「シズカナカクレガ」ヘヤフコソ
立って半畳、寝て一畳


永井隆が最期を迎えた如己堂(にょこどう)。二畳一間の小さな建物。

 ・・・・・・天下取っても二合五勺、と下に続く。

 二合五勺っちゅうても今は分からん人が多いだろう。これは一日に必要な米の量のことをさす。実はこれかなりの量である。炊き上がり状態でおよそ900g、茶碗に山盛り5杯くらいある。昔の人は米を良く食ったのだ。それはさておき要は人間、所詮その程度しか本来スペースを占有したり、食い物を消費したりしかできないもんなんだから、あまり分不相応な贅沢を言わず足ることを知りなさい、ってな格言だ。本来的には小ささにどんどん向かう、縮み志向の日本人の面目躍如たる格言だろうと思う。

 先日、「二畳で豊かに住む」(西和夫・集英社新書)という本をたいへん興味深く読んだ。偏屈と狷介が服着て歩いてたような内田百閧はじめ、著名人で超ちっこい家に住んだ例(・・・・・・って、実際自発的な例は少ないんだけど、笑)や、歴史上の最小の住空間を取り上げながら、小さな家の良さ、そこでの暮らしの濃密さを提案するような内容になっている。新書なので肩が凝らないことを心掛けたのか、いささか駆け足の内容なのが惜しまれる。最後の章は戦後の空前の住宅難の時代、知恵の限りを駆使して提案された超狭小住宅が紹介されていた。

 現代に於いても狭小住宅はちょっとスノッブな都市部の人を中心に一定の人気がある。ある種の規定演技みたいなもので、建築家も決められた狭いスペース(9坪が多いらしい)で如何に暮らしやすさを実現するか、吹き抜けだの天窓だの坪庭だのと匠の技(笑)を競い合ってる感がある。中にはやりすぎてワケの分からないポリゴンみたいになったケースもあるけど、たいていは極限まで敷地を活用するため、外見的にはサイコロのような単純な立方体であることが多い。上記の元祖超狭小住宅のレプリカなんかも結構な値段で売られてたりする。

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 今住んでる家はマンションの高層階だ。3LDKでおよそ80uだから、坪数に換算しておよそ24坪ほど、まぁごくフツーの標準的なモンだろう。決して広いコンドミニアムのようなものでもなければ、狭くて息が詰まるようなものでもない。仕様もまぁ、何だかんだ豪華っぽく演出はしたぁるけど、実態はそれほどでもない。高いトコにあって、風通しがいいのを通り越して風が強過ぎて埃が溜まりやすいのには困るけど、その分景色がいいのは唯一の取り柄と言えるだろう。夏は遠くに1円玉くらいの大きさで花火が上がってるのが望まれたりする。いやいや謙遜してるのではない。ホンマにそぉなんだから仕方ないわな。そんな家に家族4人が暮らしている。子供はそれぞれの部屋を与えてるから、おれのスペースはリビングの隅っこだ。リビング・ラビング・ベイビーだ。

 ピアノ用の座面の広い椅子の置かれたそこはおれの定位置となってる(高さが細かく調節できてギターを弾くのにも都合がいいのだ)。食事したり、寝たり、風呂入ったりする以外は大抵そこにいる。旧家でバァサンが炬燵の定位置にいつもいるようなもんだな。広さにしておよそ一畳くらいだろうか。そこで私的な用事はほとんど済ませている。

 その前もマンションだった。転勤してきて会社から与えられたのである。広さは60平米足らずの3DK、ぶっちゃけあまり広いとはいえない。ところがそんな広さのクセに元は4DKだったらしく、9畳という奇妙な部屋があって、その入り口のドアは隣り合って二つあった。要は4畳半の壁をぶち抜いて1つにしたのである。
 あとはどの部屋も、風呂までもが狭かったけど、どういうワケかベランダだけは異常と言っていいほど無闇に広く、いろんな不要物はベランダに置いて暮らしてた。ホント設計者の意図が良く分からない摩訶不思議な物件ではあった。しかしまぁ、それはそれで面白かったし、あまり不便は感じなかった。廊下が短かいためデッドスペースが少なかったのも良かった気がする。

 7〜8年はここで暮らしたろうか、出たのは居住の期限が迫ったからだ。タダ同然の家賃で住まわせてもらってて文句は言えんとは申せ、一定期間が過ぎると社宅は無慈悲にも追い出されてしまうのである。それで仕方なく同じ町内で今の家を買ったのだ。丁度バブル崩壊から10年余りが過ぎ、住宅価格が底を打ってたのも購入を決意する後押しになった。だって、引っ越してきた頃はもっと狭いのでも5,500万とかしてたのだ。それが2,000万以上下がったのである。

 その前は大阪で、これまたマンションで5階の3LDKに住んでいた。自腹の賃貸である。広さは憶えていない。6畳と4畳半の和室に4畳半くらいの洋間、あとLDKが12畳くらいだったろうか。これまたごく平均的な物件ではあった。さして景色が良いワケでも、駅近なワケでもなかったが、家賃はその分若干安かった。ただもう閉口したのは空気の悪さで、ナゼかっちゅうとすぐ近くを高速道路が通ってたのだ。夜で窓を閉め切ってても絶えず幽かに雨音のように車のタイヤノイズが聞こえて来る。洗濯物をうっかり取り込み忘れて長時間干してると何となく薄黒くなる。そんなんだからまだ小さかった上の子はちょっと喘息気味でよく咳き込んでいたものだ。

 ここでは阪神大震災を経験している。枕元にあった家具は2段のローチェストで倒れるような背丈はなかったものの、そこに大量にカセットテープを積んでたのが崩れてバラバラ振ってきたのはハッキリ憶えている。たまたま家具はみんな揺れの方向に対して長辺が来るように置いてたのが効を奏して一つも倒れずに済んだのだけど、そうでなかった家は結構倒れたと後から聞いてゾッとした。それでも建物自体はなんともなくて、それからさらに2年近く住んだ。

 さらにその前は、ヨメと一緒になった頃に借りた極めて怪しいモルタルのアパートだった。とにかく奇妙奇天烈な家で、玄関の扉を開けると小さな三和土の靴脱ぎがあるだけで、あとはいきなり梯子のように恐ろしく急な階段になっている。それを上がった所が6畳と4畳の和室、あとは4畳半の板の間の台所で風呂は無かった。坪数にすると階段も含めて8坪ってトコだろうか。ベランダも無かった。いつも玄関出たトコの砂利には野良猫の糞が落ちていた。西向きの台所は夏などマトモに西日が当たるもんだから、冷蔵庫が氷を作れなくなるほどに暑くなった。とにかく家賃が安くて、駅に近くて、買い物がベンリなだけが取り得の最低の物件で、音なんかも見事に筒抜け。セックスもマトモにできんではないか(笑)。逆に階下の住人が夜になるとベースで弾き語りしてるのが畳の下から良く聞こえた。原マスミか?(笑)。

 本当は風呂付に住みたかったし、予算内で見付かるには見付かったのだ。だけど物件案内されて行ってみると、なんとも陰気なため池の隣の古い古い物件で、瘴気が立ち昇ってオバケでも出そうな感じがして止したのだった。そぉいや浴槽が全自動洗濯機くらいしかなかったのには笑ったな。

 ここはそのうちヨメが妊娠して、身重のカラダで階段から落ちでもしたら大変なのと、風呂代や駐車場代をトータルで考えたらそんなに安くも無いので引っ越すことにしたのだった。それでも2年半くらいは住んだと思う。銭湯通いは学生時代にもしてたし、ゆったり広々入れてそれはそれで悪くは無かった。

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 家族数の増加に連れ、住む家がそれなりにだんだん広くなってきてることは事実だ。また、ちったぁマシな住環境になってきてるのも事実だろう。ただ、冷静に見ると、自分自身で占有する住空間はあんまし変わってない。ヨメもかさばらないタイプである。なのにいつも家は手狭だ。
 まことにベタな話で申し訳ないけど、詰まるところ家全体が巨大な物置になってるのである。増殖し、行き場をなくして床にまで広がり続ける本やマンガ・パンフレットの類、楽器(恐ろしいことにクローゼットの中にはドラムセットまであったりするんですわ、笑)にアンプにエフェクター、PCおよび周辺機器にはご丁寧に大きなパワードモニターやMIDIキーボード、オーディオインターフェースまでくっついてる始末。自転車やその部品、アウトドアグッズ、ワケの分からん置物に土産物、スノボの板やらウェア類、ゴルフ道具、作りかけの模型・・・・・・etc.etc.etc.etc、ほとんどがおれのモンばっかしやないか!?

 想い出した。大阪からこっちに来たときも、今の家に移ったときも、引越し屋があまりの荷物の多さに呆れてた。彼等はプロだから、その物件の広さと家族構成聞いたらおおよその荷量の見当は付くらしい。ところが実際に見積もりがてら我が家に下見に来てみると、大きく予想を上回っているのだと言う。事前に用意してくれたダンボールは大抵不足して、追加で届けられることになる・・・・・・どんな家や!?

 「立って半畳、寝て一畳」の清々しさに憬れながら、自分の内容の薄さをモノの砦を築くことで糊塗するかのようなこの体たらく、何とゆう自己瞞着。どうにも情けないことだ。

 冒頭に紹介した本の中には永井隆の「如己堂(にょこどう)」も取り上げられている。おれも数年前長崎に行った時、実際に見た。育った木々に囲まれたそれはビックリするくらい小さな、家っちゅうよりは「草庵」とでも呼んだ方が似つかわしい些かな建物で、縁側やトイレは別なものの、部屋としては2畳の和室が1つだけだった。亡くなるまでの数年、ここで彼は小さな子供二人と3人で暮らした、ってーのが俄かに信じがたいほどにそれは狭かった。しかし、彼は暮らしただけではなく、そこから数多くの平和を訴える著作を発信もしたのである。

 彼は言ってるらしい。「新約聖書と公教要理と当用漢字表の3冊あれば何でも書ける」と。

 どうにも羞ずかしくなった。いい加減少しは考えを改めなくてはならない。

 
狭小住宅とはミクロコスモスなんだよね。

2011.04.03

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