「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
心霊写真の哀しみ


古典的な心霊写真の例。もちろん二重写しによるフェイク。

 70年代の初め頃だったろうか、おれも含めてガキの本屋の立ち読みの楽しみの一つに「心霊写真」っちゅうのがあったのは、もう揺るぎない事実だった。みんなむちゃくちゃハマってた。読者諸兄にも似たような経験をお持ちの方は多いだろう。

 この世界(業界!?・・・・・・笑)の泰斗であった中岡俊哉監修だか著だか今となっては良く分かんないんだけど、とにかくおどろおどろしい表紙の本が毎月のように発売されてた時期があったのである。マンガでもこのテの路線の嚆矢と言えるつのだじろうが少年チャンピオンで「亡霊学級」・「恐怖新聞」、ちょっと遅れてだったと思うが、少年マガジンで「うしろの百太郎」の連載を始めた頃とちょうど重なる。そぉいやこれらの少年誌なんかでも巻頭カラーページで特集組まれてたし、女性週刊誌なんかもブームに追随してたような記憶がある。サラッと書いたけど、それはまさに「ブーム」だったのである。
 TVでも夏になると良く特集番組をやってたっけ。稲川淳二なんかが登場するもっともっと前のことだ。最近は、非科学的なものを公器たるTV放送に乗せるのはけしからん!ってな風潮があるためか、公共の電波に乗ることがめっきり無くなってしまった。何だか残念だ。

 ともあれ、戦後の本格的ニューアカブームはかくして児童向け図書から始まったようなものだった。地縛霊・浮遊霊・背後霊・守護霊・コックリさん・ポルターガイスト・念動力・エクトプラズム・霊媒・念写・透視・ESPカード・・・・・・etc、超能力から宇宙人から超古代文明からオーパーツ、全部ごたまぜの、体系からは遠く離れた玉石混淆の状態のまま、おれたちは知識や情報をどんどん詰め込んでったのだった。その潮流は間違いなくその後登場した「ムー」等のトンデモ雑誌に繋がっている。そう、95年に大事件を起こしたオウム真理教だって、元はと言えばこのような素地を背景に生まれて来たと言えるのではなかろうか。

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 ・・・・・・で、そのムーブメントの中核であったのはもちろん心霊写真だった。子供心にもホンマにこりゃ霊なんかいな!?と激しくツッコミ入れたくなるようなボケたんも、「霊が実体化する途中に撮られたものでしょう」な〜んて解説読むと、「やっぱそうなんかなぁ〜?」と妙に納得させられてたのだった。

 今でもネット上にはいろんな心霊写真と称するものが星の数ほど溢れている。専門サイトも数多くある。しかし、残念ながらその多くが一目でそれと分かる露骨なフェイクであることは言うまでもなく、ガキの頃に感じたドキドキ・ワクワクはもはや微塵も感じない。夢を持っておられる方には申し訳ないが、実のところ銀塩写真の時代から心霊写真と称されるものの大半が容易に再現可能であることは立証されている。一時はTVで種明かし番組なんかもよくやってた。

 なぜ本格的な一眼レフで撮ったものに心霊写真は少なく、安物のバカチョンで撮ったスナップショットにやたらと心霊写真が多いのかも大体説明が付く。要は安物でいろんな撮影上のトラブルが発生しやすかったからだ。
 樹の茂みや岩に顔が出てる・・・・・・はい、ほとんどがシミュラクラです。手が消えたり足が消えたり・・・・・・はい、ほとんどが手ブレ/被写体ブレです。画面を横切るのたうつ鱗状のモノ・・・・・・はい、そりゃカメラのストラップです。龍神さんぢゃございません。画面を覆う謎の赤い光・・・・・・カメラやフィルムの管理が悪くて露光したか、ハレーションによるそれこそゴーストです。画面を覆うように巨大な顔が・・・・・・巻き上げ不十分によるただの二重露光やんか!!

 恐らく中岡俊哉自身も良く分かってたに違いない。でも彼には生活が懸かってたのだし、何せ若くして「支那にゃ5億の民がいる〜♪」なんてなノリで満蒙に渡って馬賊を目指したほどの山師体質のオッサンなのである。だから苦笑しながら「鑑定」とやらをやってたんだと思う。ジャーナリズムが香具師・ペテン師・詐欺師・山師としてのいかがわしさを全身に漂わせてた時代の面白いおじさんだった。

 もちろん、その中のホンの一部にはどうしても説明のつかないブツが含まれてるのは事実だろう。おれが昔見た、親戚が撮って来た写真もどうにも説明のつかないものだった。そこまで否定する気はサラサラないし、大体、霊的なモノがこの世にまったくないのは何だか味気なくて詰まらない。怪力乱神はないよりはあった方が良いのだ。

 とまれ、ブームは去り、その後の光学技術や電子技術の急激な進歩によって、これら心霊写真は本物も偽物も十把一絡げで、いささか時代遅れな、いわば迷信のような存在として、今や多岐に亘るオカルトのジャンルの中でもかなりイカモノの位置づけがなされてしまってるように感じる。だって、その気になれば貧弱なおれのPCソフトでも小一時間もあれば何葉かの「心霊写真」を拵えることができちゃうんだから、そら信用無くすわな。

 ・・・・・・で、これほどまでにネタバレしてるのに、それでもなお鑑定とやらをやって下さるこけおどしでありがたげで胡散臭い自称「霊能者」は後を絶たない。やれ地縛霊です浮遊霊です、古い霊体です、強い怨念を感じます、供養が必要ですね・・・・・・では不肖、ワタクシにご依頼くださいませ。さすればキッチリと浄霊して差し上げます・・・・・・絶対に良い死に方せんぞ!コイツ等!ヴォケッ!って思うな(笑)。

 そんなんで、今はもうむしろ心霊動画の方が主流となりつつあるように思う。三つ子の魂百までというべきか、いいトシぶっこいておれはこれはこれでけっこう好きで、PC作業が行き詰った時とかにチョコチョコ見たりしてる。
 まぁ、今ではこれまた呆れるほどネット上に溢れてる。単にTV番組を録画したモノから、露骨で稚拙な贋作、そして心霊写真同様ごく稀に、こ、これは!?っちゅうのが見付かるのが楽しい。そうそう!こぉ言ったものを見てると霊が寄ってくるなんてまことしやかに言われるけど、一向にそのような体験をしたことないな。

 畢竟その程度の儚くもキワモノの存在なのだ。心霊なんて。

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 さてさて、心霊写真の流行と凋落、そしてその後の心霊動画の台頭を考えると、その構造はある流れとソックリ同じだと気付かされる。言うまでもなく「エロ」の流れだ。80年代初頭よりあれほど隆盛を極めたビニ本・裏本といったものが、AVに駆逐されてったのとまったく同じである。どちらもメインストリームからすると一顧だにされないカウンター/アングラカルチャーであるのも一緒だな。
 余談だが、最後の裏本がリリースされたのは2006年頃だったと言われる。度重なる官憲の取り締まりの前に組織は弱体化し、リスクばかりで商売としての旨味も無くなっていたところに、PCだけでなくケータイにまで普及したインターネットがその命脈を絶ったのだった。

 乾板を使うダゲレオタイプのカメラが発明されてナンボもしないうちにポルノ写真は登場した。リュミエール兄弟が映画を発明して数ヶ月後には早くもブルーフィルムが登場している。心霊についても実は然り。エロほど早くはないけど写真についてはたしか、ダゲレオの後20年くらいの間に登場している。言うまでもなくそれらはみんな、今となってはとても素朴な技術による贋作であった。ただし、心霊動画については残念ながらナカナカ技術面や資金面で難しかったようで(笑)、近代のビデオの普及を待たなくてはならない。

 ちょっとクドい言い回しになってしまったけれど、つまり、間違いなく心霊写真もまたメディアの落とし子であり、メディア自身の進化によって陳腐化されたり駆逐される必然の運命を持っていたのである。写ってるのもボンヤリした何だか良く分からないものだったけど、そもそも心霊写真っちゅう存在自体がこの上なくおぼろげで儚い存在だったのだ。

 最後に、今一度中岡俊哉に触れて終わることにしよう。

 そもそもこのテの写真を「心霊写真」と名付けたのも彼自身だったりする。あまり真っ当ではないけれど、日本の戦後文化形成の一翼を担ったっちゅう点でマコトに功績大な人なのであるが、もちろん春秋の叙勲者に名を連ねることもないまま、そしてブームが去って低空飛行のまま2001年に亡くなっている。没後、本人が写った心霊写真でも獲られておればもぉちったぁ世の中楽しくなってかも知れないが、残念ながらそのようなものは存在しないみたいだ。


心霊AVとしてあまりに有名な「新・横浜援交」。背後の顔は手前でジュポジュポやってるのに関係なく、ニュゥーッと出て来る。

2013.11.12

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