「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
企てはすべて失敗・・・・・・再び夕張について


町中の廃屋にて

 夕張の町の寂れ方には想像を絶するものがある。「見るも無残、語るも無残、目も当てられない」とはこのような状態を言うんだろうなぁ〜、とつくづく実感できる。これとタメ張れる町はそうは多くなかろう。

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 いやいや、廃坑の街なんて日本中いくらでもある。そりゃぁ山一つ越えた万字炭山だって恐ろしく寂れてはいる。しかし、ここまで惨めったらしい状態になってる他の例をおれは知らない。とにかくグロテスクなまでに醜いのだ。そしてその理由をツラツラ考えるに、要はここが「2回死んだ町」であることに尽きるんだろうと思う。一度目は言うまでもなく炭鉱の閉山によって、二度目はバブリーでバカみたいな後先考えない投資の失敗によって・・・・・・それはまさにマルクスの有名な「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」という警句を地で行くものだ。滑稽なほど悲惨、悲惨なほど滑稽。

 一度目のことを21世紀のこの時代になってから、後出しじゃんけんみたくつべこべ言っても仕方ない。富国強兵のあの時代、どしたって石炭は必要なものだったんだし、夕張は国内有数の炭層の厚さと、高い品質、豊富な埋蔵量でもって発展しないはずがなかった。
 そんなんで石炭以外は何もない山の中に忽然と、最盛期には人口10万人を優に超える巨大都市が生まれたのである。その頃は何と24もの炭鉱が狭い谷あいにひしめいていたという。
 炭鉱と言えばどうにも悲惨で暗ぁ〜いイメージが付きまとうけど、実はその生活は決してそんな悪くはなかった・・・・・・どころかむしろ良かった。例えば昭和40年で大卒公務員の初任給が月2万1千円くらいだったのが、夕張の炭鉱夫の給与は月2万7千円である。およそ3割多い。学歴・経験不問でだ。そら勿論、仕事そのものは地の底の重労働だったし、絶えず死と隣り合わせの危険な作業でもあったが、勤務は完全交代制で、さらには社宅完備、光熱水費無料、制服その他支給である。他にも会社経営の病院だとかさまざまな福利厚生があったし、街にはいろいろな娯楽も完備されていた。つまりは豊かだったのである。それまでの生活にケリ付けて、一旗揚げようと有象無象のギラギラした男たちが全国から集まって来たのも無理ない話であろう。
 しかし、炭鉱が衰えれば町もそれと命運を共にするしかなかった。

 二度目は結局のところ、それらの生活を既得権とばかりに何とか守ろうとしたところから始まってるのではないかと思う。自業自得と言えば言い過ぎかもしれないが、石炭だろうがなんだろうが鉱山町の栄華なんて根本的に儚いものなのに、そのままの生活を何とか続けようとしたところに不幸の根源がある。
 そして、最もやってはいけないシナリオを彼等は選んだ。都会から手っ取り早く金を落としてもらうために、どうでもいい子供騙しの箱モノその他を呆れるほどボコボコ拵えて、ニワカ作りの安っぽい観光都市に仕立てようとしたのだ。企業誘致なんかも謳われてはいたし、実際工業団地が出来たりもしたが、どこまで本気だったのか怪しいモンだと思う。
 地に足を着けたプランなんて何一つなかった。どぉゆうことか?っちゅうと、要するに自前の金はビタ一文使わなかったってコトだ。国からの補助金に始まり、最後は親方日の丸な「自治体はツブれない」ってな何の根拠もない空手形で天文学的な借金を重ねた上でやりまくった。自助努力でフラガールを育成し、ドサ回りで集客に努めた常磐との違いはそこだろう。

 ここで彼らが建てた施設をおさらいしてみよう。★印は今も営業を続けているものだ・・・・・・かろうじて、だけど。

    石炭の歴史村・・・・・・その中身は以下の通り
      ★夕張市石炭博物館
      ★炭鉱(やまの)生活館
      ★ゆうばり化石館
       北の零年 希望の杜
       アドベンチャーファミリー(遊園地)
       郷愁の丘ミュージアム「センターハウス」
       郷愁の丘ミュージアム「生活歴史館」
       郷愁の丘 昭和レトロ館
       郷愁の丘 夕張キネマ館
       郷愁の丘 夕張プラザ
       グリーン大劇場
       物産館
       SL館
       世界のはくせい館
       ロボット大科学館
       ファミリーキャンプ場
       水上レストラン「望郷」
       めろん城
       めろん城公園
       農産物処理加工センター第2工場
       丁未風致公園
      ★マウントレースイスキーリゾート・・・・・・元々は松下興産が開発したものを買い取り
      ★ホテルマウントレースイ     ・・・・・・同上
       合宿の宿ひまわり        ・・・・・・廃校を転用
      ★幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば
      ★ホテルシューパロ
       サイクリングターミナル「黄色いリボン」
       虹ヶ丘パークゴルフ場
       夕張市美術館
       ユーパロの湯

 数えモレがあるかも知れないけど、まぁ大体こんな感じだ。他にも分不相応なまでの複数の市営室内温水プールや何やら、箱モノはたくさんあった。それにしても僅か10数年の間に良くもこんなに脈絡なく作りまくったもんである。借入金は600億円を超えていたと言われる。アタマ狂ってるとしか思えない。土建屋絡みで建設の雇用が確保できりゃそれでよし、ってな、イージーでアバウトな姿勢がありありである。あと、施設ぢゃないけど「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」なんてのもあった。これはイベントとしてはまずまず成功して、それなりに知名度もあったけど、やはりあえなく中止。死屍累々である。
 ちなみにこれらの責任は6期24年間、市長の座にあってこれらの流れを作った中田鉄治だけだけに期するものではないと思う。そりゃ当然主犯であることには違いないけど、痛みを伴わず現状維持を企てるプランに与した者全員が悪い。
 50年代60年代ならいざ知らず、取って付けたように薄っぺらで安っぽい、入場料だけ毟り取るような「ナントカ館」にゾロゾロ群がるほど現代の観光客は甘くない。目も舌も価値観も肥えてるのである。

 ともあれ町は二度死んだ。そして寂れた炭鉱都市の上に安っぽくもフェイク丸出しの遊園地その他諸々の廃墟が乗っかって、ムチャクチャにワケの分からない奇観を呈するようになった。今では全国の自治体向けの開発失敗事例見学ツアーが人気だと言う・・・・・・自虐ネタの芸人かよ(笑)。

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 ここでおれの夕張の街の実際の見聞を書こうかとも思ったが、止めた。見れば見るほどにすべてはもぉどうしようもないほどに終わっていた。それだけだ。

 歩き回った足の疲れ以上に疲れて食堂に入ってラーメン食べたら、丼にはハエが浮いていた。早々に出て、クルマに戻る途中、これまた空き家となった建物のガラス戸の向こうに、選挙に落選して資金が無くなる度に、なぜか保険の掛かった自分の土地のホテルの一棟が丸焼けになるという胡乱極まりない男、羽柴秀吉のポスターが見えた。



【参考】
「夕張よ 盛衰の軌跡」
http://www5.hokkaido-np.co.jp/yubari/seisui/index.php3
「夕張市の財政破綻の軌跡と再建の課題」http://jichisoken.jp/publication/monthly/JILGO/2010/10/mtsujimichi1010.pdf


これが全ての繁栄と衰退の原点となった大露頭。

2012.07.17 
 
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