「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
仔猫譚


拾われた直後。ブルブル震えてる。

 茨城県は日立市、っちゅうか正しくは旧・十王町の西方にある堅破山(たつわれさん)は、巨石信仰の山として古来有名だ。あの水戸光圀公も訪れたことがあるらしい。巨大な茹で玉子をポカンと真っ二つに割ったような太刀割石が殊に有名だが、それ以外にも見事な巨石群が山頂周辺に点在しており、独特の奇観を呈している。当然のように一帯は修験道の流れを汲む、廃仏毀釈以前は寺だったらしい黒前神社といういささか寂れたお社の境内となっている。
 700m弱と標高も低山ながらそこそこ手頃で、さらには山頂直下までクルマで上がれるので、気軽な登山・ハイキング・遠足コースとしても人気があるようだ。

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 ナビの示した高萩ICからのルートはとんでもない道だった。最後のダートがヌタヌタの泥濘で、何度もスタックするんぢゃないかと不安になりながら進んで行く。途中、何台もの泥んこになったMTBとすれ違ったが、彼らがこの道には大いに不釣り合いなおれのクルマをいぶかしげに見ていたのは言うまでもない。
 ハラやらアゴやらこすりつつ這うようにして行くと三叉路に出て、すぐ先が結構広い駐車場になっている。何のこっちゃない。手前の日立北ICで降りて南から回り込めば舗装林道だったのである。うくくくく、一応おれのクルマ高級車のカテゴリーに入ってんねんで。
 まだ朝早く、他に停まってるのはちょっと古い型の白いFFファミリーセダンが一台。おそらくは初老くらいの夫婦かなんかが山登りに来てるのだろう。ナビの情報がかなり古くなって来てることをボヤきながらエンジンを止めたら周囲は急に静かになった。騒音撒き散らしてんだろうな〜、おれのクルマ・・・・・・と、近くでミーミーと鳴き声が聞こえる。ネコだ。それも一匹ではない。

 クルマを降りると驚くほど小さいのがヘタヘタと駆け寄ってきた。黒いのと灰色の縞模様のが2匹。いささか煩いくらい足許にまとわりついてミーミーミーミー鳴く。つまみ上げてみるとまだ生まれたばかりのような仔猫だった。さらに少し離れた森の中からも1匹、鳴き声を上げているのが聞こえる。
 要はここに捨てられたに違いない。上手く行けば登山客に拾って貰えるだろうし、拾われなければ山の中で逞しく生きて行けよ、な〜んて、要はただの飼い主の身勝手な希望的観測と無責任によるしょうもない計算でもって人里離れた山中に棄てられたのだ。そもそもボロボロ産ますなよ。

 まぁ、生存本能で本人たちも必死なもんだから、もぉ鳴くこと鳴くこと。そんなに鳴いてちゃ却ってハラが空くだろうと思うのだけど、人語を解するハズもなく、おれは仕方なくクルマの中にあったエビセンか何かを川の水で洗ってふやかして与えてみた。取り敢えずはエビの香りに反応したのか夢中で舐め始めたので、おれたちはそっと彼らを地面に戻し、杉木立の中の小径を頂上に向かって登り始めたのだった。

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 以前も書いた通り、おれはペットを飼いたいなんて少しも思ってない。ヘタに飼って死ねば可哀そうだし、かといって人間より寿命は短いし、何かと世話するのに手間ヒマがかかってめんどくさいっちゅうのもある。そう、そもそもペットを飼う行為なんて決して褒められたこっちゃないのである。人間のエゴの極致なのだ。まぁ、唯一飼ってもいいなと思ってるのは人間のメスくらいなモンだ。

 どだいそれにこんな茨城くんだりまで来て、なんの因果でネコなのか?とも思う。おらぁ今日は巨石群の撮影に来たのである。諸般の事情から、俗に言われる夜討ち朝駆けで、眠い目をこすりながら200kmも走って来てるのだ。さらに今日は候補地がこの後に数ヶ所あるのだ。だから1分1秒も惜しいのである。ちっぽけなネコに関わってるヒマはない。言っちゃなんだが、人間も含めて泡沫のような命は今日も世界中で湧いて、そして世界中で散って行ってるのが現実なのだ。

 巨石は登山道に沿うようにしてあるので、別に探すのに苦労することはない。上に石仏の不動明王が祭られ水の滴り落ちる不動石、なぜか巨石の名前には欠かせない烏帽子石、手形石、畳石・・・・・・アッとゆう間に山門に到着するが、太刀割石はそこを潜らず、さらに数十メートル、参道とは別の方に山道を上がる。
 広場状になったところに想像を超える巨大さでそれはあった。元は玉子型の巨岩が節理の面に沿って割れたことで、見事に真っ平らな断面を見せて一方が転がってる。要はそれだけっちゃそれだけなのだが、この圧倒的な迫力と神々しさは何なのだろう。ちなみに横に寝た方は東日本大震災で若干下にずり落ちてしまったらしい。
 さらに境内には舟石、甲石、山頂を過ぎて下ったところに胎内石、今回はパスしたが神楽石等々、どれも巨石に開眼した者なら萌えまくりな見事な逸品揃いだ(笑)。聞きしに勝る巨石スポットだった。

 巨石の場の不思議さは、そこにサンクチュアリや禁足地といった雰囲気がない事だろう。そりゃ厳粛でないかと言えば厳粛だし、森閑として神宿る気配に満ち満ちているのだけれど、どこか雑多で猥雑で陽気で大らかな祝祭空間としての間口の広さみたいなもんが感じられる。

天の宇受賣の命、天の香山の天の日影を手次に繋かけて、天の眞拆を鬘として、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、天の石屋戸に覆槽伏せて蹈みとどろこし、神懸りして、乳を掛き出で、裳も緒を陰に押し垂りき。ここに高天の原動みて八百萬の神共に咲ひき。ここに天照らす大御神怪しとおもほして、天の石屋戸を細に開きて内より告りたまはく、「吾が隱りますに因りて、天の原おのづから闇く、葦原の中つ國も皆闇けむと思ふを、何とかも天の宇受賣は樂し、また八百萬の神諸咲ふ」とのりたまひき。ここに天の宇受賣白さく、「汝命勝りて貴き神いますが故に、歡喜び咲ひ樂ぶ」と白しき。かく言ふ間に、天の兒屋の命、布刀玉の命、その鏡をさし出でて、天照らす大御神に見せまつる時に、天照らす大御神いよよ奇しと思ほして、やや戸より出でて臨みます時に、その隱り立てる手力男の神、その御手を取りて引き出だしまつりき。

 ・・・・・・世に知られる古事記の岩戸開きの件である。思えば神様が神がかりになって、っちゅうのも妙な話だが、ともあれアメノウズメはステージの上でトランス状態で乳を揉みしだくは女陰を晒すわで、かぶりつきの八百万の神々に大受けした。要は神代の昔から巨石は祝祭の場だった。生の寿ぎの場だったのである。ハハハ、いささか強引だろうか?

 下りながら、ヨメと話す。

 ------まだおったらどぉしよ?
 ------う〜ん、ちょと困るよね。
 ------連れて帰るワケにもいかんしなぁ・・・・・・。
 ------そだねぇ〜。
 ------まぁ、そもそも捨てる方が悪いわな。

 太陽が上がり、木の間越しにまだらに陽だまりのできた中を下って行くと、アッと言う間に登り口が見えてきた。たちまちミーミー鳴きながら足許に駆け寄って来るのがいる。灰色の縞模様のだ。他には鳴き声がしない。ということは2匹は拾われてったか、それとも野生動物にでも襲われたのか・・・・・・空には鳶や鷹の類が飛んでるし、狐や狸、野犬の類だっているかも知れない。大きな蛇なら一呑みに出来そうだ。喉の渇きに耐えかねて沢に落っこちれば這い上がることもできないだろう。

 仔猫は相変わらず必死だ。ミーミーミーミー哀れげな声を上げ、足にまとわりついて離れない。抱き上げると震えながら真っ直ぐに、こちらの躊躇と逡巡を見透かしたかのように見つめて鳴く。生後どれくらいかは分からないが、本当に小さく、痩せている。ゴールデンハムスターと戦ったら逆にフルボッコにされるようなサイズだ。

 おれはもう観念するしかなかった。
 ヨメに連れて帰ることを宣言した。
 温泉に立ち寄るつもりでクルマに積んであったタオルで包む。
 最寄りの町に下って取り敢えず餌やら猫ミルクやらを購入する。
 奥久慈の蕎麦を愉しみにしてたが、店内に連れて入るわけにはいかない。
 セイコーマートのモソモソの割子蕎麦を公園の広場で食った。
 どこか打ちひしがれたような敗北感があった。
 言うまでもなく自分の中の感傷や情緒に負けたことへのだ。

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 今、そいつは下の子から立派な名前まで付けてもらって、ソファーの上で呑気に寝てる。目を覚ますとひとしきり活発に走り回ったり、毛玉みたいな玩具と戯れ、今度はハラ出して転がって遊んでくれとせがむ。それが済んだら餌だ。メスである。種類を調べてみたら虎猫の一種の縞猫っちゅうモノみたいだ。僅か1週間ほどなのに既に一回り大きくなった。少々高い所でも駆け上がるし、飛び降りることもできる。トイレトレーニングに苦労しなかったのと、寝しなに部屋の電気を消すと、すぐに大人しくなってケージの中で寝るのがせめてもの救いだ。夕餉の一品で刺身が食卓に上ることが増えた。じゃれつかれるとなるほどとても可愛いが、他のことが手につかない。爪立てるもんだから手やら脚は引っ掻き傷だらけになった。そして何だか自分がまた一つ老境に近付いた気がする。

2013.07.21

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