「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
CARPE DIEM


タトゥのデザインに好んで使われるのはいかにも、だな。

 表題は「カルペ・ディエム」と読む。ラテン語なんである。たまにはちょっと格調高く始めてみるのである。意味は「その日を摘め」・・・・・・これだけでは何のこっちゃサッパリ分からんね。

 格調高く始めても底が浅いモンですぐに馬脚を露してしまうのがおれの情けないトコで、後はいろいろカンペに頼らざるを得ないのだけど、これはギリシャの偉い詩人の詩の一句で、まぁ要は「今のこの瞬間を楽しめ」という意味なんだそうな。江戸っ子の「宵越しの銭は持たねぇ」ってのと似てるかも知れない。
 「MEMENTO MORI(メメント・モリ、死を思え)」と双璧をなす警句であり、西欧の人々の考え方の根幹として芸術その他のモチーフとして繰り返し出てくる。最近ではタトゥーの意匠なんかでも良く見かける。ハハ、たしかに後先考えてちゃ墨は入れれんわだ。

 今は「メメント・モリ」も「カルぺ・ディエム」もキリスト教のくだらない倫理観に絡め取られ、切り裂かれ、すり替えられて、前者は死後の世界の救済を前提とした無常感、後者は妙にお説教臭い「一日一日を大切に生きよう」ってなスローガンに小市民化されてるフシもあるが、本来的には「メメント・モリ」と「カルぺ・ディエム」は2コイチで、「人間いつ死ぬか分からんのだから、今日を楽しく生きようぜ!」ってなコトだったらしい。まことに明朗で健全な思想と言えよう。

 日本にかつて、この警句をそのまま戯号にしたとしか思えない面白い男がいた。明治から昭和の初めの話だ。「其日庵(そのひあん)」こと杉山茂丸である。号の意味はその日一日を面白おかしく暮らせればいい、ってことから付けられた。そしてとことん本気で、やり過ぎなくらいに徹底的に実践した。

 一般的には終生在野のまま政界や右翼のフィクサーとして暗躍した大物・・・・・・などと言われてるが、実際はそぉいった錚々たる面々の周辺をただもうひたすらウロウロして騒いでただけみたいな謎めいた人物で、今は「ドグラマグラ」の作者である夢野久作の父親と言った方が通りが良いだろう。
 「其日庵」の戯号はダテではない。世界を股にかけてホンマにその場しのぎ、後先を考えないことしかしなかった。ありとあらゆる不義理を働き、エエカッコして、口から出まかせを並べ立てた。このオヤヂに紹介状に書いてもらって取り次ぎ頼んで出掛けてったら、相手がコイツからの紹介状だけは受け取れんと追い返されたとか、笑っちゃうようなエピソードが山のようにある。右翼っちゅうよりはポンでデストロイでアナーキーなパンクスみたい。あまりにもいい加減で出鱈目で刹那的なので、付けられた渾名が「法螺丸」・・・・・・ともあれメチャクチャなおっさんであった。久作が早世したのも、この不肖の親父の残した負債整理に追いまくられて心身共に疲労困憊したせいと言われている。

 このテの刹那的な人がハタ迷惑な困ったちゃんであるコトは間違いなかろう。しかし、このような人に対してパンピーたる我々がある種の憧憬に近い爽快感を抱くことを禁じ得ないのもこれまた事実であろうと思う。ほれ、「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジャック・スパロウだって、ああゆうキャラだからこそ人気があるのだ。

 そう、おれ達はみんななりたいのだ、「其日庵」に。カルペ・ディエムで行きたいのだ。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 3月に大震災に襲われて以来、予想外の原発事故まで加わって、今や国中を沈滞の空気が覆っている。どぉにもイジイジ・チマチマしちゃってる。まず最初が花見の自粛ブームだったっけ。東北が大打撃を受けて苦しんでるのに花見とはどぉゆうこっちゃねん!?と。ほいでもって、祭りや花火大会なんかも自粛自粛で、TVコマーシャルもそんなんでポポポ〜ン♪ってなもんで、一時はどこのチャンネルもACしかやってない時期があった。

 そいでもって電力不足が起きて、今度は節電騒ぎだ。計画停電のあまりのエイヤァな無計画ぶりには振り回されたものの、まぁそれなりに楽しめた。扇風機狂騒曲も笑えたが、元々ビンボで扇風機主力の我が家にはあまりカンケーなかった(笑)。チマチマしだしたのは節電目標なんて勝手に打ち出して何パーセントとか言い出してからだ。企業活動・経済活動はそのままに何とかせぇや!ってな虫の好いこと並べたあたりのセコさと偽善ぶりがどうにもいただけない。

 放射能汚染騒ぎも広がる一方で、牛乳がダメだ、野菜がダメだ、椎茸がダメだっちゅううてたと思ったら、魚がダメで、最近は牛がダメだと来たモンだ。ダメダメダメダメダメダメダメダメ、こえだめだけはきらわれものだ!ってか・・・・・・何食えっちゅうねん!?ホンマ。大体、今の放射能に汚染されたとかゆう食品食って、どれだけ害があるのか分からんのに、もぉ気分だけでみんなキーキーと金切り声のヒステリー起こしてみっともないったらありゃしない。多分タバコやディーゼルの排気ガスに含まれるパティキュレートの方がよっぽど悪いだろう。貴方の会社は大丈夫?慌てて買ったりしてません?ディーゼルの発電機。

 最近になってあちこちにやたら貼られてる「がんばろうニッポン」っちゅうステッカーも妙に癇に障る。高校球児のメットにまで貼ってあるのを見ておれはいささかゲンナリした。
 何やねん!?と、これ以上頑張れっちゅうんか!?と。バブル以降の「喪われた20年」とやらの間、おれたちゃ頑張って来んかったんか!?と。やれリストラだ、成果主義だ、少数精鋭だ、経営と資本の集中だ、分社だ再編だ、とポテポテにやられながら頑張って来んかったんか!?と。地震来てエラいことなってんねんし、そんな国がかりでゴチャゴチャ言われんでも、しゃーことなしに頑張るっちゅうねん。
 ってーか、ここには巧妙な言葉のすり替え、あるいは意図的な割愛が感じられるのである。「頑張る」ではなく「我慢する」ぢゃないのか?あるいは単に「頑張る」んぢゃなくて「苦しいのを頑張ってこらえる」んぢゃないのか?っちゅう・・・・・・「贅沢ハ敵ダ」・「欲シガリマセン勝ツマデハ」からなぁ〜んも進歩しとらんのやな、と思ってしまう。そんなんだから負けるんだ。

 もちろん、今日の我慢や辛抱が明日の幸せに繋がる、という考えを全面的に否定する気はない。なるほどイソップの「アリとキリギリス」の寓話のとおり、夏の間に遊び呆けていたキリギリスにやって来た零落の冬は悲惨だ。そら分かる。ちなみにどうでもいい余談だけど、元々この話、「アリとセミ」だったんだそうな。
 閑話休題、そぉはゆうたかてぶっちゃけ冬の間のアリだって、寒い中、そんな面白おかしく豊かに暮らせてるワケでもないやんか、って思う。家に閉じこもってひっそり慎ましやかに質素に暮らしてるだけだ。低空飛行の生きているだけ、の生活。それに較べりゃ夏の間だけとはいえ、キリギリスは思いっきり浮かれて回ることが出来たではないか。どっちが幸せなんだ?冬を越せたアリと越せなかったキリギリス、ってコトか?寿命の長さか?それなら永遠にハムスターは犬より、犬は人間より、人間はゾウガメより不幸だぜ。

 1000年に一度のことが起きてしまったのだ。イイ子のままで常識や良識に雁字搦めになって、積み上げ積み上げの八方美人な発想で一体何が打破できるというのだろう?非常識な事態には非常識を以て立ち向かうしかないではないか。

 今日一日を目一杯、面白おかしく暮らす。そしたらきっと明日もそうなるさ・・・・・・決して逆説的な意見とは思ってない。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 冒頭の江戸っ子の有名な「宵越しの銭は持たねぇ」にしたって、元からあった考え方ではないとおれは思ってる。長い天下泰平を背景に文化的、消費的爛熟(当時の江戸は世界的に見てもきわめて高度な消費文化を持っていた)が行き着いた後に突如訪れた、天地動乱の時代を生き抜く中で自ずと生まれた、陽気な、それでいてけっこうしなやかでしたたかなバイタリティ溢れるニヒリズムなのではないか、と。

 そう、こんな時代だからこそおれ達は大声で叫び、実践しなくてはならない。

 CARPE DIEM!!
 CARPE DIEM!!
 CARPE DIEM!!
 CARPE DIEM!!


「其日庵」こと杉山茂丸

http://www.ncbank.co.jp/より
2011.07.30

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved