「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
飲食屋号小考


今でも僅かに残る右書きの「めし」看板。真ん中はかなりパンクな例だと思う。

 よくよく考えればリタイアしたいって気持とはちょっと違ってるのかも知れない。大体において遊んで暮らして行くにはそれなりのお足っちゅうモンが必要なのに、そんな蓄えどこにあるっちゅうねん。働かなしゃぁないやんか。それにおらぁ働くこと自体は全然嫌いではないんだし。
 どっちかっちゅうとセカンドライフって言われるのに近い心理だと思う。全然自分の性格には向いてないサラリーマン生活を何十年も過ごして来て、だから逆に良かったのかも知れないけれど、それなりにまぁポストみたいなのまで与えられて、その割にはノホホンとやれる立ち位置にいさせてもらえるんだから、「何を太平楽ヌかしとんのや!?」とお叱りを受けるやも知れぬ。でも、自分の中では長年に亘ってシトシトと澱んだ澱のようなものが溜まりに溜まって、いい加減疲弊しきってるんですよ。アレルゲンが許容量を溢れればアトピーだとか花粉症だとかを発症する。では気持の中に溜まったモノが溢れるとどぉなるんだ!?

 ・・・・・・ったって、何か商売やるんなら飲食くらいしか思い付かない。おれみたいな連中がおよそ思い付きそうな蕎麦屋とカフェとパン屋は、既にあまりに増えすぎてて今さらやる気も起きないけれど、他に幾らでもネタはあるさ。

 さて、そうなると名無しの権兵衛ではマズかろうから、なにがしかの屋号を付けねばならぬ。横文字でワケの分からないのは拙サイトだけで充分なので、分かりやすい日本語が宜しかろう。
 そうして考えてくと、日本には飲食系で接尾辞のようにケツにくっ付いて屋号となる漢字が異常なくらい多いことに気付いてしまったのだった。今日は、今後のための覚え書きも兼ねて、これらを一つ一つ調べながらあれこれ書いてみようと思う。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 まずもっとも一般的なトコでは「屋」だろう。苗字+屋ですぐに店の名前として成立する。最も手っ取り早いかも知れない。元々の意味は「家」とか「屋根」、「覆い」と云った意味があるようで、添え字として屋号を示すのはどうやら日本だけのようである。例えば京都の蕎麦屋である「河道屋」なんかが想い出される。歌舞伎の一門も何故か「屋」だな。
 読み方同じで「家」も同じように使われるけど、「屋」よりは若干少ない気がする。何てったって有名なのは先日1号店が移転して大きなニュースになった「吉野家」だろう。あとは「家系」とまで称される横浜豚骨醤油ラーメンの元祖・「吉村家」もそうだな。

 「庵」はいささかワビサビゴリ押しで妙にへりくだったペダントリーが感じられてあまり好きではない。「お立ち寄りの際は是非私の草庵にお立ち寄り下さい」とかなんとか言われて行ってみたら、新建材丸出しで貧弱なだけの単なる小さな建売だった(笑)とかはありがちな話だ。元来の意味は「草葺の小さな家」であり、「文人墨客の住居や書斎、雅号」に用いるともある。ちなみに蕎麦屋には「長寿庵」を筆頭にやたら「庵」の付くケースが多い。上記河道屋も正確には「晦庵」がアタマに付く。昔から蕎麦はどこかスカした食いモンだったんだな(笑)。

 「舎」も「庵」みたいなイメージが強い。見てくれ通りの象形文字で元の意味はかなり広くて、「建物」とか「屋敷」、「旅館」を指すそうだからちょっとサイズ的には「庵」より大きな印象がある。また、古くからの飲食店で使われてるケースは少ないように思う。むしろ発音が「社」と同じってコトで、その代わりにちょっとスカして使われることの方が多いかも知れない。例えば「人力飛行機舎」のように。八丈島で行った小洒落たカフェはたしか「空間舎」だったっけ。

 「亭」もこれまた似たような感じだな。元の意味は「四阿」とか「物見台」であるから、最早住居でさえない(笑)。へりくだりすぎでアザとい、っちゅうねん(笑)。ただ、蕎麦屋ほどの偏りなくいろんな料理店で使われてる。オムライスで有名な銀座「煉瓦亭」、京都のすき焼の名店・「三嶋亭」、焼売で有名な大阪「一芳亭」、若い頃何故か一人で良く行ってた難波駅前の焼肉「楽酪亭」・・・・・・ワリとまんべんなく使われてる感じだ。ただ、アタマに付ける漢字のセンス如何によっては落語の一門名みたいになってしまうのには注意が必要だろう。雅号のように用いられるケースもある。永井荷風の「断腸亭日乗」なんかはおれが今さら言うまでもなかろうし、昔は「**亭主人」なんて名乗る物書きっぽい人が良くいた。

 ペダンティック系では「房」も忘れちゃいけない漢字だろう。元来の意味は「小部屋」とか「控えの間」、あるいは「小部屋に区切られた住居」自体を指す。通常はさらに上に「茶」とか「山」が付いて「**茶房」・「〇〇山房」ってな風になることが多く、「房」一文字だけで屋号になってるケースは見掛けないように思う。また同じ読みで「坊」もあるが、お寺っぽいんで精進料理とかには向くかもしれない。さらに、同じような使われ方では「寮」ってのもあるな。希代の美食家・北大路魯山人の「星岡茶寮」が最も有名な例だろうか。

 窮極のへりくだりはおらぁ「軒」だろうと思う。だって「のき」なんだもん。屋根の先っちょやんか。ただ、元祖「来々軒」を始めとして中華料理屋に「軒」を付けるのはかつての大定番だった。東池袋・「大勝軒」なんてのもムチャクチャ有名だ。中華系だけではない、上野・「精養軒」みたいなフレンチもあれば、大阪のどこかジャンクでレトロなカレーで有名な「自由軒」、なんてのもあったりする。和食では見たことないから、どうも明治維新以降に舶来の料理を扱う店に「ナントカ軒」って付けるのが流行したのかも知れない。ああ、そぉいや「注文の多い料理店」の舞台である、山の中に幻術で現れるレストランは「山猫軒」だったっけ。

 中華だと「園」「閣」なんかもワリと良く見掛ける。「桃李園」なんて定番の一つだろう。元の意味は前者は「庭」「畑」、「貴人の墓」、後者は「高い建物」ってなトコだ。ただ、旅館の名前なんかにも良く使われるから中華系ばっかしとは限らない。ただし基本的には店が大きくないと似合わないコトは間違いない。カウンターのみ10席とかで「渓山閣」とか名乗ってたら笑うよね。
 同じ伝では「楼」も建物が大きく、また豪華でないと似合わない。これも原義は「高い建物」である。「妓楼」なんてコトバがあるように風俗の香りがするのが特徴で、高踏を気取るワビサビ系でこれを用いたケースはあまり無いと思う。同じ意味で意外に少ないのは「殿」だろうか。やっぱ殿様との連想で遠慮したのかも知れない。かつては結婚式、今は葬祭関連では結構使われてるかも知れない。

 「苑」は発音が「園」と同じで、意味も「庭」だから似てるように思うが、こっちにはさらに「牧場」とか、「知識人の集まる所」って意味もあるので、やや高級な店に付けられる傾向が強い。それと、不思議なコトに焼肉屋に「苑」を好むトコが多いような気がする。

 数で行けばあとは「荘」なんてのもあるけど、これはやっぱし旅館であって、飲食で初めから「荘」と名の付いたトコは少ないのではなかろうか。調べてみると元の意味は意外に多様で「店」、「別宅」、「村落」、「草の生い茂る様子」などとある。同じような使われ方で多いのは「館」で、通常は「**旅館」と名乗るケースが多いけど、ワリと古い温泉宿では直に「**館」と名乗ってる例も数多く見られる。そぉいやつげ義春の傑作・「ゲンセンカン主人」が「ゲンセンリョカン主人」なら何となくマヌケで、あそこまでの名作とはなりえなかったろうな。

 あとは使われそうで案外無いのをダダダーッと列挙してみよう。まず「店」、案外これが単体で使われた屋号って無いんですわ。「堂」もない。もちろん「**食堂」は多いんだけど、一文字は飲食ではラーメンの「一風堂」以外に見掛けたことないし、あれにしたって土屋昌巳がやってたバンド・「一風堂」にちなんでるんで、飲食とは本来関係ない。ただ、土地の路線公示価格で良くニュースに出て来る「鳩居堂」とか、あとは古美術商といった、どっか墨に関係しそうな店に「堂」は多いような気がする。
 珍しいトコでは「肆」がある。意味的には「店」とほぼ同じなんだけど、まず使われるのは「書肆(本屋)」くらいなもんだ。中国語圏では「食肆居」なんて言い方が見られるが、日本では見ない。「舗」はもっとあってもよさそうに思うが意外に少なく、菓子店の屋号に多いように思う。あと茶葉を売る「茶舗」なんてのもあるな。「茶店」ってコトバが先にあったんでそうなったんだろうと推測する。
 「居」はたまに見かけるかも知れない。「処」「所」はたとえば「ごはん処」なんて言い方はあっても、屋号には用いられない。「場」もそうだな。個人的にあってもよさそうなトコでは「寓」なんてのもある。「仮住まい」・「一時的に過ごす場所」ってな意味だから、店には向いてると思うんだが・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・まぁ名前負け、ってコトもある。ムダに凝れば良いってモンでもなかろう。

 最近では端的にその店のウリをアタマの修飾に使うのも多い。「本格手打ち饂飩とバーボンの店」とか「五島直送の魚とチーズケーキの店」とか、ストレートに書いてしまえばとにかく分かりやすいので、支離滅裂な内容でも通ってしまうような迫力があって伝わりやすい。しかし、おれの性格上、何か一つのことだけってのは多分しんどくなるだろう。ならば何か!?先日散々に貶しまくった「おばんざい」か?あれなら何出してもOKやん!(笑)

 こうして考えてくと昔は飲食系なんてシンプルで良かったなぁ〜、ってつくづく思う。

 その極点はやっぱし、大きな白いペンキのブリキ板に肉太の毛筆体で右書きに書かれた「めし」の看板だろう。最早屋号もヘチマもないシンプルさだ。
 「し」の字が「め」を取り囲むように書かれてるのが特徴で、パッと見は「しめ」に読めてしまう。おれが子供の頃はちょっと広い道沿いの大衆食堂でフツーに見掛けたモンだが、いつの間にやらスッカリ消滅してしまった。屋号さえも分からない・・・・・・って、ひょっとしたら隅っこに書かれてあったのかも知れない。上に挙げた画像でも、別に屋号が書かれてたりする。
 でもとにかくそこでメシが食えることだけはハッキリと分かる。まだ防水屋の飯場に泊まり込んでバイトしてた時はチョコチョコ残ってて、みんなで現場向かう途中に立ち寄ってたりしたっけ。

 何を食ったかなんてもうちっとも覚えてない。でも情景だけは今でもありありと浮かぶ。暖簾をくぐると、薄緑のマーブル柄のデコラのテーブル、ガタガタする赤とか緑のビニール張りの丸椅子、壁に並ぶ赤枠の短冊状のお品書き、ガラスの棚に並んだ何種類ものオカズ、前掛け締めて三角巾アタマに巻いたオバチャン、水玉の湯呑み、大きなマッチとペナペナの灰皿、アルミ缶に入った胡椒と七味、黄色いフタの瓶は醤油で赤いフタはウスターソースだ。粗悪な割り箸、爪楊枝、クシャクシャのスポーツ新聞と映りの悪いTV・・・・・・そらもう男臭い野卑で漢な空間ではあったけど、何の脚色も色気もない「めし」の屋号(?)とはとてもマッチしてたように思う。

 そうなのだ。詰まるところその名を聞いただけで、行ったことのない人には何となくその店のイメージが湧き、そして行ったことのある人には、そこでの味や時間や空間の記憶が甦るような、そんな印象的な名前が付けられれば、多分、最高なんだろう。

 ・・・・・・ともあれかくして、セカンドライフを目指しておれの妄想は今日も果てしなく広がって行く。


こういったスタイルも分かりやすくて良いな(GoogleStreetViewからのキャプチャ)。

2018.10.27

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved