「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
香りを巡る随想


これが正倉院御物の蘭奢待。生ハムの塊みたい(笑)。

http://blogs.yahoo.co.jp/より
 ・・・・・・常々不思議に思ってることがある。

 なぜにあんな御面相で、かつ誰が歌ってもいっしょみたいな風に意図的に抑揚を排し、さらにはイコライジング掛けまくった無表情な声で、”Perfume(パフューム)”はアイドルグループとしてやってけるのか?ってコトだ。ファンの人がいたら大変申し訳ないが、初音ミクに歌わせても一緒になるんちゃうか、とおれは思ってる。曲はバックの中田ヤスタカの才によるところが100%なんだし、メンバーが彼女たちである必然性がどぉにもこぉにも感じられないのである。

 いきなり毒づいてしまって申し訳ない。ともあれ、そのグループ名の由来は初期メンバーの名前に全員「香」が入ってることから、「香り」⇒「香水」ってな連想でつけられたんだそうな。

 今日はそんな「香」をキーワードにウダウダと書き連ねてみることにする。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 無用の用を体系化して抽象の求道にしちゃうのが大好きな日本には、なんと「香道」なんてモンまである。実は茶道なんかより歴史が古くて、平安時代くらいから存在するらしい。何をするか、っちゅうと香を焚いて、その中身の当て合いをするのである。

 平安時代、着物に香を焚きしめることは当時の公家たちにとってはひじょうに重要なことであった。なぜなら彼等は滅多に風呂に入らなかったために体臭が凄まじかったのである。京都盆地特有のあの強烈な暑さの中でトロトロ衣冠束帯・十二単なんて着てるんだから、それは想像に余りある。それにそもそも風呂ったって当時はサウナである。汗かくだけだ。そいでもって何がそんなに忌み事とされたのか、暦がどうたら方角がどうたらと、なにかと理由を付けては風呂に入るのを避けよう避けようとするのである。シャンプーハットかぶらされてもピーピー泣き喚くガキよりもタチが悪い。そんなんだから上辺の見た目は華やかでも、中身は新世界のレゲェとさして変わらぬ状態だったのだ、彼等は。
 結果、死因のかなりの上位を皮膚病が占めるような時代・・・・・・それが平安という世の実態だった。

 この香りの元になったのはほとんどが香木であった。これをブスブス燻して着物を燻製にするワケだ。おそらくは一面に巣食うていたであろうダニや虱、ノミ、南京虫といったものを駆除する意味もあったのではないかと思う。バルサンみたいなもんだな(笑)。国産品もあったけれど、当時から舶来大好きだった日本らしく特に珍重されたのは東南アジア辺りが原産の伽羅で、とんでもない値段で取引されてたらしい。
 まったくの余談だが、この香木で最も有名なのが、正倉院御物の「蘭奢待(らじゃんたい)」っちゅうバカでかい木の塊だ・・・・・・で、何人かの歴史上の有名人が過去にこの一部を切り取っている(チャンと記録が残ってる)。ほとんどは使われて燃やされてしまったのが、一つだけは使われた記録がない。もしこれが発見されたならば、間違いなく1億は下らない値が付くと言われる。超一級の財宝である。
 それは織田信長が切り取った、およそ2寸角の破片である。恐らくは本能寺の変で一緒に燃えちゃったんだろうが、万一発見されれば凄いことになるだろう・・・・・・スケートの織田信成に分け前要求されるかもしれないけど(笑)。

 話を香に戻す。だからこそ発明は必要のなれの果て、そんな社会の背景があったればこそ香道なんてややこしいモンが生まれたワケだ。しっかしさぁ〜!誤魔化す前に風呂入れ!っちゅうねん。

 さてさて、香道において香りとは「嗅ぐ」ものではなく「聞く」ものらしい。「聞香(ぶんこう)」などと称する。それがどないしてん?聞くのがエラいんかい!?っちゅうこっちゃが、このようなペダンティックな話になると俄然嬉しがる阿呆で俗物の父親が、昔、「香というのは聞くもんなんです」などと得意げに語ってたのを想い出す。ああイヤだ、こんなコトも頭にこびりついて忘れられないのが堪らなくイヤだけど、このままぢゃネタが続かんので続けよう。
 あくまで想像だけど、彼は香りを複雑な音楽の調べを観賞するように「Listen」する、そりゃ〜なんてカッコいいんだろうとでも思ったのだろう。とんでもない思い違いだ。
 辞書を引けば一発で分かるが、「聞く」には音を聴く以外にもけっこう沢山の意味があって、その中に「感覚を働かせて識別する」ってのがあるのである。ほれ、酒だって「聞く」もんだ(ただし「利く」を充てることが現在では一般的だが)。上方言葉には「味を聞く」なんて言葉もある。いずれもちょっと古い言い回しなので、香を聞くのは別に特別な言い回しでも何でもなかったワケである。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 一時、おっさん臭さの抜けるガム、ってのが売り出されたことがあった。最近トンと見かけないが、やはり効果より何より、買うのが恥ずかしくて躊躇われるから売り上げが伸び悩んだのかな?って気がする。コンビニやキオスクでフツーのガムと一緒に並んでると、何となくそれ買うのはノネナール全開のオッサンであることを宣言してるようで引いてしまうのではないか?やはり水虫や痔の薬、毛生え薬なんかといっしょに薬局の片隅にでもひっそりあった方がより「らしかった」のではないか?と愚考する。

 それはさておき、あれには薔薇の香りが付けられてる、って触れ込みだったような記憶がある。それくらい花の香りとは強いものなのだ。ただし、ラフレシアやスマトラオオコンニャクのようなとんでもないのもこの世にはある。実際にその強烈な臭気を体験したことはないから断定的なことは言えないけど、要はバキュームカー、あるいは腐乱死体の臭いらしい。クサヤの干物みたいだな(笑)。

 かように極端な例外は置いとくとして、ほとんどの花の香りは人間にとって心地よく、芳しい。そしてそれらの香りは不思議なことに夜に強く放たれる気がする。最も特徴的なのは沈丁花と金木犀だろう。春は前者、秋は後者だが、暗い夜道を歩いていると、どこからともなくムッとするような香りが漂ってくる。決して爽やかとはいえないほどにそれは濃密だ。
 ここまで強烈ではないけれど、梅の花なんかも似たような感じだろう。以前、家の近所に小さな梅林があって夜更けに通りかかると昼間とは比べ物にならないくらいハッキリと香っているように思えたものだ。

 勘違いや思い込みもそこには無論あると思う。夜は何せ物が見えづらい。視覚が奪われた状態だからこそ、より嗅覚が鋭敏になって、昼間には感じられなかったものが分かって来る、っちゅうのもあるに違いない。野宿してても聴覚と嗅覚が普段より研ぎ澄まされて来るのは珍しいコトぢゃないもんね。
 それでもやはり、花は夜に香るように思えて仕方ない。多分、香りの濃密さと闇の空気感の濃密さがマッチしてるのだろう。

 ここで最も分からない疑問が湧きあがって来る。そもそも花はなぜ香るのか、なぜにあのような美しい花を咲かせるのか・・・・・・いや、その解ならとっくに知られている。すべては受粉のために昆虫を呼び寄せるための仕掛けである。死臭とも言われる件のラフレシアだって、腐肉に集まるハエの習性を利用しておびき寄せるためにあのような色と臭気を獲得したと言われる。
 分からんのはそこからだ。そのような工夫ができるってことは、花ってーか植物には何がしかの意思やら、昆虫の動きを観察できるだけの視覚、匂いの好みをあれこれ理解できるだけの嗅覚がそんな器官はどこにも見当たらないにもかかわらずキッチリ備わっており、得られた情報を元に問題を改善する努力ができる存在なのではないか・・・・・・つまり、かなり高度な知性を有しているのではないか?っちゅうコトだ。
 これ以上考えるとコワいことになりそうなので止めとくけど、花の香りが解けないエニグマであることに間違いはなかろう。

 ちなみに夜になると香る花は実際に存在する。その名もベタで「夜香木」である。おれはその存在を知って、どぉにもミもフタもない気がしていささか悲しくなった。も一つちなみに、梅は実際は早朝に最も強く香るものらしい・・・・・・より一層悲しくなった(笑)。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 平安の都びとが不潔であったように、西欧の中世の人々もまた、強烈に不潔であった。世界の歴史において絶えず身体洗って清潔を心がけてたのはむしろ例外的な存在だったと言える。稀代の怪作・「テルマエ・ロマエ」を読めば分かる通り、古代のローマ人くらいなモンである。あとはジャポネな江戸の町人だろう。どっちも銭湯が大好きで、三日にあげず・・・・・・どころか毎日のように風呂屋通いをしてたのである。

 ローマ帝国滅亡後も風呂屋文化はそれなりにヨーロッパ都市部には残ってたらしい。まぁ、月に数回くらいのペースで市民も通ってたんだそうな。ちなみに混浴。なもんで、かなりあんなことやこんなこともできたらしい。結婚披露宴を風呂屋でみんなハダカになってやるなんてこともあった。実に楽しそうである。昨今、結婚披露宴やその二次会は未婚者にとっての婚活の場だそうだが、こういったスタイルでやればもっと話は早く、たくさん纏まるだろう。
 このまことに淫蕩で健康的で享楽的な文化に暗い影を落としたのは、キリスト教のまことにくだらない晦渋な禁欲主義と、ペストの大流行であった。神におののき、経験的にペストが何らかの接触感染であることを知った人々は、ハダカで集うことに惧れを抱いたのだった。そしてだんだん人は風呂に入らなくなっていった。中世の暗黒はそんなとこにまで及んでいる。

 有名な話だけどベルサイユ宮殿にはトイレがなかった。数千人の人がそこに常駐してたっちゅうのに、あったモノはオマルが300個弱に過ぎない。だから物陰で用を足してた、貴婦人の鳥籠のようなスカートはそのままで大小便を垂れ流すために工夫されてあの形になっただなんて言われてる。
 それと同様に、風呂もマトモに無かった。豪奢を絵に描いたようなマリー・アントワネットだけは毎朝風呂に入ってたらしく、専用の浴室も現存するみたいだが、他にそのような設備はないのだそうな。だって入浴の習慣が喪われてしまって、誰も風呂に入らないのだから。
 ウソではない。とんでもないエピソードがある。エリザベスT世はとても綺麗好きであると言われていたのだが、それは彼女が「月イチで風呂に入ってたから」である(笑)。いいっすか!?たった月に一度!一度っきりの風呂が凄い清潔であることの証だったのだ。傍点ふりたい気分やで、ホンマ。大英帝国の女王にしてこの体たらくなんだから、まぁあとは推して知るべしだろう。

 実体験に基づかない仄聞の蘊蓄だらけで鬱陶しくなってきたんで結論言っちゃうと、だからこそ西欧では香水が発達したのである。敷地のあちこちに撒き散らされる糞尿、強烈な体臭(それでなくても元々白人は東南アジア系よりもナントカ腺っちゅう汗腺の数が多くて体臭が強いと言われる)・・・・・・これらをごまかすには己が嗅覚を麻痺させるしかないではないか。つまり、日本の香も西洋の香水も、その誕生は必然であり、そして優雅でも何でもない切実な地平から始まったのだ。

 この香水っちゅうヤツは厄介な代物で、良い香りばかりをブレンドしてもも一つパンチに欠けたボケたモノにしかならんのだそうな。そんなんでごく微量、強烈な悪臭を加えるらしい。それ初めて香水はマトモな商品として完成する。
 そしてこの事実はひじょうに示唆的なことをいろいろと含んでいるような気がする。すなわち、毒気に欠けるポップがカスみたいなモンであるっちゅうのと同義だし、宗教の説く極楽や幸福とやらがいかにも凡庸で退屈なことの証左でもあるし、人間がお人好しなだけではどうにも世渡りできないこととも繋がるし・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 取りとめのない与太話もだいぶ長くなったんで、そろそろ強引にオチに持っていこう。

 こうしてツラツラ考えてくと、”Perfume”っちゅうのは、メンバーの面々が美人というにはイマイチ無理があるからこそ、案外本物なのかもしれない、って気がしてきた。
 これがもしもまるでお人形のような整形顔であの歌い方だったら、歌謡番組に出るのはまだ分かるけど、オーディエンスのブーイングもナサケ容赦ないロックフェスに出演したら浮くもんな(笑)。そこまで考えてんなら、ナカナカ強かな戦略だわ。

2011.06.22

----Asylum in Silence----秘湯 露天 混浴から野宿 キャンプ プログレ パンク オルタナ ノイズまで
Copyright(C) REWSPROV All Rights Reserved