「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
懸崖萌え


「房総の投入堂」、こと寂光不動尊の全景

 懸崖造り、という独特の建築様式がある。懸け造りとも舞台造りとも言う。

 何を酔狂に好きこのんでと思うのだけど、崖からせり出すようにして、あるいは時には崖の中腹のオーバーハングになったところに無理矢理に堂宇を建てるのである。要は宗教の神秘性や奇蹟性、俗塵からの隔絶を分かりやすく示すために、かくもトリッキーな技法が発達したものと思われる。ただ、山を削り、ブチ抜き、海を渡る橋どころか海底を行くトンネルまでが自在に作れる現代の目からすると、最早ギミックとしては可愛らしくもささやかなものだ。

 ルーツはキワモノ大好きな中国にあるらしい。先日、「世界で最も危険な建物10選」(誰がこんなしょうむないことしたんだ!?笑)にも選ばれた山西省の懸空寺っちゅうのがそれで、5世紀ごろに建築がはじまったそうな。地上50mくらいのところに、崖に刻まれた頼りない階段や桟・回廊で繋がっていくつもの建物が並んでいる。かなりの壮観である。ウソかマコトかあの詩聖・李白も絶賛したそうな。
 国内で最も有名なのはもちろん清水の舞台だろうけれど、危険ということでは鳥取は三徳山三仏寺の国宝・投入堂に止めを刺す。おれは麓から望遠鏡で見ただけで、近付いて見たことはない。しかし遠望でも十分に理解できるくらいにそれはそれは実に驚嘆に値するものだった。修験道のスーパースター・役小角があらかじめ地上で組み立てといたものを法力でもって投げ入れたっちゅう伝説も頷けるくらいにそれは、山の断崖絶壁の途中にとんでもない建ち方・・・・・・否、引っ掛かり方をしていた。
 当時の建築技術の恐るべき水準の高さが分かる。当時の大工たちが現代と大差ない測量技術を持っていたことはまず間違いなかろう。現物合わせではムリだ。緻密な設計図で材料の寸法を確実に仕込み、綿密なシナリオを持ち、さらにはよほどシッカリとした足場を組まないとあれだけのものは建てられまい。

 そんなこんなで懸崖造り、山がちな日本の地形にマッチしたのかけっこう各地に残っている。投入堂のような嵌め込み型は少数派で、大半は建物の一部が崖にせり出し、その下が格子状の足場で組まれてるものが大半である。中にはどこがやねん!?ってツッコミたくなるほどショボいのもあるけれど、昔の人の苦心や工夫が伺えて何となく楽しい。

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 懸崖造りを初めて見たのは、遠足で行った冒頭にも挙げた清水寺だったけど、自分の意思で見たいと思って出かけてったのは鞍馬の奥、花背にある峰定寺だった。山号を大悲山という。たしか大学の2回生くらいぢゃなかったかな?今は寺よりも、門前にある摘草料理の「美山荘」の方が有名かも知れない。
 盆地特有の夏のクソ暑い日、下宿でゴロゴロしてても暑いばかりで、鞍馬の奥まで行けばちったぁ涼しかろう、そぉいや清水の舞台みたいなんがある寺があっちにもあったハズだ、な〜んて想い出してフラーッと出かけてったのである。何だかんだで当時はあっちの方はまだ道が狭くて2時間くらいかかった記憶がある。そぉいや鞍馬から大原に抜ける百井峠なんてまだ未舗装だった時代だ。

 行ったら却って暑いんでやんの!平日に一人で訪ねて来る、それも胡乱な風体の若者は珍しいようで、入口のところで坊さんがいろいろ話しかけて来た。修験道の行場なので境内はかなり危険であること、今、宝物殿を拵えていること、ここの本尊は秘仏で33年に一度しか公開しないこと・・・・・・半分聞き流して拝観料を払い、さっそく噂の舞台目指して登り始める。ナーニが秘仏だ!?ずっと昔から奈良の国立博物館に委託されてて常時公開されてるの知ってる、っちゅうねん、とボヤきながら(笑)。

 細かいことはもう忘れてしまったけれど、仁王門かなんかを潜って山道をひたすら登ると、清水寺よりはかなり小さいものの、ずいぶん老朽化してボロボロの懸崖造りの本堂に辿り着いた。もう汗だくで涼むどころではない。回廊の手すりは低く、落ちたらイチコロだろう。洛北・北山の山々が一望に見渡せる。予想以上に道のりが大変で疲れたので、そのまま回廊に座り込んで1時間くらいボーッと景色を見たり本読んだりしながら汗が引くのを待った。その間、誰も来なかった。

 調べてみると今は山内の撮影は禁止されており、カメラも取り上げられてしまうようだが、当時はそんな注意は無かったように思う。現在のスタイルからは想像もつかないかもしれないが、おれは旅に出かけても熱心に写真を撮る方ではなかったし、どだい大学の初めの頃は自分のカメラさえ持ってなかった。思えば惜しいことをしたもんだ。

 ともあれ、この寺は観光客が少なくて静かなことが気に入って、それからも何回か出掛けた。行くのはいつも夏の暑い日で、贅沢な怠惰ではあった。ハハ、金戒光明寺(黒谷)とか赤山禅院とか千本釈迦堂とか、おれがフェバリットになる寺もまた、寺自体マイナーなのにさらに輪をかけてマイナーなトコばっかだ(笑)。

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 ・・・・・・でだ。突如、巨岩に萌えだしたように、最近、懸崖造りにも萌え始めた。そらまぁバイクで片道2時間もかけて出掛けてってた物好きなんだから素地はあったのだとは思うが、何かもう懸崖LOVEなのである。不安定な造形がたまらなくソソるのである。

 もちろんキッカケは、ある。実のところ上総牛久の驚異の笠森観音でも館山の崖観音でもない。ま、それらも潜在的な「懸崖萌え」によってチョイスされてはいたと思うものの、訪ね歩きたい、ってほどの原動力にはなってなかった。キッカケとなったのはこれまたマイナーなトコだ。その名を寂光不動という。まぁ、寂しい光なんだから寂しいワケだな。

 房総山中にも投入堂があると知ったのは何年前のことだろう。最初に見つけたのは小さな画像で何だかよく分からないロケーションだったが、名前を知れば一発でいろんな情報の集まるのがネットの便利で味気ないところだ。場所が清和県民の森近くの山の中、笠岩って奇勝が近くにあることもすぐに分かった。
 しかし、知るほどにどうにも地味な場所らしく、出掛ける優先順位としては上がらない。そんなんで長いこと持ち越しの案件になってたのである。

 春、これも以前から気になってたマイナースポットである燈籠坂大師と絡める恰好で行ってみることにした。豊英湖近く、国道410号から折れて集落の中の狭い道を行く。アスファルトがコンクリートの簡易舗装に変わるあたりにチェーンが張ってある。そこから林道が始まってるようだ。仕方なく路肩のスペースにクルマを捨てて、照り返しの強い白いセメントの道を歩くことにする。近くの空き地では養蜂業者が巣箱をいくつも並べていた。
 ここもまた房総らしいバームクーヘン状の地層が切り通しとかに目立つ。明るい林道だ。暑くもなく寒くもなく、春の絶好のハイキング日和なのに誰も来ないのは大震災の影響で出控えでもあるのだろうか。ダラダラ坂をおよそ1km弱、小さな看板が立っており、そこからは林道を離れ急な木の階段の山道だ。

 ・・・・・・って、え!?あ!?ちょっと上がるともう到着。何ぢゃい、拍子抜けするほど容易に辿り着けてしまったではないか。

 オーバーハングというよりは岩窟状に崖の抉れたところ、スッポリ収まるようにお堂というにはいささか粗末な片流れの屋根のついた舞台のようなものがある。ぶっちゃけ本家投入堂からするとずいぶん簡略化されて大雑把なものだ。足場の高さは最も高い所で2m少々、広さは幅3間、奥行き2間半といったところか。
 舞台の上まで登ってみると、岩には稚拙な不動明王が刻まれ、奉納品だろうか木の宝剣が周囲に沢山立て掛けてある。ちょっとした座敷くらいの広さからすると昔はお籠りなんかも行われてたのかも知れない。温暖な土地ゆえ壁で囲む必要がなかったのだろう。
 由来書きの看板が木の色も新しくとても立派なだけで、あとはもう赤い幟は破れ放題だし供え物もなく、何より土埃がハンパなく到る所に積もっており、かなり荒れ果てた印象。実に勿体ない話である。

 それにしても静かだ。どこかで鶯が鳴いている。ホーホケキョ。前は繁った杉林に覆われ、眺望は利かない。これぢゃぁ投げ入れることは不可能だろう(笑)。大体法力でもってそんなややこしいことせずとも、普通に資材を担ぎ上げれば容易に造れてしまうような地形である。事実、江戸時代に建立されたここはその後、明治の始めと昭和の終わり頃、ほぼ改築に近いくらいの修理を受けているらしい。
 ロケーションだって地面の角度が緩やかで崖っちゅうよりはただの斜面である。つまり懸崖造りとしてはかなりショボい。覆い被さるような崖以外にトリッキーに感じられる要素がほとんどない。

 つまり何がどぉってワケでもない。ないのに、不思議にここの森閑とした感じは落ち着けるのだった。同時にそれとは裏腹の一種奇妙な高揚感もある。誤解を怖れずに言うならばそのないまぜの感覚はどこか性的でさえあった。さらに、その感覚はおれだけのものではなかった。ヨメも昂りを感じていたのである。思うに感動なんてモン、実は高尚でも何でもなくて実はそぉゆうモンなのだ。平たく言うとそれは発情に近かったと言える・・・・・・まぁ、人来たら困るし、土埃まみれになるのもイヤだから何もしなかったけど(笑)。
 そして突然、天啓のようなものが降りて来たのだった。

 ----懸崖造りを訪ね歩け。

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 その後についてはギャラリーを見ていただければお分かりだろう。日本に一体全体いくつの懸崖造りが存在するのかは寡聞にして知らないし、見て回るのに何年かかるのかも分からないが、これからは巨石と共に少しづつリサーチしながら、温泉行に加えて訪ね歩ければ・・・・・・などと思ってる。

2011.07.20

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