「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
一杯の特上天ぷら山かけそば


御存じ月影千草。ね!?似てるでしょ?

 冬季オリンピックそのものがおしなべて地味な印象とはいえ、ソチオリンピックはとりわけも一つ地味な印象が個人的には強い。客寄せパンダとしてスノボ競技が回を重ねるごとに増やされてってるけど、そもそも分かってるスタッフがいないっちゅうか、まぁIOC等の機関がガラの悪い(笑)スノボを締め出してる影響で、コースも採点方法も何ともチグハグな気がする。観るならX−Gameなんかの方が断然おもろい。

 さてさて、そんなオリンピック開催をキッカケとして一つの騒動が持ち上がった。

 言うまでもなく佐村河内守っちゅう、極めて胡乱なペテン師によるクラシック曲の贋作騒動である。ゴーストライターが20年近くに亘ってすべての曲を書いてたんだそうな。その曲がフィギュアの高橋大輔が使用する曲に選ばれてたのだ。ほいでもって、良心の呵責に耐えきれなくなった代作者が告白することで、全ては一気に露呈した。
 天知る地知る人ぞ知る、天網恢々痒みにムヒ、っちゅうヤツで、佐村河内(・・・・・・ってイチイチめんどくせぇ苗字だな、笑)と魂の交流があったとかなんとか売名のネタに使われた障碍のある女の子が、偶然にも古くから代作者が伴奏者として付き合いのある子で、その子をルポしてたライターがいたっちゅうのも何ちゅう偶然の巡り会わせだろう。。

 それにしても佐村河内のいでたちが取り敢えずスゴい。黒ずくめにロン毛、ほいでもって全聾でピアノの弾き過ぎで腱鞘炎になって手にはギプスだかサポーターだか何だかつけて、オマケに杖までついて、神経が繊細で光の刺激に弱いから、ってんでグラサン掛けて、あまつさえ被爆二世・・・・・・って、もぉオマエは「ガラスの仮面」の月影千草かよ!?って言いたくなるコテコテのキャラの立ち方(笑)。
 一方の新垣隆なる代作者の方も愚直と小心者を絵にかいたような風貌で、マンガでもここまで見事に対照的なキャラは作らんだろうな〜、っちゅうタイプの人。まぁ、食えない作曲家が1曲ナンボで商業ベースの曲を提供するのはよくある話らしく、彼も元々はここまで事態がシリアスになるとは思わずに気軽に引き受けた。ってのは事実だろう。

 ぶっちゃけ、おれは佐村ナントカの曲を一つも聴いたことがない。そもそも現代のクラシック音楽に興味がないんで、最近そんな人が出てきてTVでチョーチン特集されてるなぁ〜、くらいの認識しかなかったのだ。ただ、何で見たのか忘れたけど、代表作の一つと言われる「無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌ」ってタイトルを見かけた時に、激しい違和感を覚えたのだけは想い出す。
 だってさぁ、「シャコンヌ」っちゃぁ通常はバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」の中のパルティータ第2番ニ短調(BWV1004)の終曲を指すでしょ!?独奏曲の一つの到達点とも言われる長大でドラマチックな名曲で、練習曲として書かれたってーのがニワカに信じられないような高い完成度のチューンである。おれみたいにクラシックに疎いのでも知ってるくらいだから、その世界にいる人なら常識中の常識だろうと思う。
 それでこのタイトルは無かろうって誰だって思うよね!?平たく言って、あまりに無遠慮であけすけ、厚顔無恥な図々しさが感じられる。バッハに対する敬意がちょっともあらへんやん、オマエ何様や!?みたいな。それでもさすがにここまでとは想像もつかなかった。

 ともあれ、いざ正体がバレると出て来るわ出て来るわ!叩けば埃が立ちまくり!ピアノ、弾けまへん。色んな楽器の特訓、してまへん。譜面、読めも書けもしまへん。どだい音楽理論知りまへん。絶対音感、ありまへん。耳、チャンと聴こえてます・・・・・・いやもう全く、ここまでウソで塗り固めた人生もナカナカのモンだが、彼一人の才覚でここまでやれたとも思えない。おそらく他にフィクサーが存在するのではないかとおれは睨んでる。

 だからってワケぢゃないけれど、こうしてネタの俎上に上げてはみたものの、正直おれはさほど佐村河内守なる人物をそれほど声高に罵倒したり弾劾したいとも思っていない。買ったCDに音楽が入ってなかったらそらもう完全に詐欺だろうが、取り敢えず「自作の」音楽はそこに収められてたのである・・・・・・代作者の新垣っておっちゃんが告白する通り、マーラーその他古今の楽曲のエッセンスの稚拙な模倣と寄せ集めだったとはいえ、っちゅう但し書きはつくけれど。
 そして音楽以外の様々に彩られた「作者」の属性にアテられ、ノセられ、踊らされ、真贋もクソも関係なしで無節操に買いまくった大衆どころか業界人までがいただけなのだ。みんな感動だってしたんやろ?三枝成彰なんて、なんたらって賞にイチ押しで推挙したというではないか?

 メディアその他が慌てふためく様を見るにつけ、むしろ、これほど情報が高度化し、氾濫する現代に於いて、ここまでコロッと見事に大衆を騙してのけることができたのはむしろ痛快っちゅうか、ペテン師の面目躍如たる部分がまことに大ではなかったかとさえ思ってる。

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 そうそう、もうずいぶん古い話になってしまったが、今回の佐村河内守の一件で、おれは栗良平っちゅう自称「現代民話の語り部」を想い出したのだった。それは今回と似たような経緯を辿った事件だった。
 「一杯のかけそば」って、実話を採集したっちゅう割には職業のヒエラルキーを前提にしたような安っぽくもイヤらしいストーリーだったが、今回の事件なんか目ぢゃないくらいの一大ブームをかつて日本中に巻き起こしたのだった。映画まで製作された。内容やその顛末は有名な話なのでここにはイチイチ紹介しないけど、興味のある方はネットで調べてみて欲しい。すぐ見付かるはずだ。

 そしてこの男もまた、ウソで塗り固めた人生だった。見た目は素朴な黄土色っぽい甚平っちゅうか作務衣みたいなの着て、丸顔の実直で好人物そうな顔して、北大の医学部卒とかゆう触れ込みだったんだが、どれもこれも全部ウソ。それどころかただの詐欺師だった。
 実体は、要は各地で寸借詐欺を重ねてたチンケな野郎がとうとう尾羽打ち枯らして元手さえなくなったので、「民話を語る」という最も金の掛からない方法で一発勝負に打って出てみたら、思いの外当たってしまった・・・・・・実はそれだけの話ではなかったかとおれは思ってる。

 しかし今回の佐村ナントカ同様、ホンマどいつもこいつもバカぢゃねぇかっちゅうくらい、日本人の多くが見事に騙されたのだった。感涙に咽んで袖を濡らした。おれはそもそもお涙頂戴の話自体、怖気が震うほど大嫌いだし、な〜んか上に書いた通り話がどぉにもヤラしくってその腐臭ばかりが鼻について、どこがそんなに感動できる話なのかどうしても理解できなくて、ちっとも興味が湧かなかったのだけど、世の中の善男善女は見事にノセられたのだった。

 正体がバレてプッツリと消息を絶った栗が未だ存命かどうかは分からない。その後の風聞は断片的に週刊誌の隅を賑わせることがあったけど、それさえももうこの10年くらい見掛けなくなった.生きておれば60歳くらいだろうか。

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 何も狷介固陋なおれがエラいと言いたいワケではないし、今さら後予知みたいなことをしたいのでもない。ただ、断片的かつ遠巻きとはいえ、とにかく2つのブームの最初から終わりまで見て、おれは栗良平よりも佐村ナントカよりもむしろ、やれ騙されただのなんだのと手の平を返したように彼等を糾弾する人々に対して言い様のない不快感を抱いているのである。

 栗や佐村ナントカのやったことはもちろん決して称揚されるべきことではなかろう。騙って浮利を得たのだから。それは間違いない。だからって、みんな騙されたの騙されたって喧しいこと夥しい。ホンマもうじゃかぁっしい!っちゅうねん。

 そんなにも騙されることはオマエ等が正しいことの証なのか?
 そんなにも騙されることはオマエ等が善良であることの証なのか?
 そんなにも騙されることはオマエ等の性根が美しいことの証なのか?

 目ぇ噛んで死にさらせ!ボケ!ちったぁ己が無知蒙昧と貪婪と審美眼の無さ、そして救いようのないくらいに下品なミーハーぶりを恥じ入って、口を噤んでしばらく家に蟄居してろ!とおれは言いたい。

 正体がバレれば砂上の楼閣は一瞬にして瓦解し、富も栄誉も名声も一切合財失って身は破滅する。それはペテン師がペテン師である以上避け得ない運命だ。しかし、そのヒリついた刹那の緊張感の中を疾走する人生には、博徒なんかにも共通する、平凡なおれ達では絶対に味わうことのできない類の生々しいリアルが反語的に存在する・・・・・・言い過ぎだろうか?

2014.02.13

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