「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
「遺」を考える


典型的な「メメント・モリ」の図案。

http://illusion.scene360.com/より

 まぁおれも大概いい歳になって来たし、それに長年、散々っぱら不摂生の限りを尽くした生活を過ごしてるんで、身体のあちこちにガタが出てきだしている。そんなんで少しづつではあるものの自分の人生の終わりに思いを巡らすコトが最近増えて来た。生老病死の四苦からは何人も免れ得ないのだから、その辺は一応達観してたりするんだけど、それでもおらぁ一体全体何を残せるのかなぁ〜?・・・・・・もとい、今回のタイトルで言うなら「遺せるのかなぁ〜?」って素朴に考えたりするワケだ。

 もちろん、みうらじゅんが言うところの「いやげ物」みたいなんを遺したいとはまったく思わないし、たとえ幾許かの価値はあっても売るに苦労するようなんを遺しても仕方なかろう。基本的には何もないのが一番良いのかも知れない。「子孫に美田を残さず」とも言うではないか。
 最近では少子高齢化や晩婚化・非婚化のせいか「終活」とか「仕舞支度」なんてコトバさえ登場して、世の中の注目も集めるこの「遺」の問題、今回はおれなりのメメントモリのコミットと言えるかも知れない。

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 改めてどれくらいあるんだろう?と気になって、まずは「遺」の付く熟語を片っ端から拾ってみた。いやはやまことに辛気臭い言葉ばっかし並びやがる。ちなみに「遺」そのものには幾つかの意味があって、「人にやる」だとか「置き忘れる」なんて〜のから、面白いのでは「気がつかないうちにもらす」なんてのもある。通達文書等で見掛ける「遺漏なきよう」の「遺」だな(笑)。今回の「遺」は言うまでもなく「死後に残す」ってコトだ。あるいは若干「後に残る」とかも含まれるかも知れない。

  ●遺体
 まずはこれがどしたって残る。おらぁ別にどうでもいいんで臓器提供とかも良いアイデアかも知れないが、こんなに不健康では貰った方が迷惑するやも知れない。そこで考えたんが献体ってヤツだ。要は医学生の実習の用に供するのである。これなら病変も含めてちったぁ医学の進歩に貢献できるかも知れない。たしか「白菊会」ってシブい名前の組織が登録を受け付けてた記憶があるんで、検討してみようかと思ってる。
 そうそう!遺髪なんてコトバもあるけど、現時点でかなり怪しくなって来てるんで、亡くなった時に残ってるかどうか自体が分からない(笑)。
  ●遺骨・遺灰
 たとえ献体したとしても最後にはこれが残って、イヤッちゅうても返却されるんだそうな。最近では海やら山への散骨なんてのがブームだが、イヤな人からすればすんごくイヤなブームだろう。それに若干スカした感じがあるのが個人的にはちょっと気に喰わなかったりもする。だから、ここは若干の費用負担が発生するもののオーセンティックに、祖父母等も収めた骨仏の奇習の寺・大阪の一心寺に預けて、仏像制作の原材料として有効利用してもらうのが穏当ではないかと思ってる。
 余談だが、一心寺では動物の骨は受け付けてくれない。いっそ別途犬猫大観音みたいなん作って受け入れてくれたら良いのに。
  ●遺産
 ・・・・・・殆どないからこれはどぉでも良いや。空前の低金利もあって残債一括もせずに未だたらたら払い続けてる家のローンは亡くなると免責でチャラになるらしい。でも、今住んでるマンションったって資産価値なんてその時には限りなくゼロに近くなってるだろう。あと自社株っちゅうんですか、それの端株がチョロッとあるけれど、これも大した額にはならないのが見えている。だって千株にも満たないんだもん。ギターや自転車、アウトドアの道具なんて二束三文だろうし。
  ●遺書
 だからあんまし真面目に書いても意味なかろう。元々おれは一人っ子で兄弟がいないし、付き合いのあった親戚も多くが鬼籍に入ってしまってる。ヨメと子供達でスズメの涙ほどのを適当に分ければ済むだけのコトだ。
  ●遺族
 子供たちもおれがいなくたってジューブン自活して行ける年齢に差し掛かってるし、実のところヨメはおれより遥かに生活力があるタイプだ。さらに子供たちは誰に似たのか感心でとても母親思いだから何とかなるだろう。
  ●遺影
 ・・・・・・不細工なカオ、死んでまで晒しとうないわぁっ!!(笑)
  ●遺訓
 他人様から教え諭されてばかりの人生を歩んで来て、何を今さら後に訓することを遺す資格がおれにあるのか?と思ってしまう。
  ●遺沢
 それはおれがどぉこぉ言うこっちゃないでしょ!?多分ないだろうし。
  ●遺品・遺愛
 この辺からちょとややこしくなってくる。最近少しは収まって来たとは申せ、物欲全開でモノまみれな人生を歩んでるもんだから、家の中のものの大半がアンタのモノやないかいっ!!と時折ヨメに責められる。大きく分けて、書籍、楽器類、自転車、アウトドアグッズ、そして近年急増したカメラ・レンズといった撮影機材、あとはPC関係がチョコチョコ・・・・・・たしかにさして広くもない家のあちこちを占拠してる。
 上述の通りで、どれもこれも売れば二束三文だろう。昨年だったか、思うところあって数千冊あった文庫本はブックオフに持ってって処分したのだけど、それはそれはもう大変な作業だった。それで売値は2千円ほど(笑)。掛かった時間とガソリン代に全く見合わない。金になりそうなのは強いて言うならギブソンのギターくらいだろうが、別にカスタムショップでもないからタカが知れてる。まぁ、ヤフオクでも何でも最も金になりそうな手段で片付けてくれれば良いや。
  ●遺作・遺筆・遺草
 思えばサイトを始めたキッカケは、10何年前にちょっとした病を患って手術のためにしばらく入院したコトだった・・・・・・と軽く書いたけど、悪い方に転んでたら命に関わったり麻痺が残るかも知れないってコトでおれは随分肝を冷やしたのだった。退院してからも当面は家から基本出ちゃダメってお医者から言われて、あまりにヒマだったのと、何か自分の来し方を総括した方が良いような気がして、それで最初期ヴァージョンはできたのだった。
 実際、今くたばったとしてもこのサイト以外に自分の表現行為の痕跡は何も残らない・・・・・・ったって、レンタルサーバの更新費用払わなかったら1年で削除されちゃうし、実に儚い存在だわ、ホームページなんて。そりゃまぁWebArchiveOrgが世界中のサイトのアーカイヴを取ってるとは申せ、ひじょうに重いしこれ自体いつまで続くか分からんプロジェクトだし。
 ああ、そうだ。外付けHDDに十万枚くらいの画像がRAW、JPG両方で大量に蓄えられてるんだけど、まぁこれもおれの代限りになるんだろう。
  ●遺伝
 ともあれ、僅かとはいえおれにも恐らくは脈々と流れてるであろうメンタルの問題、平たく言えば「気違いスジ」とでも呼ぶんだろうが、これだけは子供たちに受け継がれてないことを祈る。それくらい親として願ったって別に罪にはならんだろう。
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 いろいろ書き連ねてみたけれど、実のところ誰もが死に向かって生きている。つまり「死ぬまで生きる」のだ。死に様や死後にあまりにも捕らわれて今の時間を小心翼々まめまめしくその準備に費やすのも何だか勿体ない、っちゅうかチャンと生きてないようにも思える。
 ゴタゴタと遺ってしまったら遺ってしまったでエエんちゃうんか?って気もする。たとえ死ぬ前日と分かってても、おれは楽器屋でギターを選んでるかも知れないし、Amazonでレンズをポチろうかどうか思案してるかも知れない。そんなんで良いのではないか?と。立つ鳥跡を濁して上等だろう?と。
 それが達観っちゅう名の無責任と言えばそれまでなんだけど、ともあれこうして総括して見えたのは、どぉせ遺したって本人の思い入れほどにはロクなモンがないっちゅう極めて冷厳な事実だけだ。でも、さして金にならないモノなんてまだ罪が無くて良いではないか。それくらいの面倒を後に残る者に掛けたってたかが知れてる。草葉の蔭から悪戯っぽい笑顔で眺めてりゃ良い。

 そこまで考えたら少し気が楽になった。「遺」の付くモノで遺したらダメなモノ、多分それは一つだけだ。それは何か?

 ・・・・・・「遺恨」である。何だか良く分からないままオチらしきまとまり方をしたんで今日はここまで。

2016.09.05

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