「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
籤考


これ、ケッコー好きだな〜。

https://sumally.com/より

 正月の初詣で寺社仏閣に出掛けられ、おみくじを引かれる方はとても多いと思う。混み合う境内で細かく畳まれた薄紙を開いてその結果に一喜一憂し、境内の木とかに結び付ける光景はあまり他の国では見られない風習かも知れない。おみくじのルーツは中国らしいけど、結ぶ・・・・・・つまり結縁ってワケで成就あるいは祓えを願うのはきわめて日本的なことのように思う。

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 さてこのおみくじ、最初に考案したのは元三大師っちゅう平安時代の天台宗の坊主であると言われる。正しくは慈恵大師・良源、比叡山再興の祖と言われる高僧だ。何で元三大師と呼ばれるかっちゅうと、正月三日が命日だからというが、命日が渾名になるって一体全体何なんだこのオヤジ!?(笑)・・・・・・ともあれ関東だとあしかがフラワーパークの近くに彼を祀る大きなお寺があったりする。

 だからおみくじとは寺で売られるのが本来の姿であって、実は神社ヴァージョンは明治になってからのパクリネタであるっちゅう話を先日何かの本で読んだ。何でも神社版は山口の方で明治の女性解放運動の資金とするために考案されたのだという。これだけでも驚くべきことだが、さらに驚きなのは寺で売られるのと神社で売られるのでは内容も異なるという。違いは紙を開いて最初にゴニョゴニョ書いてある部分である。漢詩が書かれるのが寺で、和歌が書かれるのが神社らしい。気になって自分でも良く見てみたら確かにそうだった。

 ちなみにラッキーの順番はどこもあまり変わらないらしい。即ち、大吉・中吉・小吉・吉・末吉・凶の6種類が大半である。これまでおれは吉の方が小吉より上だと思ってたんだけど、どうやらそうではないみたいだ。
 余談だが昔、高校の同級生に地元の大きな神社の宮司の息子がいて、正月の時だけはおみくじから「凶」を抜くと言ってた。引いて新年早々気分を害したとかなんとか文句言ってくる無粋なバカがいるんだそうな。どだいそんな心根だから凶を引くのではないかと思いはするものの、一年で最大の稼ぎ時、ネコの手も借りたいくらいに忙しく、さらには大晦日以来ロクすっぽ寝ないでアタマが朦朧としてるのに、しょうむない悶着で時間取られるのも面倒なだけなんで抜いちゃうことにしたんだそうな。クレーマーは今に始まったことではないのである。

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 おみくじの本質は、確率論的な偶然性に運命を看取するっちゅう点で、易経の説く筮竹による八卦占いと同じと言える。チャンスオペレーションっちゅうやっちゃね・・・・・・っちゅうかありゃぁジョン・ケージが易経とかに影響受けて編み出したんだっけ(笑)。

 あくまで勝手な推論だけど、それどころかおみくじのルーツは筮竹による易なのではなかろうか?って思ってる。最近は箱に手を突っ込んで直接一つ選ぶようなのが増えてしまったけど、昔はブリキ板で補強された六角形のゴツい木の箱に小さな穴が空いてて、逆さにして振ると中から1本竹の棒が出て来て、その端に書かれた番号を社務所の窓口に伝えて薄い紙をもらう方式が一般的だった。今でも上に掲げた画像のようにキーホルダーでそんなのがあるな。
 おれはあの竹の棒が太さといい長さといい筮竹に当たるのではないかと睨んでるのだ。まぁ、そう言いだすとゴルフのスタートでティーショットの順番決めるのも易になっちゃうけどね(笑)。あれ、外国のゴルフ場にもあるんかな?ともあれ「籤」の字がたけかんむりであることもまた、筮竹との関わりを連想させる。

 ちょっと脱線して易についても軽く述べる。実を言うとおれ、中学生の一時期、色んな中国系の占いを研究しまくってたのだ・・・・・・誠にヘンな中学生もいたもんだが、それはともかくぶっちゃけ当時のおれ的には運を天に任せる易よりは、ある種統計学的な四柱推命や人相・手相がより面白く思えた。しかしながら易の持つ、極度に記号化・抽象化された世界観は、例えば西洋のタロットカードなんかのベタな世界よりも数段神秘性に於いて優れてるように思った。もっと修行してたら大成出来たかもしれないな(笑)。
 本格的な筮竹と算木を用いた占いは近頃あまり見掛けなくなったが、あまり所作を書いてもめんどくさいんで端折ると、50本くらいの筮竹を気合い入れて二つに分け、左手に残った方を8本づつ除けてった余りの本数(つまり8の剰余系、っちゅうこっちゃね)で半分、同じことをもっかい繰り返して残り半分、その組み合わせで卦が決まるのだ。だから結果は64通りある。そう、「当たるも八卦当たらぬも八卦」っちゅうのはこれに由来する諺である。も一つ付け加えるとこの「8」の意味するところは陰と陽の二元論、その三乗としての8である。

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 正月といえば、悪友・K田のブログで「辻占」なるお菓子があることを、おれはこの歳になって初めて知った。加賀地方で正月の縁起物、っちゅうかおせちのオマケみたいにして食べられる花みたいな形をしたカラフルな干菓子である。中に薄い紙切れが入っており、そこに大抵は稚拙なイラストと共に謎めいたセリフが書かれている(一説にはなぞなぞとも言われるが良く分からない)。そのシュールさはかつてVOWで熱狂的な支持者を生んだ点取り占いをも凌ぐ。例えば・・・・・・

 ●気持ちがよい
 ●わって下され
 ●すへひろ
 ●もう忘れよう
 ●なすがまま
 ●仕事をしなさい
 ●ひとにあかすな
 ●にぎやかな
 ●ひろげておるぞ
 ●はなしはせん

 ・・・・・・ワハハ、最早おみくじになってないやんか。一体全体これで何を占え?っちゅうねんな!?(笑)

 和菓子王国・金沢らしく「辻占」はいろんな菓子屋で作られており、中のセリフも各社ごとに異なるみたいで、全部で何種類存在するのかも良く分からない。言えることは、よしんばこれが本当に何かの信託だとしてもサッパリ意味不明ってコトだろう。日月神示かよ?(笑)。

 そもそも名前の由来となった辻占とは、今は殆ど廃れてしまったものの古くから日本に伝わる占法の一つだ。異界との接点であると考えられた辻(交差点)を通る人の話すことや姿形から未来を読み取ろうとするのである。予言が誰か一人のシャーマンから発せられるのではなく、現前する世界の中から匿名性に満ちてぼんやりと立ち現れるっちゅう考え方は、色んな都の変事の前に意味深な童謡や狂歌が流行ったとか、河原に落書が出たとかなんてのと通底しているように思う。

 辻占は和菓子だが、他の地方には甘い煎餅ヴァージョンもあるらしい。これが欧米に伝えられて広まったのが何とフォーチュン・クッキー、そうAKB48の歌のタイトルにもなったアレ・・・・・・いわばこっくりさんの逆パターンの伝播と言えるだろう(こっくりさんは明治になってやって来た外国人の船乗りの遊びがルーツで、「狐狗狸」は当て字だったりする)。

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 大分とっ散らかってハナシに取り留めが無くなって来たので、そろそろオチに持ってかなくちゃならない。

 実はこれ書き始めたのは正月の2日だったのだけど、PC立ち上げてヤフー開くと、トップページのバナーのところが正月限定で「おみくじ」になってる。何の気なしにポチッとクリックしてみる。

 ・・・・・・結果は「大大凶」だった(笑)。「大大」ってそんなんあるんかよっ!?新年早々何やねん!?トホホ。


これが辻占。三弁が一般的だが、五弁ヴァージョンのものも存在するみたい。

http://firenzenav.exblog.jp/より

2017.01.09

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