「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
光通信と磐座・・・・・・仮説と妄想


これまで見た中では最大級のいわき・宇宙岩

親魏倭王卑弥呼 帶方太守劉夏遣使 送汝大夫難升米 次使都市牛利 奉汝所獻 男生口四人 女生口六人 班布二匹二丈以到 汝所在踰遠 乃遣使貢獻是汝之忠孝 我甚哀汝 今以汝為親魏倭王 假金印紫綬 装封付帶方太守假綬 汝其綏撫種人 勉為孝順 汝來使難升米 牛利 渉遠道路勤勞 今以難升米為率善中郎將 牛利為率善校尉 假銀印靑綬 引見勞賜遣還 今以絳地交龍錦五匹 絳地縐粟罽十張 蒨絳五十匹 紺青五十匹 答汝所獻貢直 又特賜汝紺地句文錦三匹 細班華罽五張 白絹五十匹 金八兩 五尺刀二口 銅鏡百枚 真珠鈆丹各五十斤 皆装封付難升米牛利 還到録受 悉可以示汝國中人使知國家哀汝 故鄭重賜汝好物也
「魏志倭人伝」

 自分のやってることは非合理の塊りのクセに親方日の丸で、世の物事は合理的・理性的に考えなくてはならない、って常々思ってる。ホンマおらぁワガママなのだ。ともあれだからまぁおれの書く駄文は大阪弁炸裂の地下な文体にも拘らずイマイチ面白くないんだろうなぁ~・・・・・・って自虐はともかく、ホント前回散々にコキ下ろしたように、安易に磐座に神秘性なんて求めてちゃダメではないかと思う。

 まぁ、磐座と言っても色んなパターンがあって、拝殿の裏なんかにデーンと聳えてるのから、山の中のあちこちに点在してたり、山頂の剥き出しの岩だったりと様々である。もちろんそれぞれの来歴が一括りに出来ないコトはよぉ~く分かってるツモリだ・・・・・・で、今日のネタにしたいのは専ら山頂にあるようなタイプのヤツだ。あとは神社の裏なんかもちょっと含んでるかな。いや、ぶっちゃけおらぁ山中に点在するようなタイプは個人的にずっと時代が下がってから、言っちゃぁなんだがそれらしく名前付けただけの捏造されたモノだと思ってるんですよ。

 大体さぁ~、考えてもみて欲しいんだわ。山をえっちらおっちら登ってったテッペンとかが五穀豊饒と無病息災を祈る祭祀の場・・・・・・って学者先生含めみんな気軽に言うてるけどさ、今みたいにモノが溢れて誰もがヒマを持て余した便利な御時世ならいざ知らず、今夜のおかずにさえも時には窮することがある切実な時代にやで、そんな悠長なことにしょっちゅう時間費やしてはおれん、っちゅうねん。そぉ思いません!?え!?せいぜい年に一度のお祭りだって!?でも山道なんて1年も登らないとボーボーの藪に戻ってまうやんか。
 そんなんではなく、仕事として晴れたら毎日のようにそこに誰かが登ってなくちゃならない合理的理由があった、とする方がスジが通るとおれは思う。

 まったくのアテ推量で申し訳ないが、そんなんで結局のところ巨石や磐座が今みたいに「ただ神聖なだけの場」になったのって、実は大して昔のことではないんぢゃないかとさえ思ってる。それは民衆信仰として講とかが組織されたりして修験道が広まり、怪しげな山伏が闊歩するようになってくらいからではないか?と。逆に言えば遥か古代にはもっと何か合理的・実用的な機能がそこにはあったんぢゃないか?ってコトだ。
 もちろん、古代において宗教や呪術には先進的なテクノロジーとしての面が大きかったワケだし、磐座の聖性を全否定する気はさらさらないけれど、そんなんよりもっと分かりやすい意義が磐座には一方で備わってたとおれは思ってる。

 勿体付けても仕方ないんでおれの仮説を述べさせてもらうと、そこは通信の場だったのではないかってコトだ・・・・・・って、南山宏や矢追純一ぢゃあるまいし「ベントラ・ベントラ!」って唱えてUFO呼ぶんぢゃぁないよ(笑)。遠隔地との交信だ。

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 勢い付いて書いてはみたものの、残念ながら寡聞にして古代の日本でそのようなことが行われてた、っちゅう文献をおれは知らない。おれが知ってるのはせいぜい江戸時代くらい以降のハナシである。当時は「旗振り通信」っちゅうて大阪・堂島の米相場をいち早く全国に伝えるための情報ネットワークが国内に張り巡らされてたのである。
 驚くなかれ!通信速度は極めて速く、大坂⇔岡山間がたったの15分、広島まででも30分だったというから侮れない。天候にさえ恵まれれば郵便局行って電報打つよりよっぽど速かった。高速通信っちゅうこっちゃね(笑)。内容もまた極めて正確で、間違いを防ぐための一種のチェックデジットや、他人に内容が悟られないための暗号化/復号化みたいな工夫までされてたのだからその先進性には恐れ入る。
 似たようなケースは古代ローマにもあったそうな。ローマ帝国の拡大につれ、それまでの早馬を飛ばすだけでは色んな情報伝達が追い付かず、狼煙リレーしながら知らせてたのである。そのルーツは古代ペルシアにあり、かなり高度な技術も備わってて、煙である種の符号みたいなのを形作ることが出来てたらしい。まぁ、最近の花火で見掛ける蝶とか土星とかいろんな形を作るような感じだったんだろう。

 いずれにせよたいへん人手の掛かるアナログな方式とは申せ、これらはいわば「光通信」と言っても過言ではない。特に旗振り通信は、本文の前後にデータの初めと終わりを表すアクションが入ってたりして、現代のデータ通信でのヘッダとフッタのような考え方さえ盛り込まれた高度な方式だった。そりゃそうだ。生き馬の目を抜く米相場の内容が誤って伝わったら大変なコトになるもんな。

 現代でも旗振山とか相場見山といった山名が残るのは、そうした通信役が常駐してた場所だった証と言われる。山頂に旗竿を挿し込んだ穴のある岩が残る山さえある。調べてみるとこの旗振り通信、意外に近代までしぶとく生き残っており、なんと完全に消滅したのは日本中に電信網が整備された大正時代の半ばらしい。

 ではこうした技術が江戸時代になって降って湧いたようにいきなり発明されたのか?っちゅうたら絶対にそんなことは無かろう。それ以前から連綿と似たような技術が伝承されてたからこそ、ここまで洗練されたものが出来たのだ。
 言うまでもなく一段階古い形が狼煙であるのは間違いない。煙の色と本数である程度の情報化も図れる。欠点は風が強いとどうにもならないってコトだが、気長にやればそこそこの情報を伝えることも出来ていた。旗だと敵に見られると襲われる可能性もあるが、狼煙はそれだけならば敵味方の区別が付きにくいという利点もあって、天下泰平の江戸時代ならともかく、それ以前の戦乱の世にはむしろこっちの方が安全性が高かったかも知れない。ただ、今と違って昔はもっとあちこちから煙が立ち昇ってた時代ではあった。家の竈、藻塩や炭焼く煙、山中の杣人やマタギが暖を取る焚き火・・・・・・そんなんだから見間違いやすいって欠点もある。

 ・・・・・・で、もっと以前の時代だ。奈良時代以前とか。仏教がまだ日本に伝わってないくらいくらいの昔、大和朝廷が成立したとかしないとか、か日本書紀とか古事記とかゆうてた時代くらいはどうだったんだろう?

 ホンマ当て推量の連続で申し訳ないけれど、もちろんそこでも狼煙や旗は使われてたろう。夜は篝火、なんて可能性だってあるだろう。しかし、おれはさらにもう一つ通信手段があったと思う。

 ・・・・・・鏡である。

 どれだけ売れてるのかは知らないけれど、今でも山道具に「シグナルミラー」なんてモノが存在する。遭難した時に使うエマジェンシーグッズの一種だ。昔のボーイスカウトではひょっとしたら必修科目に入ってたかも知れない。植草一秀のオカゲで手鏡と言えばスッカリ覗きの道具としてのイメージしかなくなってしまったが(笑)、本来の鏡とは自分の姿を映すだけでなく、太陽光を反射させて遠くに何かを伝えるって道具でもあったのだ。実際その遠到性は驚くほど高く、80kmなんちゅう俄かには信じがたい例が古代中国ではあったと言われる。でもそこはほれ、何事も大袈裟な彼の国のコトだから9割引きくらいに割り引いて考えるべきかも知れないが。
 それでもまぁ、数kmくらいなら全然ヨユーで届くとのことだ。実際、夏の日とかに信じられないくらい遠くの家の窓ガラスとか水田とかが太陽を反射してギラギラ輝いてるのを見たことのある方は多いだろう。

 鏡は他の旗や狼煙同様、天気が悪いとサッパリ役に立たないし、太陽を背にしては使えないっちゅう致命的な欠点があるとは申せ、風に左右されないという利点もある。さらに上に述べた通り、遠到性ではピカイチだし、角度が合ってない方向からはあまり見られることもない。
 神官や巫女はシャーマンとして神や霊との通信を行うだけでなく、実際の情報通信も行ってた。この通信を行う場が今で言う山頂の磐座だった。だって足許シッカリしてないとチャンと情報遅れないしねぇ。そして機密が漏れては困るからこそ彼等は稀人とか常処女として隔絶された生活を送ってた・・・・・・そう考えると何となく合点が行くと思いません?

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 「エビデンスを示せ!」などと最近の意識高い系の人なんかからツッコミ入れられそうな推論のみを並べ立ててんだが、いくつか傍証はある。

 一つは神社の御神体が何故鏡なのか?って謎への回答になってるからだ。一般的には日本の神でいっちゃんエラいのが天照大神で彼女は太陽神であったから、陽の光を反射する鏡を太陽に見立てた、な~んて説明がなされてるけど、そんなしょうもないコトのためだけに元はといえば超高価な輸入品の大切なものを使いますか?ましてや何枚も埋めますか?っちゅうねん。大体、本家中国では元来通信ツールとして使われてたんだよ。現代で言やぁ、どこか後進国のお金持ちがものすごく貴重なケータイやスマホを外国から持ち帰って、儀礼的な飾りに使いますか?ってコトだ。
 やはりフツーに通信ツールとして使った、って方がよほど自然な考え方だろう。儀式の中で大量に埋めた、のも違ってると思う。戦争だか政争だか分かんないけど、そぉゆうのに負けて権力を失った側が通信手段を埋めさせられた、って考えた方がスッと納得できません?
 もちろん時代が下がってからは本来持ってた意味を喪失して、単なる儀礼と化してった、っちゅうコトは大いにあるだろうけどね。

 また、同じ系統の神社が東西なら東西、南北なら南北といったある種の方向性を持って規則正しく並んでるという説への合理的な回答ともなり得る。あっちゃこっちゃ向いてたら通信がやりにくくって仕方ないではないか。だからそんな「レイラインがどぉこぉ」なんてロマンを膨らませ過ぎでっせと言いたい。
 ここまで推論並べまくったついでに言っちゃうと、麓の神社がまぁいわば基地局で、山頂の磐座が中継局だったんぢゃなかろうかとおれは考えてる。今でも山のてっぺんにTVの中継アンテナがあったりするけど、大体同じようなモンだ。何か急ぎ知らせたいことが起きると、麓の磐座の上に乗っかって山頂に向かってまず知らせる。そいでもってそれを遠くに向けて発信するワケだ。
 内容は・・・・・・そだなぁ~、多分宗教もヘチマもなくて、「どこそこが攻撃しかけて来そうだ」とか、あるいはその逆で「そろそろどこそこに攻め込もうぜ」とか・・・・・・要は高セキュリティで一歩間違えると他の部族との関係がややこしくなるようなヤバい情報だな。こういったものの伝達に鏡が用いられてたとおれは思ってる。当然ながら同時に何枚も使用したりしてモールス信号的な要素もその中には織り込まれてたろう。何せ照らすか/照らさないかの二進法だから、一枚だけ闇雲にピカピカやってちゃマトモな情報伝達にはなってくれない。
 冒頭に引用した魏志倭人伝の中で中国の皇帝から鏡を百枚贈られたって話が出て来るが、これは100枚も貰ってスゴいねぇ!と理解してはいけない。1枚や2枚ではハナシにならなかったのだ。少なくとも100枚くらいは揃ってないと、リレーして伝える通信機器としては使えなかった。

 今も昔も情報はやはり大事なものであり、時に秘匿すべきものであり、そしてそこには現代とは比較にならないくらいの特権性があった。今でも北朝鮮とか専制君主の国はそうだよね。

 そうそう、「三種の神器」ってのをみなさんもご存知だろう。「テレビ・洗濯機・冷蔵庫」のことぢゃないよ。「斧・琴・菊」なら「犬神家の一族」だな(笑)。古来日本の天皇の皇位継承に必要とされるアイテムで、八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)の3つを指す。平たく言うと鏡と玉と剣のことだ・・・・・・何だか取り合わせの意味が良く分からない、って!?それは今の道具の観点で見てるからだ。
 これらは無意味で儀礼的なだけのモノでは決してなかった。象徴的ではあるもののチャンと実用上の意味をストレートに示していた。結納の高砂人形に意味がチャンとあるのと同じだ。

 それは最高権力者が有するべき3つの力・・・・・・即ち「情報力」・「財力」・「武力」を指してたんだろう。磐座から随分外れながら最後の最後まで推論炸裂ばっかしで本当に申し訳ないけど、おらぁそぉ思ってる。

2018.05.24

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