVで、政治家のクセにまったく才走った印象のない小渕さんがパネル片手に訥々と、「新しい元号は『へい・せい』です」とヘンなイントネーションで発表するのを、完全に他人事のようにボーッと観てた。
 平成は正月開けてすぐに始まったものの、だからって急におれの生活が何か変わるワケではない。相変わらず仕事は忙しくて給料は安く(・・・・・・っちゅうか学生時代の金回りが良すぎたのだな、笑)、ダラダラと日々は過ぎていった。ちょっとした変化としては、いい加減女っ気のない生活にもウンザリしてきて、いろいろオネーチャン誘って遊びに出掛けたりするようになったのと、目を三角にして200キロオーバーとかでカッ飛ばすのがふと怖くなり始めて、そろそろクルマ買ってもいのかなぁ〜?って思えて、カタログやら雑誌を調べ始めたことくらいだろう。あぁ、そぉいやクルマっちゃぁ暮れ近くになったころだったかな?初代レガシィが出て、あのツブれそうなスバルから起死回生ですんげぇのが出たなぁ〜!って驚いた記憶がある。残念ながら実車を見に行ったら内装がいささか安っぽく、結局買ったのは、ホンダのインスパイア/ビガーだったけど。

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 それからの平成の30年余りの間に、何人目かの長く付き合う彼女が出来てそのうちヨメとなり、家庭を持ち、子供が出来て育ち、関東に移り、途中ちょっと大きな病気で入院生活もし、両親が相次いでこの世から去りもした。どうにも最後までソリが合わないままだったり、まともにコミュニケーションできなくなった状態で亡くなったんで、本当におらぁ親不孝者だと思う。他にも沢山の人が鬼籍に入る一方で、甥だの姪だの、新しくこの世に生を受けた子供たちもいる。こうして改めて考えると人生の大きな節目がいくつもあった。気付けばおれももぉケッコーいい歳だ。トホホホホ。
 社会全体を見渡してもバブル崩壊、ちょっと立ち直れたトコでのリーマンショック、酒鬼薔薇やらオウムの一連の事件、雲仙・普賢岳の噴火とか阪神大震災以来各地で続く大地震、それに伴う福島第一の問題、劇的なIT技術の発展と浸透・・・・・・昭和ほどではないにせよ、まずまずそれなりに激動だったようには思う。

 しかし上に書いた通りで、平成っちゅう時代そのものに対して感慨に耽ろうにも感慨があんまし湧いて来ないのである。不思議なくらいに、ない。メディアは盛んに特集組んであれこれと総括を試みてるけれど、実際のところ、多くの人はおれと同じ気持ちを抱いてるのではなかろうか?
 例えば、「昭和レトロ」ってコトバは広く一般化したし、何となくみんな共通認識として了解できるし、またそれをウリにする駄菓子屋とかストリートなんかが各地に登場したけれど、ぢゃぁ同じように今後、「平成レトロ」を標榜する事物が登場するんだろうか?懐古の遠い眼差しで平成が振り返られることはあるんだろうか?「平成版・三丁目の夕日」が描かれることはあるんだろうか?「遠くなりにけり」と歌われることはあるんだろうか?・・・・・・多分、ないと思う。

 平成の字画そのままに何とも没個性で凡庸、ヌルッと掴み処がなく、昭和の破滅と復興、繁栄と爛熟の後の、衰微と停滞、閉塞と鬱屈を背負わされたかのような、ちょっと可哀想で何ともパッとしない、残務整理のような30年間・・・・・・ってぇのが、なんとか強いて言うなら、平成っちゅう時代に対して多くの人が共通認識として持てるトコではなかろうか。

 その点で平成に相応しい顔は案外あの、その後総理大臣にはなったものの凡人宰相と揶揄され、過労が祟って頓死した小渕さんだったのかも知れない。ちなみに実は彼は任期中、その後に繋がる重要法案をいくつも成立させてるんで、実際そこまで暗愚な首相ではなかったっちゅうのが現代の評価らしいが。

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 ともあれそして令和が始まる。

 何年続くのかは予想も付かないけれど、標準的に考えて3〜40年として、次の元号を見ることは老年期を控えるおれにはケッコー厳しいだろう。もちろん、八卦見ではないんでどんな時代になるのかもこれまたサッパリ見当が付かない。良い時代になればなぁ〜、とは思うものの、おれにとっての良い時代がみなさんにとっての良い時代なのかどうかまでは分からない。

 ま、それぞれに良い時代を目指しましょうや。

2019.05.01

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