「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
いつまで働かせられるんや!?


労働力人口の推移。

http://www.mhlw.go.jp/よ

 ドイツが69歳定年制っちゅうのんの導入を検討し始めて、国の中がちょとした騒ぎになってるらしい。日本にしたって昔は55歳定年制が一般的だったのが、今は60歳がフツーになり、年金の受給開始が65歳に引き上げられたからって定年延長だ再雇用だっちゅうてそれもほぼ有名無実化してるから、ドングリの背比べ、あまりヨソん家のことを嗤う資格はない。

 産めよ増やせよ地に満てよ、なおよそ現実離れした人口動態を基に設計された我が国の年金制度は、もう何十年も前から崩壊することが明白だったのに、オロオロするばかりで何ら実のある施策を講じないままここに至って断末魔の状況である。年金の問題は少子高齢化や労働人口減少と裏表になってるトコに物価上昇率とかが絡んでんだけど、こんなにも長くデフレが続いてるにもかかわらず、選挙で年寄りからの票が減るのが怖くて受給額の水準を見直さなかったオカゲで、後の世代ばかりに皺寄せが来るっちゅう、ムダにややこしいワリには異様に不公平な仕組みになってしまってる。

 恐らく、おれたちの子供の世代では年金は遺族年金だけになってしまうんぢゃないだろうか?しかし、ヨメのパートやアルバイトも年金入らんとアカン時代なんで、メチャクチャに切り下げられることだろう。ホンマ、年金ナントカ機構とかの過去の理事だの理事長だのってエラそうにふんぞり返ってた連中に生命保険かけて殺しちゃって保険金受け取った方が原資は取れるかも知れない(笑)。

 正直、こんなんに毎月毎月何万円も払いたくはない。心の底からイヤだ。そんなムリに401Kとかの仕組みに乗らず、自分で投資なり貯蓄にでも回した方がよほど納得できるのだけど、会社勤めをしてるとどんな理屈か良く分からんが、給料から無理矢理天引きで取られてしまう。それも毎年ドンドン上がってく。スズメの涙ほど給与が上がったとしても全部こっちに吸い取られてる気がする。そうそう!昔はボーナスからは引かれなかったのに、いつの頃からからだったっけ?こっちからもけっこうな額をピンハネされるようになってしまった。
 たしか法律では強制預金っちゅうのは禁止されてたと思うが、最もひどい元本保証も何もない召し上げられるだけのカツ上げみたいなことを国がやってるのである。ヤクザのみかじめ料より酷くないか!?

 そいでもって冒頭に書いた定年の事実上の崩壊である。一体全体、いつまで働かせられるんや!?って思ってしまう。バカみたいに満員電車に揺られ、別に都心のビルに行かなくてもできるようなコトをやるのは、全く以て時間のムダだ。何だかんだで1日3〜4時間はムダにしてる気がする。

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 いや、そうは言うものの働くこと自体はちっとも悪いコトではない・・・・・・っちゅうか、死ぬまで人間は何かを生産的なコトをやってるべきだろうとさえおれは思ってる。ただひたすら何もせずボーッと日々を過ごすなんて、アル中とかジャンキーになったとしても辛くてやってられない。やったら分かる。おれはやった。大学の一時期をおれはそうやって過ごしてつくづく思った。ひたすら飲んで、酔いつぶれて明け方に寝て夕方に起きて、一日の中でで何か他の行動すると言えば若干のアルバイトと銭湯に出掛けるぐらいってな日々を過ごしてたのだ。最もディープだったのは数ヶ月だけど、まぁそれは緩慢な死のような地獄の日々でもあった。無聊をかこつ、な〜んて長閑なモノではサラサラなかった。
 おれが今、作ることにいささか異常なまでに拘ってるのはそんな経験があったことも大きく影響してる。

 働くことについて考えるといつもヨメの田舎の大祖母を想い出す。もう鬼籍に入って10年くらいになる。90いくつだったから大往生だった。さすがに亡くなる前の数ヶ月は急速に弱って寝てばっかりだったとは申せ、それまでは曲がった腰で判で捺したように毎日山に出掛け、山菜やら何やら採って来ては煮物やら佃煮を拵えたり、畔の豆を毟って来たのを干して鞘を取ったりに加え、自分の部屋の掃除と自分の衣類の洗濯、仏壇周りの片付けが担当になっていた・・・・・・ついでに朝夕の勤行も(笑)。
 部屋の掃除と洗濯はやらされてたっちゅうより、他人にやらせなかったってーのが正しいトコだったようだ。自分の身の回りのことは自分でやる、っちゅうのが彼女の矜持だったのである。とても矍鑠・毅然とした人だったと思う。
 しかし田舎とは申せ、今時レトロな煮物や佃煮なんて人気が無くてあまり誰も箸を付けようとしない。たまに顔を出すおれがいっちゃん佃煮を喜んで食べてたりするのだった。春だと蕗、初夏の頃だと緑色の山椒の実なんかが丼に一杯煮られてたりする。亡くなって以来、これらの佃煮は食卓に出なくなってしまい残念でならない。蕗は放っといてもまた生えるだろうが、山椒の木は今はどうなってるのだろう。

 それはさておき、おれの言わんとする「死ぬまで何か生産的なコトをやる」とはそぉいった程度のコトだ。ムリして趣味を持てとか地域のボランティアに参加しろなどと言いたいワケではない。もちろんデイケアセンターでお遊戯みたいなんする必要もなければ背伸びしてスノッブな茶飲み話に時間を費やすこともない。また、対価を伴う労働である必要だって必ずしもない。何かしら日々の生活の中の身の回りのことで、体力や地縁、血縁の繋がりを意識しながら邪魔にならない程度に周囲に貢献する・・・・・・くらいで十分だと思う。

 ただ、それが今まで務めた勤務先である必要は少しもないと思うのだ・・・・・・いや、それは一方でおれが単なる職工でないが故にヘンな沽券が障ってるのかも知れない。しかし、もう一方ではヘタしたら死ぬまで同じ勤務先で勤め上げる必要がそこまであるのかなぁ〜?とやはり真剣に思う。そこまで帰属して/させて企業は人の一生の面倒を見にゃならんのか?/見られにゃアカンのか?と。

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 ハッキシゆうて、今のなし崩し的定年延長の果ての飼い殺しみたいなやり方は却って国を衰えさせるんぢゃないかとおれは考えてる。むしろ逆にこの際55歳定年制に戻した方が絶対に世の中活気付く。45でもいいや。

 ・・・・・・え!?それだと労働力人口の減少に対応できない、って!?

 そんなに高齢者の労働力が大事な戦力だ、っちゅうんならいっそ国の施策として大胆に、後継者難に苦しむ農林水産業といった第一次産業にでも強制的に労働力を振り向けちゃえばエエんちゃうやろか!?職業選択の自由!?強制労働の禁止!?・・・・・・そんなん55歳で終わり終わり終わり!一度それまでのキャリアは全部御破算にして、あとは公的存在としての「隠居」って身分になって、それから5年から10年、全然畑違いの分野で働かせれば良いんだよ。徴兵制なんかよりはよっぽどマシだしフラワーだ。
 企業だって人材の思い切った登用をやらないと大変なことになるから、空きポストがあるとかないとかまだまだ若い者には!なんて粘るロートルに煩わせることなく抜擢をしていかざるを得なくなる。それは間違いなく企業の新陳代謝を良くするだろう。

 おれ!?やれ、って言われたら喜んでやりますよ。

 って、ここまで過激なコト言ったって世の中の賛同は得られないと思うんだけど、取り敢えず給与生活者はみんな55歳で定年になって、そっからは心機一転のセカンドライフ、っちゅうのは絶対に「あり」だろう。紹介やコネ、ツテはダメ、これまでの仕事上の経験を活かすのも禁止、役員だろうが管理職だろうがカンケーなし!ゼロベース!みたいな厳格なルール作って、55歳過ぎたらみんなワーッとフルーツバスケット状態になるのだ。

 様々な見えない束縛でがんじがらめになったこの国自体が絶対に面白くなると思うけどなぁ〜・・・・・・今回はちとアナーキー過ぎましたかねぇ?

2016.08.30

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