「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
哀しい夜道

 このところの写真趣味が嵩じて、スローシャッターで長く光芒を引く夜景の写真でも撮ってこましたろかと、日も暮れてから出掛けることにした。部屋からは相当離れてるのだけど、クルマよりは鉄道の方が好きだから、JRの跨線橋とかまで行けば何となくいい写真が撮れそうな気がして、散歩がてら歩いて行くことにする・・・・・・って、いくら無責任な駄文とはいえ、口から出まかせのウソはいかんね、ウソは。ホントは既にビール飲んでしまってクルマに乗りたくても乗れなかったのだ。でもまぁ、歩くことは好きだから全然苦にならない。

 「『暗い夜道』は『馬から落馬』みたいに二重表現になるんだろうか?」などとクダらない思いを巡らしながら、暗い夜道(笑)を歩いて行く。ともあれ北海道のいいところは昼間どんなに暑くても、陽が落ちるとスッと涼しくなることだ。滝汗系デブのおれには過ごしやすい。これで9月ともなれば、布団かぶってても窓開けっ放しで寝ると風邪引くくらいに夜の気温は下がってくる。早いものでこの地に来て、もう1年が過ぎた。

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 クルマ社会の発達した街だからか、まだそんなに遅い時間でもないのに道行く人はとても少ない。歩いてるといえば、少し前屈み気味になって足早に行く、老婆というにはやや若いが、オバハンっちゅうにはちょっとムリのある年齢くらいの女性が妙に目立つ。服装からすると散歩のようにも思えない。休日の晩だっちゅうのに、パート勤めかなんかの帰りなのかも知れない。いかにもパチモンっぽい大きなナイロンバッグにはおそらく家で洗う制服でも入ってるんだろう。言っちゃ悪いが貧しそうな人ばかりだ。後はたまに坊主頭の中高生がジョギングしてたり、犬の散歩に出てきた老夫婦、それとおれのような物好き。そぉいや夜道にゃトボトボ、って相場が決まってるけれど、本当にトボトボ歩いてる人、ってーのはいないよなぁ。

 街灯の青白い光が点々と並ぶ人通りのない道は、それだけで世の不幸が凝集されてるような奇妙な感覚に捉われてしまう。ガラス戸を閉ざし常夜灯だけが灯る幼稚園、窓に灯りのない黒く沈んだアパート、住人がいなくなって長い時間が過ぎたのか密林のように伸びた庭木に覆われた家、しけたラーメン屋に飲み屋にスナック、昔ながらの赤いぼんぼりのようなランプの下がる交番、なぜかちょっと裏通りでよく見かけるセイコーマート。そして濃密な草の匂い、樹木の匂い。

 なんぼ涼しくなってるとはいえまだ夏だ。しばらくすると汗が噴き出してきた。服はいいよ服はもぉどぉでも。どうせ安物のTシャツなんだし洗えば済む。でも背負ったカメラバッグに汗が染みるのはイヤだ。ああ、次の大通りを渡る信号で上手く引っかかれば、ちょっと一服できるかも知れないな。あそこの信号待ちはたしかかなり長かったはずだ・・・・・・ああ、どうにもチマチマした小市民的なことばかりが頭に浮かぶ。ヤキの回った実に情けない中年オヤヂだ。

 しかし、最近はそんな自分に対する自己嫌悪も失せてきた。決して開き直りからではない。むしろ真逆。もう、いくらなんでも変わらないよ、いい加減認めて受け入れるしかないではないか、ってな諦念に近い・・・・・・ああ、またウソを吐いてしまった。エエかっこしいの気取り屋根性が鎌首をもたげてしまった。いやまぁ決して100%ウソではないが、それがすべてではない。平たく言うと、いちいち考えるのがいささか面倒になってきた、っちゅうのが大半を占めてる。

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 都合良く(・・・・・・ってまだ拘ってたんかい!?笑)、交差点は赤信号に変わったばかりだ。どうも何事につけ後方から眺めるのが苦手で、とかく前に出たがるおれは、横断歩道もなるだけ前に出ようとしてしまう。どうにも思慮深さに欠けるアホである。そのうち酔っ払いのクルマに突っ込まれるかもしれないから、電信柱の蔭になって立つようにしよう・・・・・・って、しょうむないことばかり考えてからに。ホンマにアホや。

 ふと見ると、少し離れたところにママチャリの後ろの補助椅子に小さな男の子を乗せた女性が、スタンド立てた上に、さらに倒れないようにハンドルとサドルを手で押さえて中腰になってしゃがんでいる。どう見ても母子だろう。ここまでの道すがら見掛けた人の例に漏れず、全体から立ち上る雰囲気が貧しそうだ。だって男の子、白いランニングみたいなの一枚だし、お母さんも何だか所帯じみた垢抜けない雰囲気だし、どだい多くの家庭が団欒に興じる休日の晩、人気のない夜道を母子でママチャリっちゅうシチュエーションも決して豊かそうではないから、見立ては必ずしも当たらずとも遠からずだろう・・・・・・って、そんなガン見したワケちゃいますよ。昔に比べたらかなり衰えたものの、おらぁ意外に捨て目が利く方なんで、パッと情景を見たら、ある程度細かいディティールまでアタマに入っちゃうのだ。
 ともあれそんなお母さん、子供に顔を近づけて小声で何かを言い聞かせてるようだが、子供は聞いてるのか聞いてないのか、道路の方ばかり見てる。あ〜コラコラ、そんなガキの時分から他人の話をそんな風にヨソ見して聞くようぢゃアカンぞ。ロクな大人に育たんぞ・・・・・・その時だ。
 一台のクルマが眼前を通り過ぎるのと同時に、パーンと何かが爆ぜる大きな乾いた音がした。驚いて少し後ずさったおれの近くにまで「それ」は飛ばされ、足許に落ちて小さな音を立てた。

 ・・・・・・白いミニカーだった。

 壊れて車輪の付いた土台の部分だけになってしまってる。蝶番らしきものが見えるトコからすると、元は側面が倒れるような仕掛けになってたと思われる。だから、トミカ等のただのクルマのミニカーではなく、合体ロボみたいなものの一部かも知れない。
 瞬時に一切を了解したおれが思わず振り返ると、まさに男の子は項垂れて両の掌で顔を覆い、声を殺して泣き出したところだった。

 片時も手放さない大切な玩具だったのだ。
 それをうっかり交差点の途中で落っことしたのだ。
 お母さんに「落としたよぉ〜!」って訴えたのだ。
 でもその時はもう信号は変わりかけてたのだ。
 お母さんは「信号が青になったら拾いに行こうね」みたいなことを言い聞かせてたのだ。
 男の子は取り戻せるかも知れないと思ったのだ。
 だが、無情にもクルマはそれを踏んづけてしまったのだ。
 呆気なく玩具は壊れたのだ。
 眼前で男の子の希望は打ち砕かれたのだ。

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 自転車のスタンドを跳ね上げ、母子は広い通り沿いの歩道を走り去って行く。男の子は手で顔を覆って泣いたままだ。信号は青に変わり、見てはいけないものを見てしまったいたたまれない気持ちでおれは横断歩道を渡る。粉々になったパーツらしきものが散らばってるのが街灯に照らされ、ところどころで鈍く輝いている。

 家に帰り着くまで、いや、家に帰ってからもきっとあの子はメソメソ泣き続けるのだろう。お母さんも最初はあやしてなだめるに違いない。しかし泣き止まない。母親が優しくなだめることが「泣く」という行為の免罪符であることを、子供は本能的に知っている。だからより一層激しく泣く。抑えていた感情が堰を切って声を上げ始めるかもしれない。いい加減お母さんはウンザリしてくる。泣き止む特効薬は「また買ってあげるから」の一言なんだろうけど、それが気軽に言えるほどに経済的に豊かな風には思えなかったし、それにいくらリッチだろうがプアーだろうが、そんなことしたら子供に悪いクセ付けてしまうっちゅうのもあるから、多分最後は「大体、アンタが落とすからいけないんでしょ!」とか言って引導渡すのだろう。

 或いはそれとも、あの子はすべての事情を理解していたのかも知れない。それだから、両手で顔を覆って声を殺して泣く、などという小さい子にしては複雑な泣き方をしたようにも思える。自分のせいで落としたこと、家に経済的余裕なんてないこと、もうここで失えば二度と手に入れられないこと、信号待ちの間に沢山通るクルマが踏まない以外に取り返す術はないこと、しかしその可能性は低いこと・・・・・・そう、あの泣き方は、一縷の望みを絶たれた人の放心とか脱力に近いものだった。「ガックリ」の見本のような肩の落とし方だった。

 いやそれとも、あの子は、というか母子は、かつて真夜中の叡電・宝ヶ池駅で悪友のK田と共に遭遇したようなあやかしの類だったのかも知れない。親切心を起こして声なんぞ掛けたら顔がのっぺらぼうとかなんとかスゴいことになってる・・・・・・んなアホな。

 いやいやそれとも、あの子は・・・・・・。

 ・・・・・・線路際に着いた。とりとめのない想像は終わらない。目の前を重々しい轟音を立てて列車が通り過ぎて行く。彼方は貨物駅になってるらしく、投光機に照らし出された雑草だらけのヤードが広がり、入換の単行のディーゼル機関車がユックリと動いている。

 結局、写真は10枚も撮らなかった。どうにも気分が乗らなかった。

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