「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
職住分離を考えてみた


まぁ、インドネシアやパキスタンに較べりゃ日本のラッシュなんて大したことないんですけどね(笑)。

http://matome.naver.jp/より

 日本で初めて職住分離を提案したのは東急電鉄らしい。そう、あの「田園調布に家が建つ」とギャグになり、今や高級住宅地の代名詞としてその名を轟かせる田園調布を開発・分譲し、「郊外に一戸建てを拵えて電車に乗って都心に通勤する」ってな生活スタイルを日本にもたらしたのである。その発案者は何かと日本の嚆矢としてその名が出て来る日本資本主義の父・渋沢栄一である。商売の世界だけでなく民俗学のパトロンとしても必ず名前が出て来たりもする。そぉいやNHKの朝の連続TV小説・「あさが来た」にも出て来てた(笑)。ホントすげぇオヤヂだわ、この人。

 今やマトモにココに新築を買うことなんて庶民にはとても無理な相談だろうが、しかし宅地開発された当初は、「そんなワザワザ郊外から電車ににって仕事に通うなんて」・・・・・・ってな風に言われ、売れ行きはそこまではかばかしくなかったらしい。ちょっと記憶があやふやなんだけど、宝くじだかお年玉付き年賀はがきだかの景品の一等賞として「田園調布の一戸建て」が選ばれたこともあるとも言われる・・・・・・まぁ、マッチ箱みたいな狭小住宅だったんだけどね。

 つまり、職住分離はハイブローな生活を意味していた。事実、江戸時代とか職住が綺麗に分離されていたのは当時の公務員であるお侍くらいのモンだった。「登城」っちゅうくらいで、朝は山の上とかにあるお城に出掛けてって仕事して、そいでもってお昼くらいに帰って来るのだ。ちなみに一日の勤務時間はせいぜい長くて5時間くらいだったらしい。
 羨ましいなどと言ってはいけない。当時の江戸の町民も大体そんなもんで、夜明けと共に起き出して布団畳んでメシ食って、職人だったりするとそのまま仕事を始め、ほいでもって大体昼くらいには仕事を終わっていたと言われる。ただ、丸々の休日は今より遥かに少なく、盆暮れ以外は月に2日程度だったようだが、それでも年間での労働時間はせいぜい15〜1600時間くらいだった。今の日本人があくせく働き過ぎなのである。
 こういったことを書くと、すぐに「慶安御触書」なんかを持ち出す人がいて、百姓とかあんなに生活は厳しかったぢゃないか!?などと真顔でマヌケな指摘をして来るのが困りモノだ。綱紀粛正の通達なんてモン、チャンとやられてないから厳しめの内容で書くワケでしょ!?んなワケないやんか。

 ・・・・・・とまぁ労働時間はともかく、そんなお侍も失業すると家に籠ってひたすら傘張りなんぞしてなくちゃなんない。つまり、在宅勤務は貧乏な平民のものであり、職住分離による出退勤のための移動は特権階級のものだったと言える。

 明治以降に職住分離が進められたのにはもちろん、こういった意識を逆手に取った策略があったのは言うまでもない。今でこそ都市周辺部も随分拓けて来てるが、明治の頃はただの寒村で大した輸送量を見込めないる郊外の町や村に向かう私鉄を採算ベースに乗せるためである。毎日毎日人を移動させることは非常に大きな産業振興策の一つだったのだ。人が動き、街が出来れば店もできる。寄り道して買物したり、飲んだくれたりもするだろう。ミニ参勤交代みたいなモンだな(笑)。
 関西育ちのおれの記憶で言うなら、大阪でも八尾辺りになるともう田圃ばっかしだったし、淀川越えた江坂辺りなんてもう竹藪ばっかし広がってた。南海電車の河内長野から奥や生駒の東側を走る信貴山電車、能勢電鉄、あるいは福知山線の宝塚以遠の各駅なんてどれもホント山峡の寂しい駅ばかりだった。それがどんどこどんどこ宅地造成されて、今や住宅が櫛比する街となった。
 かようにせっせと分譲地を売ったり、或いは遊園地やプール、野球場を拵え、学校を誘致したりして日本の都市近郊の鉄道は発達してきたのである。

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 ともあれ、今や都市部に住む人間にとって職住分離は当然以前の所与のことであり、朝夕の鉄道はそんな乗客で溢れ返っている。会社の中に住んでます、な〜んて社長にだっていないのではなかろうか・・・・・・ってこの人たちはお抱え運転手で悠々と通勤か(笑)。
 まぁそれでも昔に較べたらラッシュアワーは随分マシにはなったらしい。一番ひどかったのは昭和30年代から50年代前半くらいまでだった。その後急速に進んだ車輛サイズの拡大や長編成化、冷房の整備、極限とも言えるダイヤの高密度化、相互乗り入れといった取り組みが功を奏し、スシ詰めの乗客の圧力でドアのガラスが割れるとか、小柄な人の足が浮き上がってしまうなんてコトは余程大幅なダイヤの乱れでもなければ起きなくなっている。「押し屋」もずいぶん減ったし、「酷電」なんてもぉ完全に死語の世界だ。

 そんなこんなで随分快適になったとはいえ、それでも通勤の往復はサラリーマンにとっては今でもやはり苦痛以外の何物でもなかろう。おれだってイヤだ。そんなのに何だかんだで一日のおよそ1割くらいが移動に費やされてるのである。年間にすると優に5〜600時間にも及ぶ。実にクダらないと思う。

 この10年くらいはウォーターフロントだのなんだのと都心回帰の流れも出来つつあるといえ、基本的にこの100年、家は都心からだんだんと離れて行ってるのが現実だろう。バブルの最もひどい時なんて、千葉の東金だとか山梨の上野原なんてトンでもない場所までが宅地として法外な値段で売られたという。今は二束三文でも買い手が付かないらしい。そらそうだわな。だって通勤が片道2時間半とかなんだモン(笑)。

 おれたちが問い直すべきは、そもそも「通勤」という行為がそこまで誰にも彼にも必要なんだろうか?ってトコからではないかと思う。例えば工員とかで、働くには工場っちゅう作業環境が不可欠だというなら分かる。建築関係なら現場に向かわなくちゃなんないし、店員ならお店で勤務しなくちゃなんない・・・・・・これも分かる。
 しかし、事務職なんてこれだけIT技術が発達した時代に本当に都内の会社に通うことが必要なのか、おれにはどうにも疑問なのである。一堂に会する必要が毎日毎日あるとも思えないし、どぉせ仕事ったって大半はエクセルやワード、パワーポイント等を弄り倒したりメールに目を通してるだけで、大半は家に居て出来るようなコトばっかしだ。同じ伝では大学なんちゅうのも同じだな。
 それをワザワザ会社に通うことで、日々膨大な量のエネルギーが消費されている。電車を走らせる電気やオフィスの冷暖房、あるいは蛍光灯といった光熱水費という形で。無駄遣いとまでは言わないが、何だかとても贅沢であることは間違いなかろう。
 もちろん、同僚や取引先と相対して実際に顔見たり会話を交わすことで取れるコミュニケーションの効用は大いに認める。一堂に集まる会議もたまには必要だろう。忘年会やら暑気払い、歓送迎会といった飲み会なんかも無かったらなかったで味気なかろう。それは分かる。

 しかし、だからって来る日も来る日も満員電車に揺られて1時間とか2時間とかかけて職場に通うのは、エネルギー消費の観点からして如何なモノかと思うのだ。ぶっちゃけ、そこまでいろんなエネルギー消費してまでやらなアカンのか?と。前段で述べたように、言うまでもなく消費が景気の原点であることは厳然たる事実ではあるんだけど、だからって東京だけでも1日1千万人近くの人がほぼ決まった時間帯に通勤だの通学だのと移動を繰り返すのはどうにもおれには異常なことのように思えて仕方ない。

 ああ、そぉいやバブル前後の一時「SOHO(スモールオフィス/ホームオフィス)」なんちゅうのがクリエイティヴでトレンディだと持て囃された時期もあったっけ。それはただの内職ではないのか?テレクラのサクラではないのか?って言いたくなるのまで、ネコも杓子もSOHOだと持ち上げられてた時期もあった。
 でも結局淘汰は進み、残ったのは要するに単なるネットの小商いっちゅうフワフワした自営業の世界でだけのことだった。そして決して社会のシステムとして一般化して機能してるとは言い難いし、ビジネスが拡大して大企業になってもSOHOのままであり続けるケースも寡聞にして知らない。ガレージブランドが大成してもガレージで作り続けていないように。

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 東日本大震災とそれに続く福島第一原発の事故が起き、首都圏のインフラは大きな打撃を受けた。おれはこれでちったぁこの辺のバカバカしい鬱血したような社会システムが変わってってくれたらなぁ〜・・・・・・と、間引き運転で押し潰されそうなくらいに激混みの電車の中でもみくちゃにされながら淡い期待を抱いたものだった。しかし、結局のところ現実は何も変わらなかった。

 相変わらず企業は巨大な本社ビルをこれみよがしに都内に構えることが無上のステータスであるかのようだし、ITったって結局はセキュリティだ個人情報だリスク管理だってぇのに対する無知蒙昧と不安が邪魔して、会社に実際出掛けて行かなきゃつまらないファイルの一つですら開けない不便な状況が続いている。一方ではスマホでデイトレードなんかで巨額の金が動き、アマゾンだの楽天だのアップルミュージックだのと膨大な買い物が日々サクサクと行われてるのに、だ。
 何がクラウドかよ!?ユビキタスかよ!?シンクライアントかよ!?eラーニングかよ!?って思ってしまう。旧弊の塊のような労働法も在宅勤務なんてこれっぽっちも考えちゃいないし、変える気もなさそうだ。本当にコンシューマやパーソナルの動きに較べると、オフィスやビジネスユースの世界は旧態依然としてるし、それが社会システムの障害にさえなっていることに誰も気付いてないのか?って思ってしまう。

 サスティナブルな社会、なんて口先だけの空念仏でスカしたコトが言われてるが、本気で「持続可能な社会」っちゅうのをおれたちが求めるならば、まずは職住分離から根本的に見直して行かなくちゃなんないと思うのはおれだけではないと思う。 

2016.03.21

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