「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
海に向かって並ぶ


ピンクフロイドのジャケットにでもありそうな風景。

 札幌から稚内にかけての日本海沿いの道は「オロロンライン」と呼ばれている。今や絶滅寸前のオロロン鳥の住む天売島が羽幌の沖合にあって、それに因んで名づけられたのだ。オロロン鳥っちゅうのは「デッサンを間違えたペンギン」みたいな白黒の鳥で、ペンギン同様潜りが得意で、さらにはあまり上手ではないものの飛べるらしい。見た目よりはけっこう万能選手なのである。実物は見たことないけど、このルートの途中にはいくつかのハリボテの巨大な模型が屹立してるので姿形は確認できる。

 思うに、このラインは国内有数の荒涼とした景色なのではないか。年中吹き付ける強風のために樹木がマトモに育たず、雑草だけが生い茂る海岸段丘が延々と続き、集落はそれぞれの敷地を板塀で囲んだ独特のものだ。かつての栄華を物語る鰊御殿も、重要文化財の小平の旧花田家番屋を筆頭にこのルート沿いにはまだいくつか現存しているが、どれも豪壮というよりはただもう白っ茶けた羽目板張りの倉庫に見える。そんな風景は実のところ、石狩市に入った辺りからもう始まる。

 実に寂しい景色だ。そして、そこでは風力発電の巨大な羽根が何基も並んで虚空に向けてクルクルと回っているのを数多く見かけた。それはマグリットの絵のようでもあり、ヒプノシスが手掛けたレコードジャケットのようでもあり、また、イースター島のモアイみたいだ、とも思った・・・・・・実物を見たことはないけれど。

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 最近はフクイチと略されることの増えた東京電力福島第一発電所の東日本大震災に起因する放射能漏れ事故によって、我々の生活はこれまでにない見直しを余儀なくされるようになった。要するに電気が足りなくなった。足りないというのは使う量に対して供給量が少ない状態であるからして、使うな、節約しろと来たもんだ。

 それならバカみたいに煌々と電気点けて24時間営業してるコンビニを夜は閉め、パチンコ店はお取り潰しにし、単なるエネルギーの浪費に過ぎないスポーツジムや巨大商業施設は全部まとめて仮設住宅にでも転用すればよいと思うのだけど、決してそうはならない。それぞれの産業にはそれにぶら下がる人がおり、守らねばならんからだという。
 八方美人もいいトコだとおれは鼻白むしかない。被災地以外は結局なに一つ失わず、変わることもなく、そして国全体としての復興だけは成し遂げよう、ってんだからあまりに虫が好すぎる。瓦礫にしたって受け入れ拒否の市区町村幾つあるんだよ、ってね。気の毒だ気の毒だと口では言いながら、累が自分のトコに及ぶとなるとアホみたいに安全・安心の空念仏ばっか唱える「市民」とやらが多過ぎるのだ。

 原子力だって、反対する人の大半は情緒的にアレルギーを起こしてるだけだと思う。ガキがイヤイヤゆうて駄々こねてるのに近いものがある。そりゃぁおれだって原子力は怖い。放射能はたまに病院で受けるレントゲンやCTスキャンでもう十分だ。寿命縮めたり障害で苦しむほどに浴びたくはない。
 日本の貿易収支は震災以降ものすごい赤字になっている。言うまでもなく原発が停止したことによって、火力発電に使う原油や石炭の輸入が激増したためだ。残念ながら水力や風力、地熱だけでは今までの発電量は到底補えないのである。そのおこぼれで道内に細々と残ってた露天掘りの炭鉱なんて、今やどこもウハウハの恵比寿顔である。
 こうして貿易赤字が嵩めば、国としての力がなくなる。今は他が悪すぎて不気味に円高だけど、赤字がドンドン溜まる国の通貨がいつまでもそん風に呑気な太平楽でおれるとはどうしても考えられない。
 原発に反対する人に訊きたい・・・・・・これらの事実をキチンと踏まえてあなたは反対されてるのですか?と。あなたは生活レベルをエコカーに乗ってるとかLED照明にしてるとか、自転車に乗ってるとかの生温いものではなく、少なくとも昭和40年代以前くらいまで下げる覚悟が出来てるのですか?と。夏の暑さ、冬の寒さに耐え、夜に不用意に遊び歩かず、ブランド品やグルメ、海外旅行などにウツツを抜かさず、通勤・通学・買い物その他の交通手段のこれまでとは比較にならないほどの不便さを背負うことはできるのですか?と。

 自慢ぢゃないがおれはできる。生活水準なんていくらでも下げれる自信がある。大体、そぉゆう状態への憧憬があるのだから(笑)。でも、アンタたちは引き返せないんでしょ?世界のカラクリは引き返すことを許してくれないんでしょ?そんな風にして国や世界全体のことを考えると不用意な原発停止はどうにも厳しいんとちゃいまっか!?と言いたいのである。
 プリウスやソーラーパネル、LED電球等のいかにもエコです!ってな製品にしたって、一つ作るには莫大な電力が必要なのである。そこに目を瞑ってエコエコゆうても、そんなんファッション以外の何物でもない。

 そもそも、震災前のエコエコの大合唱の中での化石燃料による地球温暖化のリスクの話なんて、一体どこに吹き飛んでしまったのだろう?って思うよ、ったく。ホント、都合のいいようにエコって振り回されてて気持ち悪い。情緒的原子力反対論者なんて、デモで暴徒化して破壊と略奪を行う中国の愚民と変わらん。

 一方で電力会社は節電のお願いなどとあちこち謝罪行脚しながら、実のところ原発を再開したくてしたくて仕方ないのが良く分かる。夏の初め頃、会社にも電力会社の担当ってのが来て、パンフレットを基に計画停電だとか時間帯による割引だとかなんだとか、ひとくされ慇懃無礼に説明していった。おれはにこやかに相槌を打ちながら、結局のところそれが「ね?ね?不便でしょ!?企業活動もこれぢゃぁ立ち行かなくなりますよね?」言ってるようにしか聞こえなかった。そいでもって企業側に「原発再開してくれ!」って言わせたいのがアリアリだった。税金やら年金やら医療といったいろんな公共の財源にしたっていつもそうなんだけど、どいつもこいつも最後は民間企業におんぶにだっこなのだなぁ〜、とおれは少し可笑しくなった。

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 ただ、発電技術に対しておれはそれほど絶望もしてなければ悲観的でもなかったりする。要は発電効率を高めることと、ちょっとした発電も損失なく効率的に集めることが出来さえすれば、それこそ原子力はおろか火力にだって依存することはなくなるだろう。どんな小さな小川や家の樋や排水口にも水車を作り、あらゆる風を集め、それこそ台風が来たら移動式の風車でも立て、潮汐を活用し、デブのオバハンのフィットネスクラブの自転車にダイナモを並べ、繁華街の往来にピエゾ素子を敷き詰め、あるいは毎日世界中で900万回近く発生している雷を丹念に集めて溜めるることが出来たらものすごい発電が可能である・・・・・・まぁ、現時点ではほとんど世迷言に近いのだが。

 原子力にしたって、怖いからヤだ、だけではどうにもならんと思ってる。放射能の危険性っちゅう最大の問題を除けると、やはり原子の火はどれだけ化石燃料が束になってもかなわないほどの優れた熱源であることに間違いないのである。放射能は発生してもCO2が全く発生しないのも、一方では確たる事実なのだ。そんなんをしてクリーンエネルギーなんて呼ぶのはいくらなんでも笑止だとは思うものの、原発怖さのあまり、放射能をいかに抑えるか、拡散させないかの観点での活用の研究まで止めてしまったら、それは人智の敗北だろう。もんじゅ研究継続、大いに結構ではないか。

 省電力の工夫だってまだまだ改良の余地はあると思われる。おれ達が夏の暑さや冬の寒さ、あるいは夜の暗さをちょっと我慢するだけで相当の電気が浮くのは既に震災直後の計画停電で実証されたワケだし、さらには大口の電力消費先である産業機械関係が改善にもっと気合い入れたら国全体では劇的な節電になるのだ。あと、願わくば東京ディズニーリゾートは廃園になってほしいな(笑)。
 しかしながらここでちょっと茶々入れさせてもらうと、ナンボLEDが優れモノだったって、現在の変換効率は実は15%くらいしかない。オマケにこの数値には途中に構えたややこしい回路での損失は含まれない。だからエコの度合いで言うと蛍光灯と変わらないか、ヘタすりゃ劣る程度なのだ。ただし、理屈ではエネルギーの半分くらいを光にすることができるらしく、そうなると既存のあらゆる照明を凌駕することになる。今後はもっともっと凄いことになってくのだろう。まぁそれでも蛍のほぼ100%からすれば全然ダメなのだが。

 ・・・・・・ああ、だんだん飲み屋の政治談議みたくなって来たな。いやさ、寒くなって日本酒をあおることが増えて、これまで以上に酔っぱらってる晩が多いんですよ。何はともあれそろそろまとめなきゃ。そうだったそうだった、風力発電の風車のことだった。

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 海沿いにズラッと並ぶ風力発電の風車・・・・・・それらを見ていて、そしてそれがモアイに見えたとき、ある種の啓示みたいなものが突然降りて来た。それは上に述べたこととは矛盾する。自然の力を最大限活用した、とてもエコで人類の明るい未来を開いてくれるはずの風力発電にとっては非常に暗い想念というかヴィジョンのようなものだった。

 ------海に向かって並ぶ大きなものが現れたとき、その文明は滅ぶ、と。

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
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