「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
回って回って、回って自壊


回転寿司の元祖らしい。

 しょうむない自称・市民団体がケチ付けたことで読めなくなってしまった「ちびくろサンボ」なんだけど、確かあれの最後は虎に追っかけられて危機一髪のサンボが機転を利かせ、虎がグルグルと樹の下を回り続けてそれで溶けてバターになってしまい、無事におうちに帰ることが出来ましたとさ、メデタシメデタシ・・・・・・ってなストーリーだったと思う。

 実際、虎がグルグルと回り続けて溶けてバターになるなんてことは絶対にありえないと、いい歳のおっさんになった今のおれには容易く分かるのだけど、初めて読んだときのガキのおれはそのブッ飛んだシュールな展開をそのまま信じたのだった。グルグル回ると溶けるんだ、ふ〜ん、ってな感じ。

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 先日、数年ぶりに買い物ついでに回転寿司っちゅうのに入ってみた。以前はけっこう休日に行ってたものだ。

 何で行かなかったかと言うと、別に回転寿司のような庶民の食い物を貪り食う必要がなくなった・・・・・・な〜んて理由ではサラサラなく(笑)、ただもう単身赴任で行く機会がなかったからだ。あんなん、一人で行ったって侘しいだけですがな。それにそもそも仮寓してたマンションの歩いて行けるくらいのトコに、回転寿司でも歯が立たない程に安くて美味い静止した寿司屋があったんで、家族連れでクソ喧しい、ワサワサと落ち着きのない店になんて行く必要を感じなかったのだ。

 テーブルに案内される。ご無沙汰してた数年の間にもイクイプメントはさらに進化してて、流れてる品以外の注文は高精細なタッチパネルを押すだけで済むし、それが送られて来るときは駅の案内放送みたく間もなくの到着を告げる音声が流れる。それもあちこちのテーブルでひっきりなしに流れる。何だか平日の朝の通勤を想い出して落着けない。いっそJRのチャイムと同じ音楽にすりゃぁさらにせわしなくてエエのに。

 大半のメニューは105円だ。「極上」だの「特撰」だのと謳われたので189円だったかな?サイドメニューも充実してて、赤だしだけでなく、うどん類や揚げ物にパフェだのアイスだのとバラエティも豊富になり、かつてはどこで作ってるのか分からないようなオレンジゼリーやどうでもいいような粗悪なケーキが申し訳程度に流れてたのからすると隔世の感がある。

  ・・・・・・しかし、肝心の寿司が、なのだ。そろそろ本題だ。

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 昨今の鰻の高騰に加え、水産庁がクロマグロの消費を抑制するようにお触れを出したりと、色んな水産資源が取れなくなって来てる。養殖技術が確立していないものは漁るしかないんだけど、余りの乱獲で姿を消しつつあるのだ。
 理由はカンタンで、社会の中産階級化が進んで誰もが気軽に食えるようになっちゃったからである。殊に、最近の中国の発展は世界の食糧事情に暗い影を落としている。

 それなりの歳の人は想い出し、そうでない人は想像してみて欲しい。漁村ならともかく、都会の一般家庭に於いて握り寿司や刺身なんて、昔は特別の時でないと食えないものだったワケですわ。家庭で寿司っちゃぁ、「ばら寿司」が一般的だった。チラシ寿司ぢゃぁないよ。酢飯に刻んだシイタケや干瓢、胡麻なんかを混ぜたお稲荷さんの中身みたいな上に錦糸玉子やら海苔、紅ショウガを置いたものだ。魚はどこやねん?みたいな(笑)。ピンク色の鯛でんぶなんて載ってたら随分本格的な方だった。ハイカラ寿司なる正体不明のモノもあった。玉子に加え、刻みハムや胡瓜の千切りが載ってるのだ・・・・・・冷やし中華かよ!?(笑)。
 この前も書いたけど、鰻丼はたまのお出かけの際の「ごっつぉう」であり、庶民の日々の食卓に乗るのは物流システムが劣っていたこともあって、たいていが青身魚の塩干ものだったのである。塩サバ、塩鮭、メザシ、アジやサンマの開きにあとはタラコや木っ端カレイの一夜干しなんて〜のが一般的だった。
 ぶっちゃけ切り身の生魚でさえかなり高級で特別だったと言える。今はさほど高級なものとして顧みられることもないブリの照り焼きや子持ちカレイの煮付なんかでも庶民にはそれなりに高嶺の花だった。鯛にしたってめでたい席でもない限り供されることはまずなかった。

 今の水準からすると随分慎ましやかな食生活だったけど、多くの人がそれで特段飢えることもなければ、肥満に苦しむこともなかったんだから、それなりにバランスは良かったのかも知れない。

 食のヴァリエーションが豊かになり始めたのはいつくらいからだろう?万博の後くらいだろうか?いや、もちょっと前だったかな?スーパーマーケットが普及し始め、何でもどんどん安くなった、狂乱物価とか言われたりしたけどもそれ以上に景気は良くて、さして豊かでもなかったおれの家でもそれなりに食卓は華やかになってった記憶がある。

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 今やちょっとしたスーパーにだって、あらゆるものが溢れている。刺身なんてワンコインで盛り合わせが売られてたりする。しかし、どれも端的に言って美味くない。安く大量に供給し、大量の消費を繰り返すうちに本物が手に入らなくなってきたのかも知れないし、おれたちが食っちゅう行為に倦んでしまってるからかも知れないが、野放図に話題を広げたって仕方ない。まぁ今回は回転寿司の話だったんだし、そこに絞ろう。

 結局、バカ安い値段でジャンジャン供し続けた挙句、マトモなネタはどんどん消えてってるのだ。

 いやいや、ここで美味い不味いを言う気はサラサラない。2貫100円でシャリ握りマシンがポロポロと酢飯の塊を吐き出した上に切り身を載せてイッチョ上がりな物体と、官能の技術のすべてを傾けて作った江戸前握りを同列に論じることなんてそもそも間違ってる。
 おれが言いたいのは、寿司屋としてあって当たり前のメニューが無さすぎるんぢゃねぇのか?ってコトだ。鯛、ありません。平目、ありません。鰻、ありません。雲丹、ありません。アワビ、赤貝、鳥貝、ミル貝、ありません・・・・・・で代わりがネギ載せチャーシューやら塩カルビ、生ハム、牛タタキ、ミートボール、エビ天等々ではあまりに侘しいではないか。
 かつては目玉商品だった中トロにしたって、今や1貫盛りかつ限定個数の提供、赤身でさえ189円だ。鰻が取れなくなったからサンマの蒲焼と来たもんだ。だってもう無いのだから仕方ない。ともあれそれがバカみたいな大量仕入れ/大量消費の結末なのだ。回転寿司業界はもう、長く続かないような気がする。

 おれの友人に、絶対に回転寿司に行かない拘りの男がいる。偏屈っちゃ偏屈だし、漢といえば漢な野郎だ。そんな彼が酔っぱらって語った、寿司に関するとても熱い思い入れの言葉を締めくくりにして今日は終えたいと思う。グルグル。

 ------回転寿司なんてダメだ!ダメなんだよ!寿司は特別な時に食べる特別なモンなんだよ。そうあってこそ寿司なんだよ。
     大体さぁ〜、100円で寿司ってーのがそもそも間違ってんだよ。それだけでもう寿司ぢゃない。
     ありがたみも何もないぢゃんかよ、それぢゃ。
     汚ねぇガキがギャーギャー騒いで、食い散らかして、あれはイヤだこれはイヤだヌかして、黙って大人に従って食え!
     サビ抜きだぁ!?ふざけんぢゃねぇよ!あーしてサビ入りの食って大人の世界を知るんぢゃねぇか。
     あんなモン、寿司の形したジャンクフードだ。とんでもない代物だ。寿司名乗るんぢゃねぇ!
     あんなんが流行るからガキが食い物をありがたがらなくなるんだよ!美味い不味いが分からなくなるんだよ!
     礼儀やマナーが分かんなくなるんだよ!

2013.10.03

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