「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
オーディオ時代の終焉


恐ろしく巨大なJBL"PARAGON"

 オーディオ機器の名門・山水電気が破産したってなニュースが先日報じられていた。何でも身売りを重ねた挙句、どうにも資金繰りが付かなくなって再生を諦めたらしい。そらモノが売れなんだら商売はツブれるわな。

 思えばオーディオ機器メーカー業界全体がすっかりマイナーな存在になってしまった。マランツはどうなった?デンオン傘下で細々とブランドが続いてるに過ぎない。タンノイもすっかり安物ラインにシフトしてしまった。アルテックも事実上倒産し、現在はケータイ外付けスピーカーをチョロッと作ってるだけみたいだ。
 国産に目を転ずればティアックはギブソンの子会社となって辛くも命脈を保つようである。アカイは今やDJ機器ばっかしだ(・・・・・・ナカナカここのエフェクターはモノがいいんだけどね)。パイオニアも儲かるナビ以外はどっかに事業を売っ払っちゃったみたいだし、アイワも消滅してもうずいぶん長い。言っちゃ悪いが青息吐息の左前、風前の灯っちゅうてもあながち過言ではなかろう。古参組で今もそこそこシッカリ続いてるのはJBLくらいだろうか?
 80年代くらいまでは家電メーカーまでがこぞって参入してたのが、実に惨憺たる有様なのである。

 電気屋に行っても古典的なオーディオ機器類がどれだけ凋落しているか良く分かる。だってコーナーがもぉほとんど残ってないのである。置いてあるのもミニコンポぢゃなんぢゃばっかしで、かつてリビングの真ん中にムダに陣取っていた、家具紛いで妙に押し出しの効いた重厚長大なセットなんてーのはもうスッカリ見かけなくなった。この二十年くらいで間違いなく日本のリビングから消えたのは、百科事典とオーディオセットではなかろうか?

 大体に於いて今の時代、最早誰も音楽にそんな高音質を求めちゃないのである。音楽をそんなにして家でゆっくりソファーにでも座って聴くなんて人自体が絶滅危惧種になってしまってる。音楽はハンバーガーやフライドチキンのように安価に大量消費されるもので、音響機器とはモバイルデバイスにくっ付いたオマケであり、家の外で聴くモノになったのだ。立ち食いなのだ。

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 「オーディオセットで音楽を聴く」っちゅう行為がかつてはなんか高尚な行為のように思われてたからこそ、ああいった業界が成り立ってたんだろうと思う。

 それを如実に示すのはギターアンプのスピーカーに関するエピソードである。巨大スタックアンプの創始者がジム・マーシャルであることに異論はなかろうが、彼はスピーカーが8発も入ったその箪笥みたいなアンプ制作にあたって、たしか最初はタンノイのところに行ったんである。そしたらまったく相手にしてもらえなかったらしい。
 「あんさん、ろっくんろぉる、っちゅうんですか?あんな腰をフリフリのうるさいだけで下衆な雑音のための楽器・・・・・・えぇ〜っと、えれきぎたぁどしたっけ?あんなん楽器ちゃいまっせ。そんなんにうちのスピーカー使うてもらうのは看板にキズが付きますよってにな、ちょっと勘弁しとくれやっしゃ」ってな感じで慇懃無礼に断られ、仕方なく当時はB級メーカーだったセレッションのスピーカーを入れざるを得なかったのだった・・・・・・。

 音楽が大量に流通し、大衆に普及することによって、デバイスまでが完全に変容した。誰がそんな微妙なイコライジングを気にする?定位を気にする?音の暖かみ?音圧感?高周波特性?・・・・・・知るかボケ!!ってな人が世の中の大半を占める。だからMP3がここまで普及するのだ。
 いやいやオマエ、高級ヘッドホンが売れてるやんか?っちゅうご指摘もあるだろう。なるほどAKGにゼンハイザー、ソニーの赤ラベル、ファイナルオーディオデザイン・・・・・・実態は単なるガレージメーカーぢゃねぇのか?ってなトコまで入り乱れてバカバカしいような値付けの物が売り出されてる。そしてそれなりに売れてる。
 たしかに音質は素晴らしいが、それゆえに売れてるようにおれには思えない。それよっか単なるファッションとか見栄、あるいは何を勘違いしたかアイデンティティーの主張、なんてトコがほぼ100%だろう。それに20万とか30万とか言ったってかつてのオーディオ機器からすれば全然安い。上に画像を載せたパラゴンなんて350万円もしたのだ。アンプやプレーヤーは別よ。スピーカーだけでその値段。
 なんぼヘッドホン高いたって、アンプやプレーヤーは今の時代、ケータイのオマケの機能で殆どタダで手に入ることから比べたら大したことないわな。

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 ちなみにおれは古典的オーディオセットに対して全くノスタルジーを抱いていないし、これまでまったく欲しいと思ったこともない。大体邪魔だし、そんなんに金遣うくらいならレコードでもCDでもダウンロードでも、あるいは実際にライブに足運ぶでもいいから、とにかく音源に金遣うべきだろう、ってのが基本的考えだ。

 そんなんだから大学に入って、早速下宿に据えたのも安物のとにかくワット数だけはデカいステレオだった。その考えは今でも変わってない。何年か前にDVDプレーヤーが欲しい、たまにはCDも聴きたいとヨメが言うのでオールインワンのミニコンポを買ったけど、おれは操作方法も知らない。音楽聴くのはPCでばかりだ。歩いたりチャリに乗りながらで聴くのは危ないし、そこまでして生活を音楽で満たしてたいとも思ってないので外では全く聴かない。No Musicでもライフはあるし、音楽は愛せるっちゅうねん。
 だからラジカセやウォークマンに始まった音響機器のダウンサイジングはひじょうに素晴らしいことだと思ってる。コト音響機器に関しては小さければ小さいほど良いのではないかと考えてる。

 音質に関しても拘りがない。そぉいやCDが普及し始めた頃、あんなんは可聴帯の上の高域がカットされてるから本来の音ぢゃない!なんて世迷言を並べてレコードに拘ろうとする人がいたが、アホではないか?とおれは真剣に思ってた。どうせ聴こえもしないのにグズグズとなにゆうてんねん!?みたいな。
 それよりも録音時間が長くて、傷付く心配も摩耗する心配もない、パチパチいうヒスノイズもなければ、仕舞い寸法も小さくて場所を取らない・・・・・・CD最高やんか、と。強いて文句言うならジャケットが小さくなって歌詞カードとかも見辛くなるかな?と、不満はそれくらいだった。

 およそ世間の流れに棹差す発言が多いおれだけど、世の中のみなさんだってそうなのではないか?でなきゃここまでオーディオ業界が退潮するワケないもん・・・・・・っちゅうか、むしろかつてが異常だったのだ。本来一部の好事家の物であるべき世界が、中産階級の豊かさの証とばかりに劣化コピーされて日本中の居間に溢れてる姿の方がよほどおかしい。

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 もちろん、今でもオーディオマニアは存在している。無酸素銅がどうのこうのっちゅうてただのスピーカーケーブルに何万円も使うような人たちだ。家族の迷惑も顧みず、巨費を投じてリビングをオーディオルームに改造しちゃうような人たちだ。それなりに高齢化が進んでるようだけど、それはそれであっていい世界である。そこまで否定する気はない。趣味とは本来的に無駄で過剰なものなのだから。雑誌不況の中にあって、そこそこ専門誌も残ってる。「大人の科学」の付録に真空管アンプが取り上げられたこともあったっけ?

 ヒマな時にちょっと冷やかしで、そのテのバカバカしいオーディオ機器を積み上げた喫茶店にでも出掛けてみるかな?(笑) 

2014.07.23

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