「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
余計なお世話


・・・・・・でも、旅館で食う朝飯ってミョーに美味いんだよね(笑)。

 元来地下資源に乏しく、伝家の宝刀だったハズのモノ作りのお株も新興国に追い付き/追い越され、繁栄の基本たる国民は少子高齢化で今後は労働力は減る一方、かといって労働生産性の向上は掛け声ばかりでちっとも捗っていない・・・・・・っちゅうのがまぁ今の偽らざる国の現状だろう。
 そんな切羽詰まった事情が露骨に透けて見えるだけに、もはや窮余の一策としか思えないんだけど、「観光立国を目指すんだ〜!」とかで国は鼻息荒く外国人旅行客を呼び込もうとしてる。努力の甲斐あってか、たしかにこの10年くらいで外国人観光客は激増したと言えるだろう。しかし、昔ながらの旅館がそれでウハウハに潤ってます、笑いが止まりまへんわ、ってなハナシは寡聞にして聞かない。それどころか名旅館と呼ばれる老舗の倒産や廃業は未だに各地で活発だし、ニュースにもならないまま消えて行ってる旅館だって数多い。

 要するにこれってもぉ、完全にブームに乗り遅れちゃってるのである。

 何でこんなトホホなコトになっちゃってるのかを愚考するに、民泊がどぉこぉとか他に原因を求めるのではなく、日本の旅館運営システムそのものが完全に陳腐化してるコトにあるのではないかとおれは思う。そしてその諸悪の根源はおそらく自明と誰もが思っちゃってる「一泊二食」にあるんぢゃなかろうか?さらにそのことに業界が未だに気付けないのは、何より不勉強による見識の無さがあるのではないか、ってな気がしてる。今日はそんなお話だ。

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 「一泊二食」ってセットシステムが登場したのがいつなのか?っちゅうと、どうやら実はそんなに古い話ではないようである。江戸時代も終わり近くになってかららしい。だからせいぜい長く見積もっても200年ちょっとってトコで、それまでの旅館とは自炊が大原則だった。江戸時代も半ばを過ぎて町民文化が爛熟期を迎え、お伊勢参りを始めとする各地への寺社詣でという形で日本の旅行はレジャーとしての大衆化が進んだのだけど、当時としては空前のその一大観光ブームの中から一泊二食は生まれたのである。
 だから水戸黄門御一行が泊まった先で当たり前のように供された晩飯食ってたりするのは、ありゃ真っ赤なウソである。彼の生きた江戸時代の初め頃は、そもそも旅館に食事を提供できるような什器も人手もなかったのだ・・・・・・って、もっとそもそも論を言うならば、水戸光圀は生涯、水戸と江戸を往復するだけで他国に出たこともなかったのが史実だったりする(笑)。
 むしろ宿泊者に食事を提供する、っちゅう点ではお寺や神社仏閣の宿坊の方が歴史としては遥かに古い。何と鎌倉時代くらいには既に食事の提供が行われてたようである。これは寺社の多くが人里離れた立地であり、また菜食等の食材の制限があったり、ある程度の期間の滞在が前提であったからではないかと思うが、どうだろうか。

 しかし、こうして江戸中期以降に一泊二食が登場したとは申せ、それは決して普遍的な存在ではなかった。やはり主流は自炊を基本とする「木賃宿」であり、旅人はおおよそ1日当たり二合五勺の勘定で米を持ち歩いてたのである・・・・・・あと、味噌とね。ちなみに木賃宿とは、薪の代金のみを宿泊代として払うことに由来するらしい。
 ぢゃぁ明治維新以降、急速に一泊二食が広まってったのか?っちゅうと決してそうでもない。比較的一泊二食が広まってた街道沿いの宿場町は文明開化の急速な鉄道網の整備と入れ替わりで廃れて行ったからだ。
 変わって段々と台頭してくるのが温泉宿である。随分昔にも書いたことがあるが、温泉は本来観光のためのものではなかった。その目的は長期滞在の湯治による治療や静養だった。骨休め、っちゅうやっちゃね。そんな中から都市の比較的近郊に立地するごく一部の大温泉地・・・・・・所謂「奥座敷」と呼ばれるようなところでまず歓楽の雰囲気が生まれて行った。そしてそれは個人の日々の食事というよりは、団体の宴会のディナーとでも呼ぶべき内容だった。徳利が何本も転んで、芸者呼んで大騒ぎ、みたいなアレ。

 恐らくこの辺に現在に続く一泊二食スタイルの嚆矢があるんぢゃないかと思ってる。何を言いたいのか?っちゅうとつまり、旅館での食事に「たまの贅沢」っちゅう概念が持ち込まれたワケだ。だからこそ一泊二食の夕食は、割烹料理屋の真似事みたいく付出、八寸〜と続く懐石の組み立てが基本になっているのである。それまでは内容的には一汁二菜あるいはせいぜい三菜の、とても質素なものだったのである。大体、そんな満腹になってばっかしだと翌日の旅程に差し障りが出てしまうではないか。
 実際、新婚旅行で北海道の温泉に入り倒した時にこのことは痛感した。豪華な懐石仕立ての夕食なんて何日も続くと苦痛以外の何物でもないのである。今も大した状況ではないが、当時はもっと金銭的に逼迫してたので、旅館の宿泊費に金掛けられたワケではない。だから懐石仕立てっちゅうたかて、どこもまぁワリとチープな献立だったが、そんなんでも一週間経ったくらいからウンザリしてきた。心底カレーライス食いてぇ!って気持になった。

 それはともかく、ぢゃぁこうした豪華な夕食を前提とする一泊二食スタイルが明治以降急速に一般的に普及したのか?っちゅうとこれまたそうでもない。ここからは完全なアテ推量だけど、時代はもっともっと下がって、恐らく戦後の経済成長期くらい、団体旅行の広がりなんかも加わって一気に広まってったのではないかとおれは思ってる。もちろん移動の劇的な高速化と旅の短期化なんかもこのことを後押ししただろう。猛烈に日本が稼ぎまくって経済大国になろうとしてた時代だ。

 一泊二食の歴史なんてせいぜいそんなモンだろうと思ってる。実は旅館の豪華な料理は、戦後、あくせく働くばかりですっかり時間の豊かさを愉しめなくなってしまったおれたち日本人の精神的な貧しさの裏返しの象徴なのだ。だから業界もその程度のことを万古不易のしきたりと思い込まず、とっとと時代の変化に合わせたスタイルを模索すりゃぁ良いのである。

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 とは申せ、一方では旅館の食事が旅の愉しみの大きな要素であることまでは否定しない。卓一面に形も大きさも色とりどりの器に美しく盛られた繊細な料理の数々は、そりゃまぁランクとかグレードによる差こそあれ、決して悪くはない・・・・・・どころかすごく良い。料理の美味い旅館に当たったりするとやっぱし嬉しいし、幸せな気分にもなれる。それは間違いなく事実だ。だがしかし、そう思うのはおれがやはり古い人間であるからであって、もっと若い世代には料理なんかどうでも良いって思ってる人だって多い。

 また、どんなモノが出されるかその場に座って実際に料理が出て来ないと分からないっちゅうのは、偏食が激しい人や食文化の異なる、特に外国人等にとっては恐怖とかストレス以外の何物でもなかろう。結果、殆ど何も箸を付けられないことだって十分にあり得る。これはやはり勿体ない。それなら何が出て来るか自分で分かるような店に入って、納得できるものを注文して定食とか食ってた方がナンボか気楽だろう。昔と違い、食うところはいくらだってある時代だ。それに普段からみんないいモン食ってるのである。ムリに旅に出てまで必要以上に豪勢なモンを食わされる必要もないのだ。
 この「お任せ献立」は今の時代のニーズにどぉにもそぐわななくなって来ている。なのにしかし誰もこれを改めようとしない。

 さらにも一つ大きな問題がある。それは時間の制約の問題だ。夕食はまぁそれでもまだ許せるとして、朝食はホントどうにかしてほしいと思うことがしばしばある。先日も旅館でこんなやりとりがあった。

 ------朝食は何時になさいますか?
 ------出来るだけ早い方が良いんですが・・・・・・。
 ------分かりました。では8時半で。
 ------へっっ!?いっちゃん早くてそれですか?
 ------はい・・・・・・遅いですか?
 ------(ムッチャクチャに遅いわい!)ん〜・・・・・・もうちょっと早くなりませんかね?
 ------分かりました。ではなんとか8時で・・・・・・。

 今更朝食だけキャンセルするのもいささか業腹で、不承不承条件を呑むしかなかった。そりゃぁ最初の予約段階で確認してなかったおれが悪いとは申せ、今どきナンボ何でも8時半っちゅうのはなかろうって。
 あのねぇ、全ての旅行客が翌日は土産物屋に寄ってあとは家に帰るだけ、みたいな行動パターンとはちゃうんやで。夜明け前から起き出して雲海観たり、バードウォッチングしたり、あるいは太陽が昇り切らないうちにあんな写真やこんな写真撮ったり(笑)、やることはいろいろ多様化してるんだよ。もう少し世の中の変化について勉強しろよ、外国人が増えたとかそんな表面的な数字ではなく、みんなの考え方自体が変わって来てるってコトを学べよ、と言いたい。
 そりゃ事情は色々あるだろう。いくら前の晩に仕込みを済ませたって、それでも朝早く起きて支度するのは、家族経営で高齢化が進んでたりすると大変だろうし、板前が住み込みではなく通いだったりすればそんなに早く来てくれとは頼み辛かったりもするだろう・・・・・・ならばムリしてまで朝食を担保するこたぁないではないか。

 あ!想い出した。そぉぢゃったそぉぢゃったおおそぉぢゃった、かつておらぁ旅館に泊まる時、一泊夕食のみで予約することにしてたんだった。

 それは金が無かったのでちょっとでもコストを押えたかったっちゅう切実かつケチな事情もあったんだが、何より早くに宿を発って、もっといろんなトコを回りたかったからだ。朝食のあるなしで軽く2時間は朝の時間が違う。上手く行けばその時間で温泉が3〜4ヶ所は稼げる。
 しかしおれも段々いい歳になって来たし、ホンの僅かとは申せ財布の余裕もできた。ちったぁ大人なゆとりのある行程でも良いかな?旅館だってもちょっと儲けさせたらんとアカンのかな?などとガラにもないコト思って、10年ちょっと前くらいからは朝食を頼むようにしてたのだった。それだけだ。それでこんなに色々制約が生じるんなら食わんかったらエエんだ。朝なんてコンビニ寄ってサンドイッチとコーヒー買えば十分ぢゃんかよ。

 こうして考えてくと、一泊二食・・・・・・中でもとりわけ朝食については、旅館サイドの文字通りただの「余計なお世話」でしかないコトがお分かり頂けるだろう。余計なお世話した挙句、それでお客が寄り付かなくなるようでは、近所の無駄にお節介でウザがられてるジジィ・ババァと変わるところがない。

 日本の旅館は粗利がどぉとか売り上げがどぉとか四の五の言わず、思い切って古来の木賃宿に戻るべきなのだ。必要に応じて食事は簡素なモノを出せば良い。今の一泊二食システムに拘泥したままでは、業界の将来はひじょうに暗澹たるものになるに違いない。おれはそう思う。




※参考文献
「日本旅館の歴史」山口祐司(https://ci.nii.ac.jp/els/110009871879.pdf)

2018.08.19

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