「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
北国便り


夕暮れの曠野にて

 北国の夕立は晩秋に降る。

 所謂それは時雨っちゅうヤツである。ついさっきまで燦々と晴れてたのが、急に風が吹き始め、雲に覆われて薄暗くなったかと思うと、驟雨となってザーッとかなり激しく降る。そしてまた、嘘のように晴れる。光を受けて濡れて輝く紅葉した木々はとても美しい。

 この地の人に傘を持ち歩かない人が多いと言われるのも、布団を干さない人が多いのも、そんな不安定な空模様が影響しているのかも知れない。外出時に換気しようなどと迂闊に窓を開け放して、それで時雨にやられたりしたら室内はたいへん悲惨なことになる。目も当てられない。こちらの家の窓にはおよそ庇っちゅうものがないから、ジャンジャン雨が吹き込むのだ。それはおれの住まう安っぽい単身者向けマンションに限った話ではなく、どの家も、まるでかつてのオウムのサティアンのようにのっぺりとした造りである。ベランダもない。それもこれも冬場の雪を考えてのことだ。庇やベランダなんてあったって邪魔なだけなのである。瓦屋根もない。しかし、雪下ろしも大変だし、落ちてきたらそれはそれで大変だから、ってんで近年は雪の重みに耐える造りにした平らな屋根が主流になってたりもする。

 だから一戸建てからマンションから何から、最近の建物はみんなただの箱みたいな家が多い。ティピカルな牧場の絵に出てくるような急な2段勾配の、赤い鉛丹葺きの深い屋根なんて、最早古い納屋とか廃屋くらいでしか見かけなくなっている。

 この「要らない、だから付けない」に代表される明快すぎるまでの合理精神は、北海道民の気質の端的な顕れかも知れない。

 雨が降ると当然、湿度は上がる。ベランダがなく、部屋干ししかできない今の部屋でこの状況は辛い。寒かろうがなんだろうが、換気扇をつけ、サーキュレータっちゅうんですか、向日葵型になってない羽根だけの扇風機を回してなんとか乾かすのだけれど、何だかも一ついつもスッキリしない。湿度が高くて寒いとそれだけでもう、惨めで不幸で哀しい気分にさえなってくる。

 この地の人はだから石油をどんどん焚く。焚いて焚いて焚きまくる。省エネもヘチマもない。ホームタンクという490リッター入りのバカでかい石油タンクは各戸に備わっており、ローリーで桶買いして、気の早い家では10月から点けっ放しにする。暖房を入れると空気が乾燥するから今度は加湿器である。おまけに窓は二重窓で、その他に空気の通り道は少なく、通気性よりも気密性をとにかく優先した構造で、冬場はさらにプチプチやスチロール板をかますもんだから、結露には凄まじいものがあるらしい。そしてそのままで中途半端に冷えると黴が部屋一面に発生してしまう。
 これを防ぐには、寒さに震えながら晴れた日を選んで、高野豆腐や寒天みたいな寒干しの要領で1日中窓を全開にするってのがあるが、誰もやらない。結局のところ、「一旦入れた暖房は春が来て暖かくなるまで消さない」ことなんだそうな(笑)。そうして温室のような部屋でみんなアイスクリームを食うのだ。

 これもまた、極端な合理精神の顕現と言えるだろう。

 でも、いくら厳しい気候たって、東北の山村だって同じように寒い。ヨメの実家の近畿北部だってマイナス10度くらいには下がるし、年によっては積雪が2メートル近くになることもある。そいでもってそこいらの在の人達がみんなそんな生活してるかっちゅうと決してそんなことはない。厚着して背中丸めて炬燵に入って凌いでたりする。そんな家中はおろか駐車場の地面まで暖房掛けるようなことはしてない。なのに何故、この北海道だけがこんなに無駄遣いしまくってるのか?

 思うにそれは、開拓者精神の悪い伝承なのではないかと思う。おれたちゃ食うモンも食わずに荒れた大地を耕し、ここまでの大都市を造って来たんだぜ!内地のヤツらにゃこの苦しみは分かるまいぜ!ってな、ちょっとねじれた自負心が、だから少々無駄遣いしたっていいんだぜ!みたいなヘンな方向に発露してる気がするのだ。
 そりゃぁ昔は大変だったかもしんない。破れた蓆戸から吹き込む寒風と粉雪に打ち震え、凍死の不安に怯えながら家族が一つの煎餅蒲団に包まって辛くも冬を過ごした、なんてことは各地でフツーにあったことだろう。

 しかし、文明は発達したのだ。物資は行き渡るようになったのだ。それなのに心性だけは変わらない。

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 天候とは別の興味深い事実がある。何と、札幌は大阪市に次いで生活保護受給者数の多い街である。受給率は実に30・・・・・・つまり、人口千人つきに30人が生活保護を受けるという異常な高率を誇っている。何せ最低賃金が時給換算した生活保護費を下回るっちゅうんだから、語るに落ちるとはこのことだ。無論、時給が低いのではない。生活保護水準が異常に高すぎるのである。子供が就職して家を追い出された話まであるらしい。理由はカンタン、同居家族に収入が発生すると生活保護が打ち切られるからだ。ホンマ、餓鬼道に堕ちとるな(笑)。
 それでも人間にはプライドってもんがあるし、それに生活保護はいわば基本給みたいなもんなんで、最低賃金の時給でも目いっぱい残業したり、深夜労働したり、休日返上して働けば別に割増手当ももらえるから、結局はやっぱ働いた方が実入りは多い。しかし、逆に考えれば何もせずに、汗水たらして働く給与の7割・・・・・・いや、年金とか免除されるから、下手すりゃ8割くらいが転がり込んでくる生活は美味しいワケで、みんなそっちに流れてく。

 生活保護水準と最低賃金のねじれ問題はどこでも一緒だろ!?って?いやいやいやいや、さらに、この地には100年の伝統がある。「公金頼み」って唾棄すべき伝統だ。炭鉱が閉まるっちゃぁ失対ナントカで補助金、何かの作物を奨励するっちゃぁ補助金、それを止めるっちゃぁこれまた補助金、線路敷くっちゃぁ補助金、道路造るっちゃぁ補助金、失業率が高いっちゃぁ補助金、補助金、補助金・・・・・・助成金だ補償費だといろいろ名前は異なれど、要は補助金まみれなのが北海道の特徴だ。未だに公共事業天国で、誰も来ないような山中に唐突に立派な公園が作られてたりもする。バカバカしいったらありゃしない。
 そもそもが国策でガンガン金突っ込みまくっていろんな振興政策をとることから北海道開拓の歴史は始まっている。そうでなけりゃ明治初年に五芒星散りばめたあんな立派な煉瓦造りの建物をいくつも建てることなんてできないもんな。誰の金やねん!?て言いたい。要は国の金をアテにすることを大前提にいろんなシステムが形作られてきたワケだ。アホの坂田師匠にそっくりの鈴木宗男の政治手法なんてモロにそれだ。

 だから、貰えるものは貰う、ってことに些かも躊躇いがない。さらには北海道の主要産業であった炭鉱と国鉄という二大労組の巣窟がこの流れを悪い方向に後押しした。過去にどれだけコイツらがダニのように貪り尽くしてきたかは敢えてここでるる述べる必要もないだろう。
 国から貰えるモン貰って何が悪いねん!?みたいな権利意識はかなり根深いところに浸透しているような気がする。そしてそれはこの国の行く末の縮図だ。

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 いろいろ書いたけど、つまるところ一言で言って非常にドライなのである。そしてさらにくれるモンは何でももらっちゃっていいぢゃんかよ、ってな強烈な功利性も同居してる。グダグダ鬱陶しいこと抱えてまでカタチに拘ってたくなんかねぇよ、ってな気質とでも言えば良いだろうか。この地の離婚率が極めて高いのも案外、そんなところに根っ子があるのかも知れない。

 おれは一つの凄惨な事件を思い出す。調べてみると1991年のことだ。「札幌女子大生両親強盗殺人事件」として、当時は相当世間を騒がせたにもかかわらず、どうしたことか詳しく報告している例の見当たらない不思議な事件である。事件の名称は女子大生が主人公だが、実際は当時24歳の安川奈智とゆう、アタマ悪いくせにビッグになることばっか考えてる焼肉屋えびすの社長みたいなバカ男が、恋人の池田美由紀という19歳の女子大生と共謀して彼女の両親を刺殺してクルマごと丘珠界隈の荒れ地の中に埋めたってものだ。それが高いか安いかを論じる気はないが、それで奪った金は300万。手口は陰惨なものの、動機自体は単純極まりなかった。要は男は取り敢えずのビッグどころか借金返済のためにまとまった金が欲しく、女は親が疎ましかったのである。
 その公判の過程で、二人のまぁまことに羨望の念を禁じ得ないほどに見事なBDSM生活が暴露されて、当時の昼のワイドショーはかなり色めき立ったものである。吊るしやスパンキングは言うに及ばず、若いみそらで飲尿プレイや食糞プレイにまで勤しんでたというのだから、ナカナカに大したモンである。

 男はただもう上に書いた通りで、ひたすらアタマが悪かった。そして凶暴で底は浅いものの狡猾だった。でも実はそれだけの、けっこうどこにでもいる一個の阿呆であった。むしろおれが興味を惹かれるのは女の方で、こいつ、それらのプレイは強制されたものだ、アタシは被害者です、ってなスタンスを逮捕後は徹頭徹尾貫き通した。公判での証言でむしろ雄弁だったのは女の方だったという。その挙句に敬虔なクリスチャンになってみたり、まぁかなり楽しく振る舞ってる・・・・・・そんな記事を読んだ記憶がある。

 彼女は間違いなく自己陶酔型人間である。基調に破滅願望や下降倫理、平たく言えばピカレスクの主人公や悲劇のヒロインでいたいといったタナトスの深い淵を抱えて、とにかく酔っていたかったのだと思う。親殺しも恐らくはその延長線上にある。

 すべては自分の快楽追及のための手段や道具、回路に過ぎなかった。貪婪なまでにエゴイスティックで、そしてドライに・・・・・・おれはこの事件の本質をそう睨んでいる。男はなるほど行為の表層においては主導的役割を果たしたのは疑うべくもないが、実のところ女の資質をしんねりと花開かせた道化回しのような存在にすぎない。

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 いささか牽強付会に過ぎただろうか?

 書き始めてなかなか先が進まず、少しづつダラダラ書き加えてるうちに気が付けば、窓の外はもう冬景色だ。案外この地の気質は、ドライでどこか倫理のタガの外れかけてるおれには合ってるのかも知れない、などと最近では思い始めた。

2011.11.19

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