「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
幽霊の正体見たり枯尾花


見た目がおどろおどろしいだけですなぁ〜・・・・・・(ギャラリーのアウトテイクより)。

 ♪おばけなんてないさ
 ♪おばけなんてうそさ

 ・・・・・・有名な童謡だけど、これは小さな男の子のお化けに対する強がりを歌ったものだ。すぐ次に「♪だけどちょっとぼくだってこわいな」って続くのだから。ハハ、ともあれ正直なお子様ではある。元々は60年代半ばにNHKの「みんなのうた」で放送されたものらしい。

 お化けの存在/不在については、おそらく神の存在/不在と同じくらいに古くから議論されている。言うまでもないことだけど未だ決着はついてないし、余程のことが無い限りつくこともないだろう。

 結論から言う。お化けと呼ぶか霊魂と呼ぶか幽霊と呼ぶか、或いは妖怪、狐狸、魑魅魍魎と呼ぶかはともかくとして、そういったあやかしの超常的なモノはたしかにこの世に存在する。オカルト信者と嗤いたけりゃ嗤え、おれはアンテナの鈍いアンタを嗤い返してやるわい!くらいにさえおれは思ってる。かなりガチである。

 ・・・・・・そうでなければこれまでの生涯で体験した不可思議な現象にどうしても説明が付かないのではないか。

 繰り返しになるし、いちいち詳述してちゃ長くもなるんでサラッと振り返るだけにするが、置いてあった祖母の茶碗がひとりでに割れた直後に危篤の報が入ったとか、忘れ物を取りに帰った誰もいない校舎の中で赤ん坊の声を聴いたとか、親類が撮って来た写真に明らかに絣の浴衣着た坊主頭の子供が石碑に浮かんでるとか、深夜のアルバイト先の病院で後ろの無人の廊下から明るい声で挨拶されたとか、晩秋の冷え込む深更にそんな人おったら怖いなぁ〜、って話してたら、とっくに電車も終わって電気の消えた駅の小さな待合室に正しく話してた通りの母子が座ってたとか、通い馴れた道なのになぜかグルグル回ってしまって元のところに戻ってしまい先に進めなくなったとか、夜のワインディングをソロで流してて後続車もないのに真後ろからパッシングを一度ならず浴びせられたとか、野宿してて狭いテントの中で突然身体を持ち上げられたとか、ワリと最近では房総方面の崖っぷちのお堂でカメラが突然まったく動作しなくなったとか・・・・・・うわぉ!ムチャクチャ多いやんけ!(笑)。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・散々、オカルト勘平な体験はしてるのである。体験は理論を越えるのだ。

 なのになのに嗚呼それなのに、おれはモノ好きにも如何にも出そうな雰囲気が横溢する廃墟に好んで出掛けて行く。出掛けてくだけではなくあんな写真やこんな写真を撮りまくったりもする。我ながらちょっとアホっちゅうか蛮勇ちゃうやろかい!?と思う時もなくはないけど、基本、絶対に出ない確信みたいなものがあるから行くのだ。

 偉そうに「確信」なんて書いてはみたものの、そこには合理的な根拠も判断基準も、ない。ただもう自分の感覚にのみ従い、神経を研ぎ澄ましてここは大丈夫だろうとかヤバいだろうってな選択をしてるだけだ。分からない人からすれば「何ぢゃそりゃぁ〜!?」って激しくツッコミ入れられるコトも分かってんだけど、実際そうなのだから仕方ない。
 大事なことは、廃墟だから必ず出る/出ないではなく、やっぱし出るトコは出るし、出ないトコは出ないっちゅうコトだ。見た目の雰囲気に騙されてもいけない。パッと見のおどろおどろしさだけでは判断できないものだ。それに草木も眠る丑三つ時でなくたって出る時は日中堂々と出る。

 しかし、断言口調で書いてはみたものの、おれの第六感やら研ぎ澄ましたはずの神経は情けないほどに精度が低いのも一方でこれまた揺るぎない事実であって、見込みがハズれて肝を冷やす思いをしたのが前段に列挙したエピソードの最後のヤツだ。たまにやらかしてしまう理由はさらにあって、霊感の無さに加えて、性格の大雑把さや詰めの甘さ、すぐ調子に乗ってしまうイケイケなおっちょこちょい等によるものなのではなかろうかと思う。

 そんなんで、かように甚だ頼りないとは申せ、廃墟だからって何でもかんでも出かけてくワケではない。まずは心霊云々以前に形態への拘りがある。基本、民家やラブホといった只の廃墟は嫌いだし、あまりに藪に覆われて何が何だか分からなくなってたり、床が腐って抜けちゃってるようなのも好きではない。だから有名な本庄の「心霊豪農屋敷」や箱根の「華麗なる一族」なんて行こうとも思わない。
 行くのは造形的にも美しさやダイナミズムが感じられるようなコンクリートや煉瓦で出来た鉱山や工場系の廃墟が殆どだし、それでも行ってみてどうにもヤバそうだったらとっとと諦めることにしてる・・・・・・まぁ、諦めは悪い方なんだけど(笑)。つまりちったぁ慎重なのである。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて、そうした物件のリサーチ方法はいろいろあるんだけど、とても苦々しく思ってることがあった。廃墟物件の殆どが心霊物件とカブッてることだ。「**最強の心霊スポット!」なんて風に語られてることも多い。そう、あまりに何でもかんでも心霊物件に仕立てるのは如何なモノかと思ってたのだ。

 先日出掛けた福島の二ヶ所にしたってそんな風に有名なトコだった。ちょっとネットで拾っただけでもワンサカ出て来る。曰く・・・・・・

   「稲川淳二氏もあまりの霊圧にたじろいだ」
   「浴場の近くでよく女の人の声が聞こえる」
   「ボイラー室に入ったあたりから霊が見え始めました」
   「地下ボイラー室では幼い少女の霊、最上階では老夫婦の霊」
   「経営難により、オーナーが自殺」
   「階段の方で女の人の声がする」
   「少年の霊が3階の窓から覗いている」
   「オーナーが地下室にあるワインセラーで自殺して、それを発見した妻が狂って息子の命を絶つ」
   「森を歩いているとオーナーの霊に導かれ招かれる」
   「一階の窓ガラスには子供の手形がべったり」
   「過去に建物内で焼身自殺や首吊り自殺、2階では殺人事件」・・・・・・etcetc

 ・・・・・・エエ加減にせぇや!

 今さら言うまでもないが、全部ガセである。いちいち反証のツッコミ入れるのもアホらしくなるくらいに、見事に、全部。加えて、大体に於いてもうちったぁ作り話にもイマジネーションの欠片っちゅうモンが必要ちゃうかぁ!?と思ってしまうほど、これらの捏造された何のヒネリもないステロタイプなエピソードには猛烈なアタマの悪さ、小学生低学年レベルの幼稚さを感じる。それはナゼか?

 出所がどれもアタマの悪い地元ヤンキーだからである。別名DQNとも呼ばれる連中のこっちゃね。バカな頭からはバカな着想しか生まれないのだ。断言して申し訳ないけど、このアタマの悪さは地元ヤンキー系特有のモノだろう。さらにはコイツ等は全国的に猖獗を極めてて鬱陶しい。

 そして、根も葉もない心霊系の噂を広めるだけでなく、コイツ等は徒党を組んで夜中に肝試しと称して徒党を組んで出掛けてって、乱暴狼藉の限りを尽くしやがる。高歌放吟くらいならまだ良いが、スプレーでの落書き、施設や什器の徹底的な破壊、挙句の果てには放火まで・・・・・・いやいや、関東某県では拉致した女子高生を地元の有名な廃墟に連れ込んで絞め殺しちゃったなんてケースまで過去にはあった。ホンマの心霊物件にしてどないすんねん!?

 廃墟はあくまで廃墟なのだ。勝手に尾ひれはひれを付けて心霊スポットに仕立てるな!ボケ!騒ぐしか能の無いクソ低脳!と言いたい。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 察しの良い方はもうお分かりだろう。オカルティックな存在を信じてるにも拘らず、それでもおれが何とも出そうなトコに出掛けて行く理由の一端には、こういった何でもかんでも心霊スポットに仕立ててしまう死ぬほどアタマの悪い連中への嫌悪感や軽蔑がひどくあるってコトだ。

 お化けはたしかにいるし、これからもお化けはこの世にいて欲しい。
 一方でヤンキーやDQNなんてーのは、綺麗サッパリこの世から消えて欲しい。どうせ居たってロクなコトしねぇクズなんだし、馬齢を重ねたってバカはバカのままで、いずれロクでもない税金の無駄遣いの対象の年寄りにしかならんのだから・・・・・・差別主義者だ!選良思想だ!といくら言われようが、おれは心底そう思う。

 幽霊の正体見たり枯れ尾花・・・・・・多分それはお化けを否定してるのではなく、知性や理性の大切さについて言ってるのだと思う。


曰くがありそうで実は全くないんですわ(同上)。

2015.08.25

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved