「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
旅行が怖い


昭和32年に起きた諫早大水害の慰霊のために建立された観音像

 どないもこないも天変地異の時代なのである。これだけは人智をもってしても不可避の事態であって、その災厄から免れるにはどうにかしてその場所に居合わせないようにするしかない。

 ぶっちゃけ最近、旅に出ることに何とも不安と恐怖を感じるようになってきた。だってさぁ、「ゲリラ豪雨が例年の3倍の発生頻度」だとか「これまでに経験したことのないような大雨」とかゆう警報が1ヶ月の間に何度も出されるような状況なんですよ。千年に一度の大地震が来たんですよ。隕石が降ってきて破裂しとるんですよ。物騒極まりないではありませぬか。
 自宅でTV観ながら「ただちに命を守る行動を」って言われても、まだ気持ちに少しは余裕があるってモンだけど、旅先でいきなりほんなこと言われたかてどないせぇ、っちゅうねん!?そうでしょ!?

 天災だけでなく他にも諸般の事情があるとは申せ、そんなこんなで泊まりがけで出掛けるのから少しく足が遠のいてる今日この頃なのである。もちろん、日帰りだから安全、近場だから安全ってワケでないことも、そもそもこんな考えが随分神経症的で非合理的な考えであることも重々承知してる。それでもなんだか恐いのである。
 何の計画性もなく勢いでGO!いてまえいてまえ!な無鉄砲の一方で、吉村昭の小説を読んで津波が来るのが怖くて、三陸方面に足を運ぶことがなかったくらいのチキンなのですよ、おれは。

 でも、地震のことはこれまで散々ネタにしてきてるんで、今日は大雨についてテーマを絞って書いてみよう。

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 つらつら想い出すならば、旅先で集中豪雨に当たったことは過去に何度かある。

 初めて長旅と言える旅行に行ったのは80年代初頭だったが、その時は浜松で台風に直撃された。朝に設楽の添沢鉱泉を発つときにはもうかなりの大雨で、その中をチャリンコでえっちらおっちらズブ濡れになってようやく宿泊場所である静岡大学・蜆塚寮ってのにに到着した途端、ビックリするほどの暴風がゴーゴーゆうて吹き出して、中庭の棕櫚の木が倒れそうになってるのをおれは呆然と窓から見ていた・・・・・・冗長な文だな、おい(笑)。
 おれ達より少し遅れて到着した連中は、あまりの凄まじい追い風に坂道を漕がずに上がれたとか話してたが、さらに遅くなって風向きが変わってから着いた連中は玄関先で疲労困憊のあまり倒れ伏していた。向かい風で、押して歩くのもやっとだったのだ(笑)。ともあれ、浜松を台風が直撃するなんて滅多にないことなんだけど、その滅多にないときにおれはそこに居合わせたのだ。

 確かその翌々日には集中豪雨が東海一円を襲って、東海道線の鉄橋が流された。そのほぼ同時刻、自衛隊の装甲車が何台も並び、隊員たちが土嚢を準備してるのを横目に見ながら、欄干ギリギリまで水位が上がって溢れそうになった天竜川をおれは恐る恐る渡ってたのだった。言うまでもないことだが、全身ズブ濡れのままで。

 まぁ、それでもおれはまだマシな方だったのかも知れない。というのも、あの時おれは信州方面を回って最後、浜松で合流するコースを選んだんだけど(浜松でラリーっちゅうのがあって何千人も終結したのだ)、九州方面を選んだ連中は有名な長崎水害に遭遇して、命からがら逃げて来たのだから。何でも、ホント一瞬で水かさが腰のあたりまで上がって来たらしい。

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 九州に単車で一人旅に出た時は、えびの高原でエラい目に遭っている。1泊500円だか千円のライダーズハウスみたいな、ぶっちゃけ粗末でボロッちい小屋に泊まったんだが、その夜どえらい集中豪雨に見舞われた。滝のような雨とバキバキに落ちまくる雷でほとんど一睡もできなかった。細かいことは忘れたが、翌日はあちこちで道路が土砂崩れで通行止めになってて、水俣まで抜けるのにあちこち迂回しながら行った記憶がある。
 さらにそっから有明海沿いに北上し、三角半島から国道フェリーっちゅうので雲仙に上がろうとしたら、台風でもないのにいきなりコーナリングで車体が起き上がるほどの凄い風で、雨にこそやられなかったものの這う這うの体で国民宿舎に着いたのだった。そぉいやその夜も外で風が荒れ狂うのをボーッと部屋から眺めてたっけ。

 前世で隠れ切支丹でも弾圧してたのか(笑)、雲仙はどうにもおれと相性が悪いみたいである。この体験からおよそ20年後、再び雲仙で野宿してたら、夜中に強烈な雷雨になった。その時のテントは重量最優先でモンベルのモノフレームシェルターにしていたのだが、おれのは初期型なもんで耐水圧が低くて1000mgしかない。今どきバッタ屋で売ってる怪しいテントでも1200とか1500って書いてある。それにフレームだって細いのが1本通ってるだけだ。あ〜、雨漏りしそうだよなぁ〜、風も強いしペグ抜けたら倒壊するなぁ〜、ボトムシートもペラペラだし床上浸水したらどぉしようかな〜、などと考えてる内にすぐ近くにボカ〜ンと落雷して、慌ててクルマの中に逃げ込んだのだった。至近距離での落雷はパリパリした乾いた音でさえない。単なる爆発音だ。

 余談だが、翌朝、驚いたことにテントは些かも漏水してなかった。ボトムもインナーと別体式で雨しぶきの跳ね返りが入るかと思ってたが、まったくそんなことはなかった。さすが山屋のテントは作りが違う。

 思えばテントで豪雨にやられたことは他にもけっこうある。四万温泉の奥、暮坂峠近くのキャンプ場、阿武隈の蓬田岳中腹の駐車場での野宿・・・・・・そらまぁテントは布をピンと張ってあるだけに雨粒が当たるとスネアドラムの連打のようにやかましく、実際以上に豪雨に感じたのかも知れないけれど、実際サイト周辺は川のようになって水が流れてたし、やっぱしそれなりだったんだと思う。

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 ・・・・・・で、ここからがホントに言いたいことだ。貧弱なおれの体験談なんざ、実は中身を膨らますプチプチ、安い土産物の菓子折りの上げ底みたいなモンでどぉでも宜しいのである。言いたいのはこれらの記憶に残るような豪雨でも、実はいずれも降水量はせいぜい5〜60mm/hだったってコトだ。
 雨って、30mm/hくらいでもかなり激しく感じられる。50mm/hも降ればそれは充分に豪雨と呼びうるのである。だから決して大袈裟に書いたワケではなく,おれが大雨に遭遇したことにもウソはない。

 それが最近のゲリラ豪雨だと100mm/h前後が当たり前のように降る。2倍ですよ、2倍。マルハチ真綿かよ。異常やね、ホンマ。アメダス正しく動作しとるんか?って疑問さえ湧くぞ。
 ともあれこれは所謂、「滝のような雨」ってのに相当する。ここまで来ると、雨音は地響きのようになって轟く。視界は真っ白になって効かなくなる。アッと言う間に側溝どころかちょっとした川まで溢れる。地下駐車場のクルマが水没したりする。傘は最早殆ど意味をなさず、数秒で全身ズブ濡れになるどころかもぉ雨粒がベチベチと痛い。気象庁の区分では80mm/h以上を「猛烈な雨」と呼んでおり、「息苦しくなるような圧迫感がある。恐怖を感ずる」としているが、ナカナカ秀逸な表現だと思う。いずれにせよそんなムチャクチャな豪雨が日本各地でバンバン降る今の時代は、どぉ考えてもマトモぢゃない。

 なるほど一方で治水や道路改良の進展により、昔ほど水害で死ぬリスクは減っているのは事実だろう。100人を超す犠牲者が出た豪雨はもう45年も前の1968年、岐阜での水害が最後だ。この時は運悪く土砂崩れに観光バスが巻き込まれて谷底にまで落っこちてエラいことになったのである。それが最近は止せばいいのに田圃見に行って用水路に流されたとか、何を好き好んでか釣りに行ったとか、そういったケースが目立つ。土砂崩れも起きてはいるものの、地方の過疎化が進んだのもあってか、一度に何十人も呑み込まれたなんて事例は久しくない。
 それでもやはり旅先で集中豪雨に遭遇するなんて、どぉ考えたって真っ平ごめんだ。それでなくともおれは泳ぎがヘタなのだ(笑)。どぉ死のうが死んでしまえば一緒とはいえ、客死はイヤだ。

 ・・・・・・これ書いてる今も、島根での集中豪雨のニュースが流れている。3時間で200mmとか途轍もない数値が叩き出されている。明日も引き続き大雨が各地で降るみたいだ。ホント世の中どうにかしちゃってる。天譴、って案外あるのかも知れないな〜・・・・・・などと漠然と考えてしまう。おれたちはどうしたらば良いのだろう??

2013.08.24

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