「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
ミナカタクマクスのようなテレビジョン


見付かった!ネットの世界は凄い!

http://www5.airnet.ne.jp/lastomir/より

 タイトルはたしか1983年か84年だったかの暗黒舞踏集団・白虎社の演目を拝借させていただいた。
 当時、山海塾と並ぶ前衛舞踏のメジャー(?)として精力的な活動を行っていた彼等についても、今はもうだいぶ過去の忘却の彼方に去ろうとしてる。早いもので解散して20年が過ぎた。大須賀氏とか今は何してんだろ?

 どちらも麿赤兒率いる大駱駝館を直接のルーツとしながら、山海塾がどちらかと言えばいろんなものを極限まで削ぎ落として、抽象化された静的な肉体の動きに注力して行ったのに対し、白虎社はまったく対極を目指していたと言えるだろう。基本の白塗り・褌いっちょは同じなものの、猥雑な群舞、カラフルな小道具とギミック、時には衣装まで駆使して、正に標榜するところの「明るい暗黒」をパワフルにステージ上で展開していたと思う。

 そんな白虎社は毎年、夏になると紀州は熊野の山奥でダンス合宿を開催していた。おれは参加したことないが、時に鉄拳制裁まで飛ぶ随分と猛烈でハードな内容だったらしい。ロクすっぽ睡眠時間も与えられず、有名ゲストを招いた座学からダンスの特訓までとにかくバキバキに詰め込まれたスケジュールだったと聞かされたことがある。
 そんなこんなで京都を地盤としながらも深く紀州に足突っ込んでた関係から、いささかイージーの誹りは免れ得ないだろうが、彼等の中で紀州⇒南方熊楠ってなアイデアが生まれたのかも知れない。

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 「ミナカタクマクスのようなテレビジョン」・・・・・・たしかに言い得て妙だなぁ〜、って思う。正しく言うならば「テレビジョンのようなミナカタクマクス」なのかも知れないが、まぁややこしいことは置いといて、驚異的な記憶力をベースに、博物学者、民俗学者、粘菌学者、宗教学者、エコロジーの社会活動家、単なる猥談好きで大酒飲みのオッサン・・・・・・と無節操かつ四方八方に広がった南方熊楠の足跡は、チャンネルを捻ればあらゆる世界が脈絡も際限もなく画面上に立ち現れるTVと似ているように思えて来るからだ。

 これまでも何度か触れたことがあるけど、おれはそんな南方熊楠って人をものすごく尊敬してる。全方位的な活動だけでなく、良くも悪くもメチャクチャで、それでいてとても軽やかで爽やかだからだ。破天荒な生涯は今さら言うまでもなく、数多くの論文はモノしたもののマトモな著作は「十二支考」だけ。それも物凄く物識りなんだけど言ってることはひたすらの知識の開陳で酔っ払いの漫談に近いし、脱線は多いし、それでいて鼻に衝くこともなく、とにかく読んで楽しいだけの奇書と言える。没後70年を過ぎ未だ誰にもその全体像は掴みきれない。

 そんな熊楠がもし名刺を拵えていたら、肩書はどう書いてたのだろう?

 考えてみたけど書きようがない。カテゴライズ不能・・・・・・むしろカテゴリーへ帰属することを彼自身が拒絶してたのではないかとさえ思えて来る。あくまで自分の興味の赴くまま自由に、しかし到底余人には真似の出来ないレベルで深くその世界を探求して行く、でも何かまとまった成果物があるんか?っちゅうとあんまし無い。知る作業が面白くて没頭し過ぎるもんだから、フツーの職業的学者がやるであろう整理されて体系だったアウトプットにまで行きつかないのである。ぶっちゃけ大金持ちの家に生まれたればこそ出来た御大尽と言ってしまえばそれまでだけど、それでもこんな途方もない活動をした人は後にも先にも、ない。

 活動の範囲が専ら言葉の世界に絞られていたとはいえ寺山修司もまた、カテゴライズ不能な人だったと言えるだろう。歌人として出発しながら、シナリオライター、作詞家、エッセイスト、戯曲家、競馬評論家、劇団主宰、映画監督、写真家・・・・・・奇矯な言動もこのテの人に共通するものなのか、亡くなるちょっと前には覗きで逮捕されたりもしてる。
 彼の有名な言葉に「僕の仕事は寺山修司です」っちゅうのがある。 一見矛盾する「軽妙さに欠ける洒脱」、「泥臭い韜晦」みたいな感覚を通底する作風としつつ、彼もまた興味の赴くままに、表現手段自体にはあんまし捕らわれていなかったように思う。

 そして中島らももそんな人だった。コピーライターからエッセイスト、小説家、戯曲家、劇団主宰、役者、ミュージシャン・・・・・・その一方でアル中になるわ大麻で逮捕されるわ、とスキャンダルに事欠かなかったのも共通する。唯一上の二人と異なってた点は、彼は意外に肩書きに拘ってたのではないかと思わせる発言をしてることだろう。コピーライター廃業宣言とか、物書き廃業してこれからはミュージシャンになるって言い出したり、別にいちいちコミットする必要ないと思うんだけど、そうして敢えて退路を断つことで転進への勇気を奮い起こしてたのかも知れない。

 今さら言うまでもなく、寺山も中島もおれはたいへん私淑して止まない。寺山47歳、中島52歳、本当に早世が惜しまれる。

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 いつまで経っても枕の取りとめのない漫談ばっかし続いてしまった。一体全体何の話をしたいのか?っちゅうと、今回は肩書きについてである。

 現在のおれはサラリーマンって存在で、それも意外にチャンと毎日電車に揺られ、特にサボりもせず会社に通うサラリーマンで、名刺なんかも持ってたりする。見ると会社名、部署名、役職といった肩書きの次に名前が書いてある。仕事絡みで初めて会った人とはコイツを交換するんだけど、渡し方、受け取り方にも作法があって結構めんどくさい。

 そもそも肩書きって何なのか落ち着いて考えてみると、そこには3つの意味があることに気付かされる。1つ目は職業、2つ目は帰属する組織、3つ目はその組織内での地位である。
 余談だが3つ目は実はかなりいい加減だったりする。事務員一人しか従業員のいないオッサンが代表取締役社長を名乗るなんてまだ可愛いモンだ。銀行員の名刺を貰うと良く分かる。「支店長席付」なんてのがある。支店長って付くくらいだからどんなけ偉いんだろうと思って確認すると単なるヒラ行員だったりする(笑)。もっとクセ者なのが「支店長代理」で、銀行の支店長と言えば一般的には部長クラスで、その代理なんだから部長代理みたいなものと思うとあにはからんや、一般的な会社で言うとどうだろ?係長とか主任なんて言われるくらいだろうから課長より下、管理職ではない。

 話が逸れた。そんな肩書きも給与生活者であればいつかは無くなる時がやって来る。まずは地位からだ。たいていの会社には役職定年なんて素敵な決まりがあって、殆どの人は定年前に肩書きが取れる。社内で隠居にしてもらえるのだ。厄介なのは名称としての地位は上がるけど子会社とか息の掛かった弱小取引先にトバされて、給与は下がるわ責任は負っ被せられるわってパターンだろう。「下町ロケット」で立川談春が演じてたみたいなんですな。死ぬまでこのパターンは働かされかねない。
 そして定年が来るといよいよ組織と職業も無くなる。天下晴れて自由の身だ。ただこの辺も先日書いた通りで、いろんな国の失策のツケで最近はナカナカ辞めにくくはなってるが、まぁある程度蓄えがありさえすれば辞めれる。やっと肩書きが全部、取れる・・・・・・そして名前だけが残る。

 ところが世の大概の人は、物心ついた時分から幼稚園だとか学校だとかクラブだとか何らかの組織に帰属して来てる。子供の頃は名刺こそ持たされないけど、実はナントカ小学校3年1組、役職はいじめっ子、みたいなロールまで持たされてたりもする。だから名前だけが残った状態は、自由という名の寂寥と社会の中でいきなり裸にひん剥かれたような不安に苛まされたりもするだろう。
 おれはどうなるんだろう?今のところ自分でも良く分からないが、元々集団への帰属意識がサッパリ薄い上にちょっと厭人癖なところがあるから案外シレーッとしてるかも知れない。

 ともあれそうなった時に、やってることを肩書きにしろと言われても困りあぐねてしまうだろう。色々やってます、としか言えない・・・・・・残念なことにどれ一つメシの種、つまり職業にはなってないんだが。

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 前も書いた気がするが、まったく逆のことを言ってる人もいる。プリミティヴで生命感溢れるタッチで知られるイラストレーターの黒田征太郎だ。最近は活動の本拠地だった大阪を離れて九州に移り住んだらしい。そんな彼が「アナタがもし画家になりたいのだったら、すぐに名刺作って『画家』と刷れ」ってなコトを言ってる。
 これはこれでとても正しい。至言だと思う。「おれは***になれるんかなぁ?」などとグジュグジュ・イジイジ逡巡してるヒマがあるんなら、とっとと肩書き名乗って、後付けでいいから一つ事に死ぬほど精進せんかい!っちゅうてるワケだ。

 しかし、今さらそれもできない。思えば別段、南方熊楠、寺山修司、中島らも等々の先人の顰に倣ったワケではなく、元々の性分でおれも大概あらゆることに無節操に手を出しちゃってるし、どうもそぉいったゴッタ煮的な状況でないと自分自身が楽しくない。それこそテレビジョンのような状態だ。だからこそ彼らが好きになったのだろう。そぉいやバンドやってた時も拵える曲はパンクのようでハードロックのようでプログレのようでノイズのようでミニマルのようでラテンのようでファンクのようでコミックソングのようで・・・・・・自分でも何だか良く分からん状況ではあった。そう、元からノンジャンルで全方位的な志向が非常に強かったのだ。だから、何をやってる人とは自分でも判然としない。さぁどぉしよう!?

 ・・・・・・そうだ!その時は「Asylum in Silence」を肩書きにしちゃえばエエんだ。おぉ〜!こりゃ〜名案だナイスなアイデアだ!よっしゃぁ〜っ!

 本名がいささか名乗りくいかなぁ〜・・・・・・(笑)。

2016.09.08

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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