「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
オルテガ/忘恩/デフレ


オルテガ近影。眼光鋭いシブいジーサンですな。

https://simonaliendresleon.wordpress.com/より

 この前、衆愚について書き散らしてはみたんだけど、書き散らしただけだけあって我ながらあまりに乱暴で粗雑な内容に思えて、ちょっとこう、耳に水が入ったまま布団に入ったような気持になっていた。そんなんで今日はもう少し書き足してみようと思う・・・・・・って余計にボロが出そうだな〜(笑)。

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 大衆、あるいは衆愚について考えてくと必ず行き当たる人物がいる。スペインの思想家、オルテガである。正しくはホセ・オルテガ・イ・ガセットっちゅう長ったらしい名前だ。大体に於いてスペイン人っちゅうのは名前が無闇に長くて暑苦しいのが特徴で、あのダリだって正しくはサルバドール・ドメネク・ファリプ・ジャシン・ダリ・イ・ドメネクという。ピカソに至ってはパブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダードだ・・・・・・寿限無かよ!?(笑)
 それはさておきオルテガ、亡くなったのは戦後ワリとすぐで、専ら活躍したのは、日本で言えば大体大正の半ばから昭和初期くらいまでだ。代表作と言われる「大衆の反逆」にしたって1929年に上梓された。だから彼の指す「大衆」とは19世紀くらいから激増したヨーロッパの大衆であって、第二次世界大戦後の民主主義の中で生み出された、それも日本のそれではない。しかしながら、その大衆論は大いに普遍性を有してるのではないかと思う。

 その中での彼の主張を一言で言うならば、強烈な大衆憎悪を理路整然とまとめたものと言える。ちょっとまぁ言い過ぎちゃうか?っちゅうくらいにフルボッコで大衆は救いがたい連中だ、ってコトを彼は主張する。色々エクスキューズはしてるものの畢竟、没落貴族の愚痴にも読めてしまう。それはそれで唾棄すべきそこに横たわる鼻持ちならない知識人の選良意識には敢えて今回は言及しない。
 ただ、ここで大事なのは彼の言う大衆が必ずしも、例えば通常想起されるような労働者階級とか低所得層とか低学歴な人たちといった「持たざる人々」ではないってコトだ。どちらかと言えば「多数派を占める人々」とか「マジョリティ」もしくはもっとシンプルに「群れる人々」とかに近いのかも知れない。この点を抑えつつ「大衆の反逆」を要約してみると次のような感じになるだろう・・・・・・まぁナナメ読みなのをさらにダイジェストにしたんで、極めて大雑把なんだけど。

 1.社会は少数者と大衆からできている。ただしこれは社会階級とは異なり、非凡の努力家と凡庸で怠惰な人間という区分。
 2.凡庸なヤツは自分が凡庸なことを分かってるクセに、生意気にも凡庸なるものの権利やら価値観をバラ撒く。
 3.ただし、厄介なことに決して凡庸=愚かではない。今の大衆はそれなりに賢こかったりする。
 4.大衆の特長は、肥大化した権利意識による果てしない欲と自己の安穏を成り立たせてくれてるものへの忘恩である。
 5.そんな連中がのさばりやがったもんだからあ〜も〜世も末だわいな(当時のヨーロッパのコトなんだけどね)。

 ・・・・・・読みながらウダウダ考えて、おれはハタと気付いた。

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 バブル崩壊以降、日本は長引く不景気とデフレが問題となっている。途中ちょっとだけ復調しそうになった時もあったけど、如何せんその力は弱々しくもう20年を超えた。デフレの背景にはモノ余りもそりゃあるだろうが、消費者心理がいつまで経っても上向いてこないコトが大きな原因となっているのは今更おれが言うまでもないだろう。
 日銀も年間2%だったっけ、インフレ目標なるものを掲げて無理矢理にでもみんなに金を遣わせてデフレを脱却しようと足掻いてる。やれ異次元の金融規制緩和だ、黒田バズーカだ、第三の矢だ、マイナス金利だとネーミングだけはとても景気の良い状況なんだけど、それでも消費者物価はまるで臍を曲げて座り込んだコッテ牛みたく頑迷なまでに上がって来ない。

 ところが、まことに奇妙なことにブランド性やステータス性の高い高額商品はそれなりに売れまくってるのである。例えばこれだけ不況不況と言いながらベンツ、BMWに代表されるドイツ車は売れまくってたりする。ドイツ車はあまりに普及し過ぎて面白みが無くなったのか(・・・・・・って、元来ドイツ車がそれほど面白いワケでもないのだが、笑)、最近はマセラッティのディーラーなんてのまで現れ出した。国産車でも高級ラインはシッカリ売れ筋だ。高級時計やヴィトンに代表されるような高額カバンの類も堅調に売り上げてたりする。都内のマンション販売価格はバブル期に迫り、タワーマンションが即時完売なんてニュースもちっとも珍しくなくなった。趣味の道具には金をジャブジャブに惜しまない人も多い・・・・・・そらオマエやろ!?と言われそうだが(笑)。

 一方でもっぱら日用品や食品、衣類といった生活必需品に関するものはとにかくみんな金を出そうとしない。以前も書いた通り小売りはメーカーを叩きまくる。半ば都市伝説だがコンビニチェーンがメーカーにタダで卸せと迫ったなんてハナシまである。外車が売れまくる一方で、日常の下駄代わりの軽自動車はいつの間にやら国内の比率が4割を超えた。紛いなりにも人が4人乗れて120km/h巡航くらいならこなしてしまうようなのが新車で100万以下で買える。
 我が世の春を謳歌してたユニクロはちょっと値上げしたら途端に売上がダダ下がりになった。そいでもってクオリティ的にはユニクロより落ちるがさらに安いと言われるしまむら、或いはユニクロの廉価セグメントのGUは堅調だ。

 想い出した。おれの家の近所のスーパーマーケットで鮮魚とか精肉に限定してタイムセールをやる店があるのだが、開始時刻が迫ると呆れるほど沢山の人が行列を拵える。その身なりを見るに、そらまぁ色褪せたスウェット上下のヤンキー崩れとか年金生活っぽい年寄りといった明らかに貧困層と思しき人もいるけれど、それなりにスカして金掛けたカッコの人も沢山いる。メチャクチャ並んでも値引きは2割ほどで、それに大体鮮魚なんて一度に何万円分も買わないだろうに、みんな驢馬のようにジッとこらえてせいぜい数百円から千円ほどの値引きのためにその時を待っている。みんな呑み屋でも経営してるのか?(笑)。大概おれもケチな方だけど、あまりにバカバカしいんで並んだことが無い。時間の方がよっぽど勿体ないわ。

 現在のこの奇妙なデフレを読み解くために消費の二極分解、あるいは金の遣い方が上手くなった、ハレとケの切り分け、小売による生産者やメーカーの垂直統治、モノ余りと珍奇への傾倒・・・・・・等々、色んなアプローチがなされている。多分どれも間違ってはいない。沢山の要因が錯綜しながら今の消費者心理を形成してるんだから一択はムリだろう。

 ・・・・・・で、それらは全てオルテガの言うところの「忘恩」から生み出されたものなのではないかとおれは思ったのだ。

 要するに生活必需品を安価で潤沢に作るためにこれまで注がれて来た膨大な努力をスッカリ忘れちゃってる。いやいや、今や忘れるどころか初めから知らないし知ろうともしない。そんなめんどくさいハナシわたいには関係おまへん・・・・・・もはや「忘恩」どころか「蒙恩」とでも呼んだ方が良いかも知れない。そんな危険でおめでたい状態がいずれもデフレに向かう百花繚乱の価値観、消費行動、ビジネスモデル等々を生み出している・・・・・・どうだろう?

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 結論は当たり前すぎて詰まらないからもう端折って構わないだろう。「蒙」はどうするのか?そりゃもう「啓蒙」しかなかろう。最後に一つだけ蛇足。「忘恩」の蒙を啓くには、バカな人権屋の創り出した意味不明の「啓発」なんかではムリだと思う。

 ああ、そしてもう一つ蛇足。おれもまた残念ながらそうありたくないと願いつつ大衆の一人だ、ってコトだ。ぬくくくく。

2016.08.05

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