「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
創造/発想/連想/影響/模倣/剽窃


この本は写真に止まらず、絵画やデザイン目指す人には必読だと思う。
さりげなく合田佐和子の盗作が挙げられてるのも面白い。


http://www.amazon.co.jp/より

 2020東京オリンピックを巡るいろんな動きが相変わらず騒がしい。大体、森義朗みたいなガサツかつ無能なアナクロなジジィが組織委員会の会長やってるトコあたりからして相当いかがわしい印象を持ってたんだけど、迷走に次ぐ迷走、不祥事に次ぐ不祥事で混乱の極みにある。
 国立競技場が2,500億とか3,000億とかとんでもない金食い虫であることが判明して大騒ぎになり、すったもんだの末に「白紙撤回」されたと思ったら、今度はシンボルマークのパクリ騒動である。これもまた「白紙撤回」とやらになってしまった。いつから日本はこんなにも不様でみっともない国になったんだろう?
 期日にチャンと開催できるんだろうか?おれは期間中の東京の混雑を想像するだけでウンザリなんで、流れてくれりゃそれはそれで良いのだけどね。とにかく税金返せや。

 パクリ疑惑の渦中の人物は佐野研二郎っちゅうて、ちょっと前までは気鋭と言われたデザイナーであるが、今や栄光は完全に失墜して「パクリのサノケン」などと揶揄される始末である。本人も消息不明になっちゃった。まさか捜索にこれ以上税金遣ったりとかは無いようにしてほしい。
 2ちゃんねる等では恐るべき精度とペースで過去の彼の作品の検証が行われてるが、これがもう笑えるほどにゾロゾロ出て来てる。景品のトートバッグや扇子のポスターなんてもぉホンマ、呆れるほどヒドいとおれも思った。完全にクロだろうな、コイツは。
 漫画家の江口達也なんかコラムで「サノケンはビリケンに似てるだけあって、ある意味みんなのやる気に火を点けた点でスゴい。やっぱ福の神だ」みたいなことを皮肉たっぷりに言ってて、おれはハラを抱えて笑った。たしかにビリケンさんによく似てるわ、この人。想像の福の神よりはかなり性格悪そうだけど(笑)。

 江口のマンガ作品については正直おれは好きでない。過去に何冊か読んだけど、どうもあざとさっちゅうか、作者の狙いどころが露骨に透けて見えるのが何だか読者をバカにしてるように思えて、読み続けるのを止してしまったのだ。だから単行本も買ったことが無い。しかし、狷介固陋さがモロに出たふてぶてしい面構えやメディアでのタカビーな発言はけっこう面白いと思ってる。
 ともあれそうしてそのネット上のコラムを読み終えた瞬間、天啓が降って来たのだった。作家って創造力とかなんとかいう前にまずはこうした素早い連想力なんだな・・・・・・と。サノケンがビリケンに似てる、みたいな(笑)。

 そうして「創造/発想/連想/影響/模倣/剽窃」みたいなコトバのイメージがポンと浮かんだのである。要はそれらはどこか地続きなのだ。

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 おれはパクリは嫌いだ。だからこのサイトについても「たとえ稚拙でもオリジナリティ」をモットーにしてるつもりである・・・・・・とは申せ、人に歴史ありでこんな軽佻浮薄なおれにも知識だの経験だの影響だの、あるいは馬齢を重ねるうちに形成された価値観だの思考回路だのといったいろんなバックボーンはある。だから自然と過去の何かに似てしまってることはあるかも知れない。それはまぁ誰にとっても不可避のことであって仕方ないことなのではあるが、知らず知らずやらかしちゃってないかな?っちゅう不安は絶えずある。

 そんな一方で、隅々に至るまでナーバスなまでに神経尖らして清廉潔白ってワケでもないから駄文の口絵替わりの画像なんかをネットから拾って来ることはたまにある。引用元についてはマメに表記してるツモリだが、それにしたって酔っ払ってついつい忘れることもあり、たまに見直す時に少しづつその辺は埋めてるお寒い状況なので、あまり厳格居士に取られては困るのだが。

 ただ、著作権にもピンからキリまである。言っちゃなんだが実態としては二束三文の権利が世の中に溢れてるのは紛れもない事実だろう。拾うのはそんなんからである。他人の創作物を自分の創作物としてアップすることは決してしない。だから、別段擁護するワケぢゃぁないけれど、今回のサノケンでいうとホールの中を撮ったどこぞのブログの画像を拾って使ったのが他のと同列にエラく問題視されてるんだけど、おれはあれについてだけはそこまで目クジラ立てることなのかな〜?って思ってる。一言、「ゴメン!」で構わんレベルだろう

 問題はやはり、人がそれなりに苦労したり手間ヒマ掛けたりして拵えた「作品」を自分の拵えたものとして発表し、対価を得るコトだと思う。だからサノケンはアウトなワケだ。ちなみにこの場合の対価とは必ずしも金銭に限らない。例えば周囲からの賞賛とか羨望の眼差し、ネット上でならアクセス数とかそんなんも含まれるだろう。
 こんな泡沫サイトで細々やってるにもかかわらず、おれだって堂々とパクられてイヤな思いをしたことは過去に何度もある。これからもまぁあるんだろうな。それがネットの宿命だ。パクるヤツってホント、何が楽しいんだろうね。別に食えるワケでもないのにバカぢゃないかと思う。ただ、必ず数少ない常連さんの中から報告してくれる人が現れるのは実に不思議だ。案外世間って広いようで狭いのかも知れない。

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 ただ・・・・・・ここからが悩ましくも虚しい話になる。

 極端な例を挙げてみよう。3コードのロックンロールパターンなんてどうだろう?誰もが絶対に一度は耳にしたことがある、1度5度を基本に、6度と短7度を組み合わせた鉄壁の黄金パターン。これのルーツがどこにあるのかは寡聞にして知らないけども、絶対どっかに嚆矢は居るはずだ。そいでもってこのオリジナリティを厳格に尊重すれば、50年代以降のロックチューンの相当数は全部パクリ、っちゅうコトになってしまう。ラモーンズなんてもぉタイヘンだよね(笑)。

 ある本を紹介しよう。以前も取り上げたことがあるかも知れないが、先日、廃刊が決まったと報じられてた「宝島」がまだ元気だった頃、EXってなスピンアウトシリーズで「写真の新しい読み方」(高橋周平)という本が出された。ハズレも多い別冊宝島にあって、これは個人的には物凄い名著ではないかと思ってる本なんだけど、この中で豊富な図版を元に執拗なまでに語られるのは、要するに「写真史とは剽窃と模倣の歴史に他ならない」ってコトだ。いや、もちょっと踏み込んで言うと「表現行為とはほとんどが剽窃と模倣だ」ってコトだ。
 特に深刻で顕著なのがポスターとかデザインの世界で、古今東西の名作のパロディやオマージュ、あるいは本歌取りを通り越して直接的にデザインをパクッた例は数えきれないほど出て来る。

 20年以上前に出されたが、今でも古本とかでは比較的容易に入手できる。写真や映画、絵画、あるいはデザインといった視覚に訴える表現行為を目指される方、あるいは既に携わっておられて未読の方は是非御一読・・・・・・どころか熟読されることをお勧めしたい。もちろん読んで猛省を促されるべき人は沢山いるだろうな(笑)。

 アイデアとは厄介なモノで、ユニークさやインパクト、そして明快な単純さが無くてはならないが、それらがあればあるほど必然的に剽窃や模倣を生む。さらに厄介なことに、実は剽窃や模倣が重層的に積み重なっていくことでアイデアは普遍性を持ったメジャーでエバーグリーンな様式となって行く・・・・・・即ち記号化する点は否めないのである。その後は複雑化や過激化というフェーズを経て、最後はステロタイプな紋切り型になって行く。マニエリスム、っちゅうやっちゃね。
 実はあらゆる表現行為に於ける様式をよぉ〜く見てみると、大抵はそのような経緯を辿っている。ルネッサンス然り、印象派然り、日本画然り、仏像然り、ジャズ然り、ロックンロール然り、ハードロック、ヘビメタ然り、パンク然り・・・・・・本当の「創造」なんて最初の一瞬だけだ。

 後に続くのはただもう数だけは膨大なフォロワーとかエピゴーネンと言われる連中が殆どだ。まぁ、そこからまた新しい波は起きたりするのだが・・・・・・。

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 話題をなぜこのような業界でパクリが起きるのかについてに変えてみる。

 思えば「クリエーター」なるよぉ分からん職業が出て来た頃から、どぉにも創造っちゅうのは随分お手軽で安っぽいことに堕してしまった気がする。本来「創る」とは、ただの「作る」と違って完全な無から有を生み出すようなコトを指すのではないかとおれは思ってるのだけど、どうにも職業としてのクリエートには切り貼りに近い軽薄さがあるように思う。適当に拾い集めて選んで並べて換骨奪胎してポン!みたいな。どちらかっちゅうと、輸入雑貨店が自分のセンスで商品選んで陳列してる感じに近いかも知れない。
 クリエートしてるつもりでスカしてチョーシくれてるワリに、その実やってることは、せいぜい連想程度のレベルまでで、創造どころか発想さえもないクリエーターばっかしが横行してるんぢゃなかろうか?

 その背景にあるのは恐らく自分の才能についての矜持・・・・・・っちゅうよりは傲慢とか驕りだろう。

   ------あのね、ボクは今、売れっ子なワケ、分かる!?すごく忙しいんだ。今週もさぁ、TV出演と講演入っちゃっててさ。
       それにボク、立場としては事務所のエグゼクティヴ・プロデューサーなんだ〜・・・・・・そぉ!総合監督。
       ボクが全体のアイデアと大枠の方向性は大体出してんだしぃ〜、イチイチ細かい作業なんて関わってられないんだよ。
       だから個々のパーツはさぁ、キミ達スタッフの方でやっといてよね。
       それだけだと何の価値もないパーツにボクは命を吹き込んで「作品」にしてんだからね。

 ・・・・・・みたいな(笑)。ありそでしょ!?(笑)。全盛期の手塚治虫が殆ど絵コンテだけで、主要キャラのペン入れもロクにやってなかったのは有名な話だが、実際押し寄せる注文をさばこうとするとそんな風にならざるを得ないのもなるほど事実だろう。実はルネサンス期の売れっ子宮廷画家や運慶・快慶なんかもそぉだったらしい。要するに「プロダクション」っちゅうやっちゃね。分業制が進みまくって最早個人の名前なんてブランドでしかないのである。
 みんな最初は寝食を忘れた孤独な一人だけの作業から始まってんだろうが、そのうちちょっと売れるとこんな風になって行く。いや、行かざるを得ない。だって、中身よりもネームバリューを求めてクライアントはワンサカ押し寄せて来るのだから。そしてそれは食い扶持なのだから。

 も一つ本を紹介。「エロ漫の星」(金平守人、少年画報社)っちゅう怪作がある。売れない中年漫画家がエロマンガ界での成功目指して奮闘する、っちゅうまことにバカバカしいストーリーなんだけど、この中で業界の売れっ子が他のをトレースしまくってるのがバレてみんなから袋叩きにされて・・・・・・みたいな話が出て来る。ギャグ漫画だから笑いのオブラートで何重にも包んであるとはいえ、これは今やあらゆる業界に蔓延する深刻な病巣なんだろう。
 何でデザイン業界からヘンな擁護論や同情論ばかり出て来るのかも良く分かる。多かれ少なかれみんな同じ穴の貉で、佐野を批判することは天に唾することにほかならないからだ。みんな感覚が麻痺しちゃってるのである。

 ともあれそうして麻痺したまま、オリンピックなどという4年に一度の世界的イベントの舞台でやらかしちゃったんがまさに今回のサノケンなワケだ。

 さてさて、さても今回のパクリ騒動、広告代理店やら色んな委員会のメンバーの利権、あるいは力関係といった大人の事情が背景にあるのは想像に難くない。組織とか会社、あるいは政治といった大人の世界は建前で回ってる。本音の部分では上にツラツラ書いたようないろんな理由があって、それなりにまぁ同情を禁じ得ない部分も多少はあったりするんだが、その辺はやはり大人の事情で以てスマートに建前一点張りでサノケンは業界からは出入禁止にされちゃうんだろうねぇ・・・・・・。

2015.09.06

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